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幕末史(半藤一利 新潮社2008)
結構大部の本であるから、少しずつ読んだ。
その結果、流れとかはよく覚えていない。
というか、ぼくは、歴史に興味がなくて、特に、戦国史に関心がなかった。戦国マニア的な人には、共感できないというか、内心どうかと思っていた。権力欲に憑かれた人たちの戦物語などで、心躍らせるというのは、どうも馬鹿らしい。そういう気持ちは、いわば戦後民主主義的なものだろうが、戦争も戦も、要は人殺しに結果するもので、到底肯定できないばかりか、その物語性に巻き込まれるのも忌避したい。その点、民俗学というのは、殿様や武士の物語ではないところに関心と好感が持てる。そもそも、現在の大文字の政治の世界、というか、政治家の世界の権力闘争などにも興味がない。選挙もいかない。そういうものを優先的に考えるのもやめにしたい。政治というのを自分たちの問題として取り返したい。まぁ、そういう風に思っている。しかし。
権力や支配欲などに駆動されている(くだらん)政治の世界が、現在のぼくたちの生活に否応なく影響を与えているようにまた、戦国史の帰結である幕末史、明治維新、などが当時の生活に大きな影響を与え、しかも、それは現在の生活の根本を決めるくらいの射程があることは、認めざるえない。
ということで、近頃、急に歴史が気になった。
出来事の積み重ねによって現在がある、ということは押さえておかないといけないなぁ、、と。
そして、とりあえず、慌てて、高校の歴史教科書を読んでみた。知らないことばかりだ、、、。というか、高校生が読んでも、その過去の出来事の現在的な意味(執筆者が付与したい意味)を読み解くことは出来ないのではないか、と思った。決して教科書が悪いわけではない。しかし、高校生の素養では無理だろう。その結果として、年号の暗記という味気ないものとして歴史が認識される。
そもそもは、最近、公園の歴史、というのを調べていて、そうすると公園が制定されたのは明治6年、明治維新の要素の1つであることが分かった。公園が制定できたのは、寺社地のほとんどが明治政府によって上地された(明治4年)からだが、それは地租改正のための準備であった。
地租改正というのが、現在の土地の私的所有のおおよそのはじまりだから、、、、などと公園を調べることを通して明治維新が現在に与えているインパクトの大きさに、齢40にして、ようやく思い至ったのであった。話しが前後してしまったが、そうして、歴史というのを素通りするわけにいかない仕儀に至ったのであった。
で、明治維新を理解するには、その前段である江戸、特に幕末の出来事が重要である。
そこで、幕末史。
ぼくは、歴史の若葉マーク(という言い方も最近しなくなった。車の若葉マークってなくなったのか??)だから、読みやすく飲み込みやすい方がいい。
で、この本は、語り下ろしたものだから、十分に読みやすく、語り口にのっかって、するすると進む。
西郷隆盛、坂本竜馬、勝海舟、今までもちろん名前は知っていたが、いまいち何したんだかよく知らない(興味もない)人たちのことが、合点がいく。
著者によると、反薩長史観らしいが、その一般的な語られ方も知らないので、特に気にならない。
同著者の昭和史に顕著な昭和天皇史観(というか過剰な敬愛)のようにひっかかりもない。
で、冒頭にも書いたが、内容ははっきり覚えていないが、後に明治政府の高官となるような人たち、その明治からことだけをとってみると、それなりの紳士たちの思えていた人たちが、血なまぐさいことばかりをしていた侍たちだった、、ということが印象に残った。なんか筋を追うのも面倒なくらい寝返ったり切ったり暗殺したりの繰り返しで、その発想にはとてもついていけない。政治家というものの起こりというのは、残念ながらも、こういうものだったわけで、その根っこは、今もあんまり変わらないといったら言い過ぎか。
明治憲法制定は22年なわけで、それまでは議会もなく、いわば少数で勝手に規則をつくっていたことになる。
ちょっとこれも、今から考えると想像できない。
しかし、それはもちろん一般的には15年戦争後に作られた感覚だろう。
ともかく、明治という時代は若い。いろんな意味で若い。
権力の中枢にいる人たちの年齢も若いし、また、岩倉使節団、というのも考えてみると、政府丸ごと1年10ヶ月も欧米を視察する旅をしているようなもので、ものすごくあり得ない。この無謀は、若さ故としか思えない。
その時、日本に残った西郷隆盛などが勝手に様々な施策(地租改正や徴兵制など)を行ったというのも、行き当たりばったりである。
このような若さ、というものを、80歳に近い著者が語りおろしている、というところにもこの本のポイントがあるような気がする。そこには、醒めた視点といささかの郷愁が漂うわけである。
# by isourou2 | 2012-05-13 00:33 | テキスト
東京下町山の手1867ー1923(エドワード・サイデンステッカー 安西徹雄訳 TBSブリタニカ 1986)
日本について研究する西欧人、に興味がある。
まずは煩雑な日本語を学ぶ必要があり、しかも旧仮名や古文も読むことが出来ないといけない。その上で文献を渉猟し、日本人を凌駕するような日本についての博識をえる。
経済大国となった以後のビジネスにおいての関心なら分からないでもないが、特に過去においてそのようなことをするモチベーションがどこにあるのか。日本における欧米の研究者とはまるでちがう動機がそこにはあるだろう。(軍事的な必要に迫られた日本研究というのも過去にかなりあっただろうけど、、、)
要は、これらの外国人はことごとく変わり者なのではないか。すんなりと西欧の近代文明にとけこめない人たちが日本研究などにうつつを抜かしていたのではないか。
そんな気もする。その上、そうはいってもそれらの西欧人の目に写る日本というのは、それなりに相対化されているはずで、外部的な視点というのも面白いものだと思う。
そんなわけで、外国人の手による日本研究というのをポツポツと読んでいこうと思っている。

