日本の路地を旅する(上原善広 文芸春秋)

昔自分が住んだことがある土地を訪れるのは、その場所がどのようになっていようと、不思議な感覚がするものだ。
特に幼年時分の土地ならば、まるで現在の風景が茹で卵の殻で、それをゆっくり剥いていくと昔の風景が姿を表してくるように感じる。そちらの方が真実で、今ある風景はどこか現実感が薄い。少しずつ、幼年期の感覚が自分の中に戻ってくるようでもある。それは、大人の今からみれば細部が拡大されている。
生きていく中には、取り返しのつかないことも多い。
旅には、前向きのところと後ろ向きのところが混ざっている。この本には、旅の前向きのところと後ろ向きのところがよく描かれている。後ろ向きなところは、内面に向かう。当然、幼年時代のことにも向かう。前向きのところからは、各地の「路地=被差別部落」の歴史や現在が描かれている。丹念に調べられ、興味深い史実の数々が書かれてある。
薄暗いところには、気配がある。薄暗いところへ向かう心性には、気配を感じたいという気持ちがある。それは、物の外形ではない、真実みたいなものを感じたいということである。著者は、あちこちの飲み屋で酒を飲んでいる。その場所自体も薄暗いのだが、この人の酩酊も意識の薄暗さである。現実がゆで卵の殻で記憶や過去に真実があると感じるのも薄暗さへの志向である。
現実を生きるというのは、耐えがたいことである。明るみに出ている現実と、薄暗さを行ったり来たりは、だれもがすることである。
薄暗さの魔にやられてしまった人はなかなか現実に戻ることができない。犯罪を犯して、沖縄に逃げた兄に著者が再会してみると、とても暗くて無口な女と暮らしている。沖縄で著者が探しているのは、兄だけではなく、「京太郎」という京都の路地から琉球に流れてきた被差別民である。その京太郎は、門付けの芸事をしていた人たちだが、現在は伝統芸能として伝承されている。その歌は、恨み節が多い。この著者の旅の両面において、次第に高まってくるブルースが、最終章の沖縄で結合するようになっている。
著者の旅は、行き当たりばったりである。(わたしもそういう旅が好みである。)。日本の路地を旅するという目的こそあれど、意気込みにも濃淡があって、時には糸の切れた凧のように途方にくれている。著者は、切れたままになっている路地と路地を紡ぐ糸になりたいとはじめに書く。また、ばらばらになってしまった家族をつなぐ糸になりたいというのもあるだろう。しかし、それは、どちらもうまくいっているとはいえない。最後には、路地と路地を紡ぐというのは思い上がりで、「少しずつ自分の心の中で傷つき途切れた糸をつむいでいたのだろう」と書いている。薄暗さに向かう性向があれども、薄暗さを描くことは薄暗いことではない。今は、人間の業のようなものを書いていきたいとただそれだけを思っている、と著者は書く。弦の切れかかったギターで歌うブルースは行き当たりばったりのもので、構成も整序されたものではありえない。そのような紡ぎ方は、著者の物語の作り方でもある。
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by isourou2 | 2011-05-29 23:06 | テキスト


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