まずは、これ。軽い社会風俗誌といえば、そうだが、なんでこの人ここまで知っているのか??というほど目配りの利いたエピソードが散りばめられた飽きない本である。
そして、この本は永井荷風に捧げられている。
それでだいたいのベースに流れる感覚は分かるだろう。江戸文化が失われていくことに対する哀惜の念。そのような視点から、大衆文化の旺盛な力に驚きつつも、明治大正と時代とともに東京が移り変わっていくのを眺めている。そんな外人。これは、やっぱりなんだか奇妙なことではないか。そして、やはりそういう奇妙な人にぼくもまた共鳴と哀愁を感じるものである。
# by isourou2 | 2012-04-13 19:30 | テキスト
あの戦争と日本人(半藤一利 文藝春秋2011)
この人もう80歳なんだな。
1930年生まれというのは、31年に満州事変があるので、戦争と共に育ち敗戦のころに一番多感な頃を迎えたということである。
最近は語り下ろし、という形でけっこう本を出している。
まぁ、読みやすい。平易な読み物として面白い。
戦争中の経験と編集者としての経験や勉強の成果が、さすがに80歳になると折り畳まれていて飽きない。
この人の語る昭和史というのは、かなりの影響力もあるのではないだろうか。
その点では、昭和天皇に対する過剰な敬愛や、戦争そのものを否定する視点の弱いこと、が気になるところであるが、おじいさんのヨタ話として読むこともできるという、、、そういう本である。

あと、明治になって伊藤博文の外遊(明治15年)の後に、国家の機軸に天皇を立てることを(改めて)思いついた、とあるが、どうなんだろう。はじめから、王政復古だったわけだし、、、。
また、日本の上層部がポツダム宣言の受諾をした大きな理由は、本土決戦になった時の共産主義革命を怖れて、とあるが、これも驚きである。国内にそういう機運はあったとは思えないが、、、。特高資料の国内の落書きというのには、そういう種類(革命を望む)のものもあったはずだから、まったく潮流としてないとも言えないだろうが、先導する運動体もないし、にわかには分からない不安ではある。

耐えて耐えたあげくその限界において鉄鎚を食らわせる、という構造が好きな人たちなんだなぁ、、というのが、この本を通じての日本人像としてある。
そういうドラマに自分たちを取り込んでいくというか。
そして、その鉄鎚においては、我慢していた分だけ無法が許されるという、、。
三国干渉から日露戦争をへて太平洋戦争という流れには、そのようなドラマがあちこちで埋め込まれている。
終戦の詔書にしても、一番引用されるところは、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」である。そういうことに、ぐっとくるので、入れてあるのだろうし。
もちろん、力道山にしても、ヤクザ映画にしても、同じ構造である。
たぶん80年代くらいから影の薄れた発想ではあるだろうが、経済が悪くなるといつ復活するか分からない。

著者が述べる昭和史の教訓「熱狂するなかれ」は、もちろん、押しつけがましくはそれほどない(ゆえにその心配が比較的少ない)この本にも当てはまる。
著者の見解を一応腑分けしながら楽しく読むならいい本である。


# by isourou2 | 2012-04-03 01:36 | テキスト
母よ!殺すな(横塚晃一 生活書院 2007年)
この本は1975年に出された本を底本として復刊されたものだ。

ぼくの管見の中で、日本語の本であらゆる人が読んだ方がいいと思える本を3つ挙げよ、と言われたらこの本がその一冊である。

パンフレットなどに書いた文章が中心であって、この本のためには横塚氏はあとがきしか書いていないし、そのために内容も繰り返しが多く、雑多な印象を免れないが、それでも、あるいは、それだからこそ、いつまでも生命を失わない本なのかもしれない。いや、もちろん、そこで語られる思考の重要さが、要である。
今でも、なにも知らずにこの本を手にとった人の風景を一変させるだけの深みを持っている。

障害者の視点によって、健常者の作り上げている社会を腑分けしていく、その構想力の基本的な枠組みを示している、しかしそれだけでもない。それだけでもないのである。それだけならば、それは政治的な鋭利な思想であるが、時代とともに古くなるところもあるだろう、それだけでもない、民俗学や仏教思想からその思想はエキスを吸入している、しかしそれだけでもない、それだけならば、その依拠する思想はいかにも未完である、それだけでなく、その鋭利さは、自分たちや自分にも向かっている、それによって、そのパンチのある言葉の底には、いくつもの屈折や折り畳まれた思考が忍びこんでいる。横塚氏は、どこまでも思考を続けようとしている。卓越した政治指導者でありながら、同時に卓越した思想家であることは希有なことである。それが、42歳の若さによって切断された。実に残念なことだ。
青い芝、という脳性麻痺者の政治組織のもう一人の立役者である横田弘さんもまた、詩人、歌人である。脳性麻痺者の組織ということの陰に隠れて前景化しないのかもしれないが、思想家と芸術家がリーダーシップをとる政治組織という特質が、青い芝にあったことは忘れていけないような気がする。

横塚氏はいう
「CP者(脳性麻痺者)が全国組織をもつことも全国的闘争を展開するということも全て虚構の上になりたつのです。」
これはどういうことだろう。
この時、横塚氏は、全国的にその戦闘的な戦いで知られた、青い芝の会全国連合会会長であり、障害者組織の大同団結的集まりである全障連の代表である。私信とはいえ、それらが虚構の上に成り立つとは何を言っているのだろう。
介助者(健全者)と障害者の間で様々な問題が勃発し、障害者団体が(介助者)健全者団体を解散させる、というゴタゴタが起こっている時でもあった。(*このあたりの経緯については、山下幸子著「「健常」であることを見つめる」(生活書院)に詳しい)

どれも重要だから、青い芝の綱領を全部あげておく。
1、われらは自らがCP者であることを自覚する
1、われらは強烈な自己主張を行う。
1、われらは愛と正義を否定する。
1、われらは、健全者文明を否定する。
1、われらは問題解決の路を選ばない。

しかし、横塚氏は「本当は障害者の自己というのはない」という。「私達が自己あるいは私達の考え方だと思っているのは、実はあなた方健全者の考え方に縛られている。」
そのような健全者幻想と闘うことによって、障害者の自己はつくられていく。しかし、そのような障害者はほとんど存在しない。「多くの仲間は現代社会から切り捨てられてきたが故に、自分の意見を他人に伝える手段も自己主張することすらも奪われている。」。そして、さらに思考は反転する。「逆説的に言うならば、他人を説得する論理性も、生活習慣も、組織能力ももたないからこそCP者でありうるのだ」。

われらは強烈な自己主張を行う。
たしかに、青い芝は、数々の衝撃的な反常識的な主張と実践を繰り広げた。しかし、それはそれだけではない。
障害者には、自己がないという認識が裏打ちされていて、だからその意味では虚構であり、しかし、そのような自己主張を行うことにより自己を生育するという意味がある。
強烈な自己があるから、強烈な自己主張をするわけではない。そのような主張をすることによって、自己が生育するスペースをつくる、そういうことがそこでは起きている。
それは、虚実一体となったあり方であり、一歩間違うと自己欺瞞の奈落に落ちるようなことである。そこを横塚氏は冷静に見ている。全国組織も全国的闘争も同様な方法論である。

この本の中で一番ホっとさせられるページといえば、「妻沼行き」だろう。横塚氏が亡くなる2ヶ月前に、自らの生家に、同じく脳性麻痺である妻のるりゑさんとともに遊びに行った時のことを、りゑさんが介護ノートに記したものである。私生活をなげうって運動に没頭していた向きのある横塚氏にとって、なんとも楽しい思い出になった旅行であったようである。そして、本に掲載されている川と横塚氏の写真もまたリラックスした雰囲気を伝えてくる。
その説明には、
「帰り道、利根川の堤防を下り、水辺に車をとめ、夫は車椅子の後輪を川の水に浸して、しごく満足そうでした。夫は、生家にいる頃、ここらで弟とよく釣をしたのだそうです。」
とある。車椅子の後輪を川の水に浸して、しごく満足そう!!。ぼくは、ここを読んだとき、うまく言えないが、その表情とともに横塚氏がその虚構もユーモアも達観もこちらに投げているような気がして、深い印象を受けた。どうだろうか?。

補筆
この本は、以前たぶん感想を書いたので、2回目になると思う。まだまだいろいろな切り口で言えることも多い。
たとえば、この「母よ」というタイトルから本の内容の様々まで、フェミニズム的な視点の欠如として、批判的に解釈することが出来る。その線は、優性保護法の改定をめぐっての女性団体と青い芝の軋轢へと地続きのものだろう。
また、この本を流れる底流の大きな1つは、親鸞(浄土真宗)の教えである。青い芝の神奈川連合会の源流ともいえるマハラバ村という身障者のコミューンを開設した浄土真宗の坊主、大仏空氏の思想から受け継がれたもので、横塚氏自身「歎異抄」を心の拠り所にしていたそうだし、矢田龍司氏は端的に、「青い芝運動思想、行動横領は宗教的理論を基礎とした「悪人正機」の闘いである」と書いている。青い芝を親鸞の思想が持つ被差別民への多大な寄与の1つとして考えることもできそうだ。
また、ここで多少展開された柳田国男に依拠した民俗学的な障害者の歴史の推定は、おそらくは誰もその端緒を引き継いでいない。(少し思いつくのは、花田春兆氏の「日本の障害者ーその文化史的側面」、という本である。)
さらに重要だと思うのは、現在の障害者運動を含めた現在の状況との連関である。解説の立岩真也氏がいうように、「青い芝の会という組織がここ数十年に果たしてきた役割はかなり限定的なものだったと思う。その運動は全体の中の一つであり、その後の運動の実際の大きな部分を導いてきたのは青い芝の会ではなかった。」。障害者運動、社会福祉の運動の中で、青い芝は、必ずしも(特に80年代中頃以降は)主流ではなかったようだ。運動の主な主導権は、アメリカで発祥した自立生活運動の強い影響化にある人たちが担っていたのだと思う。それは、青い芝が半ば自壊するようであったのを状況に合わせて運動を再建したのだと言えるのかもしれない。ただ、青い芝の強い磁場は、日本の自立生活運動にも存在したし、人的にも重なっている部分もある。非常に簡単に言えば、労働の否定を言った青い芝に、労働への参加をうたった自立生活運動を接ぎ木したのが、現在の障害者運動のメインストリームだといえるかもしれない。その接合面には、矛盾もあり、それはある程度の論じられているようであるが、そこはぼくも気になる。そこを解明しながら、青い芝の思想を、現在の労働問題(非正規雇用やワーキンブプアなど)、貧困問題、ホームレス問題に直接接続できないものか、とそれが自分の大きな関心である。
しかし、いずれもまだ今のぼくの手には余る。







# by isourou2 | 2012-03-13 12:34 | テキスト
歌う女・歌わない女(アニエス・ヴェルダ 1976)
女の人のための映画である。
女の子だけではなく、これは女の人のための映画である。
そういう映画ってありそうで、今まで見たことがなかった。そういうのを感じた小説というと、ガートルード・スタインの「3人の女」。スタインとアニエスヴェルダは、ぼくの中ではとても息遣いが似ている。

ヴェルダの映画は、これで3本目だが、どれも構成はあっても構造はない。
つまりは、いってみればガールズトークのように続くのである。タペストリーのように、つづれ織り。ブリコラージュのように出来上がる。なのでぇ、面白いんだけどぉ、ちょっと、早く終わんないかなぁって、思ったりしちゃうわけ。口調を戻す(しかもこんな口調な人はこの映画に出てこなかった)と、ヴェルダのテイストに、はまればとても面白く親密なる世界があるのだが、外れると退屈に思えてしまう映画なのである。
そして、このヴェルダのテイストというのは、チャーミングで才気があるが、同時に控え目で上品で慎ましくもあるように思える。
これは、この映画が「中絶」を描いている(あるいは女性の自立を描いている)ために、1週間しか上映がされなかったということと矛盾はしない。どの映画もそうだが、これは、どこを切ってもヴェルダ自身なのだから、テーマというのは、それほど重要ではない。
重要なのは、痛みを伴いながらも画面に流れる親密さというのが、永遠に続くような気がすることである。
なので、状況の構造をえぐり出すというような部分は、きっとある程度はじめは意図していたと思うが、次第に薄れて曖昧になっていく。
ヴェルダの持つテイストというのも、女性に期待される「好ましさ」からはそれほど大きくは外には出ていかない。そして、男であるぼくには、それは安心感として感じられるところがある。そして、描かれる男が類型的にも見える(類型的ではない男がどこにいる?)にしても、排除されるわけではない。それが、見る人にとって(女性にとって)物足りないかといえば、きっとそうではない。
この映画を見ようと思う女性にとっては、きっとそれはツボであり泣き所であり矛盾であり、リアルなことが親密に語られていることである。冒頭の文章を書き換えるとこうなる。
これを見ようと思ったあなた、これはあなたのための映画です。
ここで描かれるような女性の友情はうらやましい。
ガールズトークもうらやましい。(ところもある。)
そういう男であるぼくにも、この映画は遠くて近い輝きを見せてくれる。
# by isourou2 | 2012-02-29 00:30 | 映像
どこに思想の根拠をおくか 思想の流儀と原則(鶴見俊輔座談 晶文社)
この2つは、吉本隆明と鶴見俊輔の対談で「思想とは何だろうか」という鶴見俊輔の座談集に含まれている。たぶん、吉本の本のどこかにも入っていることだろう。この対談のタイトルなどは、吉本っぽいし。
この2つの対談は、1967年と1975年に行われている。(この間に、二人が対談をすることはなかったようである。)

この2つの対談において、二人は相互に批判しあって緩むところがないという意味で、見事な対談になっている。
しかも、お互いがお互いの思想の徹底を望むという信頼に基づいているので、読んでいて不快なところは少ない。(吉本の女性観がにじんでしまう発言など、読む人によっては不快かもしれないが。)

ここでは、主に戦争体験から来るお互いのちがいが、複雑に交差しているのだが、簡単に図式化してみれば、

吉本ー原理的=硬直=切実さ
鶴見ー状況的=余裕=絶望

ということになる。いくつか発言を拾ってみる。
鶴見「どんな思想でも対象をまるごとつかめない。思想は、何かの器とか象徴を媒介にしていて、本人にとってさえ意味が揺れ動いているものです。」
吉本「あいまいさは残らないのだということが1つの原理として組み込まれいなければ、それは思想じゃない。~思想というものは、極端に言えば、原理的にあいまいな部分が残らないように世界を包括していれば、潜在的には世界の現実的基盤をちゃんと獲得しているのだ。」

吉本からの鶴見への批判としては、村上一郎という人の言葉を借りる形で、「昔、わりに名門の子どもたちを集めて座談会をやったとき、鶴見さんが、自分は総理大臣になるか乞食になるかどっちかだ、というふうに発言したので、村上一郎はびっくりしたっていうふうなことを言っている。いまでもおそらく鶴見さんには、そういう意味のラジカリズムがあると思うんです。だけど鶴見さんが、そういうふうに言えるということは、それ自体たいへん恵まれていることを意味するんじゃないのか、自分にはとてもそれだけ言う力はなかったと村上一郎は言っている。そこのところから、鶴見さんの身をやつしたいという願望が思想家としての原動力にもなっているんでしょう。またある意味で、中間段階でコミュニケーションを重ねていけば、何かそこから出てくるかもしれないという着想の根源になっているというふうにぼくには思えるわけです。」
この名門の子どもの座談会っていうのが、謎ではありますが、、、、。
要は、吉本は鶴見に、あんたがあいまいさを許容するのは、精神的に余裕があるからだよ。と言っている。
そして、余裕があることに自責があるから、どうでもいい(と吉本から見えるべ平連とかに)に身を挺しているんじゃないの、そして何もうまれるわけがない人たちと手を組んでいるんでしょ、、、と言うわけである。
この座談のシリーズの中には、小林よしのりから安部譲二、南しんぼうまで多種多様のメンバーが含まれ、それらを鶴見さんが、ちょっと首をひねる程いちいち絶賛している。それは、やはり精神的余裕がもたらすものと言われればそうであろうし、日本的な柔構造、無限抱擁、という感じもある。小林よしのりとの対談においては、絶賛しつつ、南京事件のことで牽制する(偶然かも?)ことを言ったりしているが、ともあれ、これらの人に対して、ズブズブなのは間違いない。ズブズブというか、まるでいかようにも誉められるという技を見せているかのようだ。
吉本は、これらの点は、鶴見のいい点でもあり、弱点でもあると言っている。

それに対して、鶴見の見解が示されているわけではないが、対談の中で繰り返し披露される「シニズム」というのが一応の返答になるのではないか、と思う。つまり、余裕と見えるもののすべてではないが、ある部分はシニズムから生まれているとの自己省察があるようだ。
鶴見「わたしは自分の狭さをおそれずに言えば、政治に関するかぎりはシニシズムだな。~戦後の初めの5年間は、シニシズムに対しては失望的なことばかり起こったんだ。というのは、もう少し頑強に抵抗するであろうと思ったファシストが全部、生まれながらの民主主義者みたいな顔をして、どんどん論壇に登場してくるわけです。~、そのうちに、こと昭和35年以降、ついにひっくり返っちゃって、次々と戦後民主主義は虚妄だったとか、いろんなことを言い出した。そのとき、シニックとしては不思議な快楽があるんです。やっぱり自分の考えたカーブのとおりに動いた。その快楽は他人には伝えがたいね。~吉本さんは不必要に、バカ野郎、バカ野郎と言っている。そこが違うんだ。わたしはそこのところで楽しむから、それが出ない。」
このシニシズムは、当然のこととして自分の身も蝕む。それは、絶望に近い。
鶴見「わたしはあの戦争で死んだかもしれないわけで、いつもあの戦争より、より多く自分の目的に合っているかどうかを考えるのです。ここには、何の場合についてでも完全に自分の目的に合致する行動のチャンスはないだろうという人間の条件についての前提があります。わたしは、何でもそうとうなにせものだ、どんな政治目標でもにせものだと思うのです。安保闘争の目標だって、かなりにせの部分を含んでいた。~、しかしこの程度のにせなら、その人たちと同体に倒れたっていいという考え方でした。ベトナム反戦でも、わたしはこの運動のなかにあるにせの部分は小さくないと思います。しかし、自分にとっての反戦感情のもともとの原型である戦争体験と絡み合わせてみると、これで死んでもいいと思うのです。」
鶴見の思想的な寛容さは、戦争で死ぬ予定だった自分の「死者の目」から生まれている、という認識が語られている。そのような超越的な視点が、ある客観性を自分に対しても、もたらしている。
一方、吉本に対しての鶴見の批判は、その体系化、硬直、純粋さに向けている。
鶴見「(戦後マルクス主義に)対抗する力としてはあれだけごり押しにやらなきゃいけないんだということはわかるわけなんだけども、あんなに硬直した体系をつくらなくていいんじゃないか。」(言語にとって美とは何かを評して)
鶴見「わたしが吉本さんに一つ批判をもっているといえば、わたしには純粋な心情というのがいやだなという価値判断が抜きがたいのですよ。」
それに対して吉本は、体系といってもいくらでも修正できるようにつくってある、ということと、そのように硬直化や純粋化していくのは観念としての自然過程で、そこからもう一度、大衆的なものを見ていくというのが知識の過程である、ということを言っている。
吉本の話で印象的なのは、戦争中に自分は加害者であった、つまり戦争を熱烈に賛美していたということだと思うが、その時においても英語教師を学生らが吊し上げをすることに対しては嫌悪感があった、あったが結局吊し上げについていってしまう、という話。それで、絶対にいかなる吊し上げに対しても肯定しないと言っている。
ある共同性があって、それが個人をやっつけるというのに対する嫌悪感というのは、吉本の思想の源泉の1つが語られていることになる。そこから自己(あるいは他者)の内面性に対する擁護と、そこから共同体が生む心性とのズレへの鋭敏さと、それに裏付けられた理論化がなされた。
一方、鶴見は反戦主義者として軍隊に入り、そこで、ボソボソと軍隊への不安を陰でいっている万年3等兵みたいな人たちの中で、戦争中をどうにか生きてきた。

鶴見はズレる中に可能性を見、吉本はズレを理論化することに可能性を見ている。

二人の対談は、他の論点も面白いが、このことのバリエーションであるともいえる。そして、結局は、戦争経験や素質のちがいとしか言えないような地点まで二人の思想の地肌を露出させている。

そして、余裕のあるはずの鶴見が、安保闘争の国会突入した中で、死んでもいい、と、一見上は純粋な態度になり、純粋な吉本氏が、自分の命と引き替えにはできない、と一見上はとまどう態度になるという逆転が面白い。しかし、それは、二人の自分と社会(共同性)に対する考えからすれば、当然のことである。

さて、いきなりだが、ぼくが読みながら考えたのは以下である。
自分の立ち位置は、鶴見の方にどっちかといえば近いような気がする。時に、態度を余裕があるものとして、それが、たとえば、男である、という社会的立場に拠っているとして批判されることもある。また、何かを批判する人のその硬直ぶりが気にかかることもある。
しかし、こう思う。
何かを批判している人、怒っている人、切実な人が、硬直するのは当然のことである。また、一面的に見えるのも当然である。怒るという心的状態が、硬直する、ということと切り離せないものだからである。硬直しない怒りというのは、あり得ない。そして、それは、そのようなある意味不快な心的状態を代償にして、何かを訴えているのであり、それを思っても、耳を傾けるのが倫理である。
そこから、なるべく多くを受け取るべきである。
と同時に、自分が怒る時には、怒ることをやめずに、しかし、なるべく多面的に自分を見れたらと思う。なぜなら、怒りは、共同の心性に吸い上げられやすく、自分を見失いやすいからである。

しかし、鶴見はこうも言っている。

わたしが万が一、人を殺すようなことがあっても、殺すのはよくないという方向に何かの力で向いていたい。それは南無ということかもしれないし、何でもいい。紋切型にすぎない、そういう型が人間としては最終のことなんだ。それは言語とか人間の表現のかたちの、一種の抜けられざる宿命なんですよ。
# by isourou2 | 2012-02-29 00:06 | テキスト
日本精神分析(柄谷行人 文芸春秋 2002)
柄谷氏が「資本制=ネーション=ステート」の3位一体として現代社会を解釈しはじめたのは、2000年くらいかららしい。それから、何回か図書館から借りたけど読んでない大著「世界史の構造」(2010年)まで、10年間、いわばこのアイデアをずーーと書いている。おそらく、話は精緻化し構想は広大になっているのかもしれないが、基本的には同じことを言い続けている。
これは、どういうわけか。
「思想家」の誕生。
それが特異なものであっても文芸批評家としてやってきた柄谷氏は、批評対象がまずあって、それによって思考を展開してきた。しかし、2000年にいたって、柄谷氏は、批評対象の反射として変化する批評ではなく、自己の思想を定立しそのことを実践し追求する立場へとシフトチェンジした。
この「資本制=ネーション=ステート」というアイデアがどこから生まれたのか、何かの影響という風にも言っていない(と思う)以上、今までの思考を熟成したあげく天から降ってきたオリジナルなものということになるのだろう。ポストモダンな思潮を通り過ぎてきた以上オリジナルを標榜することはないだろうが、しかし、やはりこの思考に取り憑かれたのは、そのオリジナル性であり、また不謬性ゆえでしょう。
つまりは、「資本制=ネーション=ステート」を出せば、ハハーと伏す、印籠になっているわけです。
そして、この「日本精神分析」です。
ぼくは、柄谷氏のことをなんとなく気にしているという程度の人文書の読み方なのですが、それにしてもこんな本があるのは、知りませんでした。それは、たぶん、この本の奇妙な立ち位置にも拠っている気がします。
あとがきに
「つまり、本書はいつのまにか、芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎という大正作家についての文芸評論となった。私は文芸評論をやめたと考え、また、人にもそう言っていたので、これはわれながら意外であった。私は根っからの批評家なのか、と思った次第である。」
ここでの各作家の作品の取り扱いは、柄谷氏の問題意識にかなり強引に引き寄せたものになっています。菊池寛に至っては「今日話すことは、別に文学論ではないし、菊池寛論でもありません。話の成り行きから、それにふれないわけにはいかないという理由で、話すだけです。」という扱いです。しかし、それは熟練たる批評家としての余力も感じさせる、面白いものです。つまり、この本は、批評家と思想家の間で揺れる柄谷氏を看取できるわけです。
そして、根っからの批評家なのか、という慨嘆は、思想家になることの不安を暗に現してもいるような気がします。
ただ、批評から、つまり対象である文芸から、離れられないのは、単に長年の習慣という理由だけではないでしょう。それが、思想というものに付きまとう欠落を補填する相補的なものだからです。
文芸というものは、批評にも(1つの視点)にも還元できないし思想でもない、それらとの緊張関係にあります。
人間の感情の動きを捉えようとする文芸は、システムへの還元に対する緊張関係にあり、また、最終的にはシステムへの復讐を含むものです。
柄谷氏は
「私は、権力を志向する人間性は変わらないと思います。しかし、同時に、人間性がまったく変わらない、とも考えません。「人間性」は、菊池寛がそう考えたように、ちょっとしたシステムを変えるだけでかなり変わってしまうのです。」
と語っています。菊池寛がそう考えたかどうかはわかりませんが、、。システムがもたらす定型的な人間性の相関を描くのが文芸ならば、また、そこから踏み外す予測できない人間を描くのも文芸です。そして、柄谷氏が批評家であるのは、柄谷氏の意図とは異なるかもしれませんが、文芸の後者の側面と触れあう必要があるためでしょう。それは、批評の表には出てこないことなのかもしれませんが。
柄谷氏の文芸に対する評価の高さにはそういう機微があるような気がします。
柄谷氏は、日本文化の無原理性、包容性などについて「私は、社会科学、思想史、心理学などの本をたくさん読んできましたが、芥川の短編小説以上に洞察力をもったものに出会いませんでした。」と書いています。
これは、ものすごい高い評価ではないでしょうか。その小説は「神神の微笑」というものです。あんまりよく出来た小説でもないような気もしたのですが、、、。
話しは、逸れますが、でも、この明治・大正・昭和(高度成長くらいまで)の文学者は偉かったのではないか、、という気もこの本を読んでしてきました。古本屋で、チラと立ち読みしたのですが、金子光晴の「日本人の悲劇」という本があって、これは古代から現在に至るまでの日本の歴史を扱った本みたいだった。とにかく、自分なりに歴史を語るくらいの勉強は、なんとなく色と酒みたいな印象である金子光晴だってやっている。いや、たぶん、金子光晴の醒めた厭戦思想は、アジアからヨーロッパまで歩いた見聞と深い歴史認識がもたらしたものだったのかもしれないから、偉い人だったのかもしれず、でも、そのような人が結構いたような気がする。この本に出てくる坂口安吾にしても芥川にしても夏目漱石にしても然りだろう。
なんか今の文学者は、そういう感じでもないなぁ、と思う。これは、前回の鶴見俊輔に言わせれば、きっと「転向」の問題、あるいは転向を強いるほどの大きな社会変動の問題かもしれません。
話しを戻して、そういう批評家と思想家の振り幅の中から、「資本制=ネーション=ステート」の3位一体を武器に思想家として出立していった柄谷氏は、その思想の実践として、NAMという運動をはじめ、Qという市民通貨を発行を始めた。本も「生産協同組合」から出すようになり、活発に活動をしました。(ここは、「ニッポンの思想」(佐々木敦より))しかし、この運動は、メンバー間のトラブルなど複数の問題によって、2年半で潰れてしまう。この経緯については、今もって、明らかにされていないことが多いらしいです。ぼくも、きちんとした説明や総括を読んだことがありません。しかし、ぼくは、勝手に、これは文芸の復讐ではないか、と思っています。
つまり、このような世界全体の解釈をする思想(理論)は、その間隙から文芸的なものが侵入し、復讐するに至る。
ぼくは、柄谷氏は、文芸を対象をする批評へと戻ってくるか、小説を書くようになるかもしれないと思います。
# by isourou2 | 2012-02-10 22:35 | テキスト
戦時期日本の精神史1931ー1945(鶴見俊輔 岩波書店1982)
鶴見俊輔のイメージというのは、思想界の淀川長治、というか、、、。
いつもニコニコして、良かったですねぇ、と言うというイメージであった。
しかし、「日本人の振り幅」という対談で橋本文三氏が言っている。
「ぼくの印象に残ってた鶴見さんというのは、日本に生きているよりもロシアに生きて、ドストエフスキーの作品の人物になったほうがいいというイメージをもっていた時期があったんです。~、非常に暗かったですね。その暗さがふつうの暗さと違うんだ。あれはドストエフスキーしか書けないような暗さだとぼくは勝手に考えた。」
同じ対談で鶴見氏は、自分のことをこう言っている。
「やさしさじゃないんです。鈍になったんだ。それだけが振り幅なんだ。自分の予測できなかった大きな揺れ。びっくりしたな。これがわたしにとって少なくとも主観的には人生最大の転向なんですよ。~、つまりペシミズムからの転向ですよ。」
この著作の元になったのは、カナダの大学での英語での1979年から80年にかけての講義だから、先の対談(1977年)以降だ。それにも関わらず、ここには、かなりの複雑さを持った鶴見俊輔の姿がある。未明の深みに沈殿する思考というのが続いている。
そして思えばこの本の翌年には、浅田彰の「構造と力」が出てニューアカブームが起こるのだから、この本で鶴見氏が追求している「転向」ということ柱にした様々は、何とも「暗い」主題に思える。スキゾキッズとか言っていたのでは、「転向」という主題は出てこない。ような気もするが、そうでもない。ここで展開されている思考は、おそらく浅田彰が理念として現そうとしたことが、無理のない形で実現されているようでもある。
この無数のエピソードがちりばめられた本は、そもそもエッセイなのか思想書なのか歴史書なのかもよく分からない。
原理や理念に還元できないということを前提として、それでも枠組みを作りながら生きていく人間をその振り幅の中で浮かび上がらせるような、常に決定できなさを含んだ思考が行われている。
この本の底に流れるのは、吉本隆明の「転向」論との相克だと思う。(たぶん、浅田彰の仮想敵も吉本だったのではないだろうか。)
先の対談では鶴見氏は
「吉本の視点は画期的なものなんだが、~、そんなに非転向というものを簡単化してはいけない。非転向が1つの思想として生きられたものとすれば、必ずそれは揺れ幅をもっていたし、自らの揺れ幅に対する計算をふくんでいたと思うんです。こういう状況に入ったら自分はこういう風に揺れるんだろうなということが、あらかじめ自分のなかで大きな勘としてとらえられている。そういう思想の設計をするのでなければ、思想として重大ではないとわたしは思うんです。」
吉本氏の転向論は読んでないけど、この本での説明では以下のようだ。
「転向とは、近代日本の社会構造に自分自身を投入して考えることに失敗した結果、知識人のあいだに起こった観点の移動である。このように定義することによって、吉本は1930年代の状況と有効に取り組むことのできなかったすべての例を転向という中に入れました。転向はそのとき、すべての非効果的な思考に対するもう一つの名前となり、獄中共産党によってなされた非転向を含むことになります。」
これは、たしかになかなか鋭い着想っぽいです。ここには、「大衆と知識人」「理論と現実」などの問題系が含まれそうです。一方、鶴見氏の転向の定義は、がっかりするほど常識的です。
「国家の強制力行使の結果として、個人あるいは個人の集団に起こる思想の変化」。
吉本氏の定義が国家の強制力による変化と見えることを、知識人の自らが抱える問題の顕在化という捉え返しをしているのに対して、鶴見氏の見解には面白味がないような気がします。しかし、鶴見氏が見ようとするのは、(ここが独特なところですが)「私は転向の結果として現れたさまざまな思想の中から実りあるものを明らかにしたいという希望を持っています。」ということです。
転向(非転向)を単に錯誤の面から見ようとするのではなく、現実の中にある思想とはあらかじめズレと振り幅を持っていて、そこに希望をみる考えとの違いともいえそうです。そう言った意味において、どこか人生につきまとうペーソスが感じられる本でもあります。
そして、ここにおいて、思想界の淀川長治、という印象はおそらくそれほど間違ったものでもないと思い当たります。(たぶん、淀川さんも暗くて複雑な人だったのでしょう。よく知らないけど、、、。さよなら、さよなら、さよなら。)
# by isourou2 | 2012-02-10 22:33 | テキスト
「生活者」とはだれかー自律的市民像の系譜(天野正子 中公新書)
「生活」というエレファントカシマシのアルバムがあったような。やたらに、ボーカルの音圧(音量)が大きかったことを覚えている。たぶん、通して聞いたことはない。
しかし、このバンドには、文人気質があり、そこで描かれる生活とは、何かに破れた後に発見される日常、という趣きであった。それは、単身者、もしくは、時流に乗れずに孤立している若者、の視点であったと思うが、太宰治にあっては、発見されたのは「家庭」「市民生活」だったこともあった。
この本には、もちろん、エレファントカシマシも太宰治も出てこない。
しかし、働いて食べて寝て、みたいなことを生活と呼ぶのならば、それは誰もがしていることで、ことさらに、言葉にしなくてもよい。
生活、というのは、何かとの対比において、そして多くの場合、その何かが破れたり危機に陥ったりしている時に、改めて意味をもって浮上してくる概念なのである。
だから、それが言われた時の状況の中に、その言葉を、その言葉を使う人の意図の元に再現することをしないと、意味していることは分からない。
この本は、そういうことをしている。
対比しているものに対して、生活、という言葉にこめられている思いは、それが「永遠の相貌」を持って現れるということである。
たしかに、働いて食べて寝て、などという繰り返しは、これは人間であるかぎりは、永遠、である。
しかし、それがそう意識されるのは、「永遠ではない」という思いが、対比されているものに対してあるためだ。
そして、生活を永遠である、と意識することに重点を置くのは、対比されているものに対する牽制でもあり、浮き上がる凧に重石を下げるようなことでもあり、畢きょう、先鋭的な思想にはなりえない。
そのためもあり、この本でとりあげられている様々な人たちの一般的な評価は様々であっても、どことなくパンチが足りない、、というか、ぼくにとって、物足りない感じがあった人たちである。
その中で、今和次郎は、ある意味例外的であるが、彼も赤瀬川原平などの鋭い着眼により再評価がなければ、これまた地味な存在になっていた可能性もある。
そういう人たち、知っているけどなんとなくよく知らないみたいなところが、ぼくにとってあった人たちに対する解説書としても、この本を読んだ。
そして、それは、おもしろかった。
何かの対比として、生活の浮上、があるにしても、もちろん、その先がある。
その生活の中に、その何か、あるいは別の何かを、代入するという作業である。
生活に対比されるような何かではなく、生活と何かを表裏一体に結合する地点の探求である。
この本で取り上げられていて、興味深かったのは、生活クラブ生協、の活動である。
ぼくの中で、生活クラブ生協、の印象はすこぶるいい。
数少ない生活クラブ生協の直営店(基本が宅配のため)の近くに居候をしていたことがあり、その店を愛用していた。
とにかく、その店の豆腐がうまかった。あれほどうまい豆腐を、たしかにグレードアップをスーパーの豆腐がしているにしろ、今までに味わったことがない。しかも、それは決して高くはなかった。
そして、店の雰囲気も、ある活気とざっくばらんさがあり、なんとなく行くとうれしくなる感じがした。
生活クラブ生協の活動については、この本の白眉である。
そこだけでも読んでみたらいいかもしれない。
そして、豆腐がうまい。
本当に。
# by isourou2 | 2012-01-17 00:57 | テキスト
革命の夜、いつもの朝( ウィリアム・クライン )
GAOで50円でレンタルしました。
GAOは不思議とそれなりの作品が偶然のようにあったりする。
フランスの68年の5月革命のドキュメンタリー。
映像の撮り方もかっこいいし、編集もテンポがいいので、まるでヌーベルバーグのようなドキュメンタリーだが、その根本的な理由は、占拠された路上や大学や工場などの空間が、一種の劇場空間に変化しているためだと思う。
人々が語りあい、表現する空間として現出していた。
日常の意味から解かれた空間では、だれもが少し俳優のようになり、お互いが見るー見られる空間になる。
カメラはそこを泳いでいる。路上が高揚している。高揚しているが、それが何だか生活と地続きな感じがある。
ひっくり返った車に登って記念撮影をしたり、デモといっても生活空間を歩いている感じがした。
「路上に権力を」というスローガンが説得力が持つことがあることをこの映像を見て理解した。
とにかく、路上で見知らぬ人同士があちこちで議論をしている様子は、圧倒的に印象深い。その様子は、見る人によっては退屈なのかもしれないが、ぼくにとってはとても刺激的だった。「公共空間」のイメージの原型がここにはある。また、学生たちの抵抗組織の中で、女性の数は多いとは言えないものの対等感をもって存在していることが新鮮に思えた。
一方、路上(デモ)から辞任を迫られているドゴール大統領のしたたかさも印象的だ。民主主義の意味を選挙に限定することによって、路上に沸き上がっている声と行動の意味を奪おうとする。
ドゴールの演説は壊れかけたテレビの乱れた映像で終始表されている。その演出が意図するところは明白だろう。
路上に持ち出されたラジオによって、人々は同時にドゴールの演説をきき、ヤジり、憤慨する。
路上に力がある様が見ることができる、それだけでも貴重なドキュメンタリーである。
# by isourou2 | 2011-12-23 22:06 | 映像


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