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大阪発公園SOS 私たちのコモンセンスー公園感覚(都市と公園ネットワーク 都市文化社1994)

市民運動からみた「公園」の現在抱えている危機的状況については、よく網羅されている本だと思う。現在といっても1994年に出版された今から20年前近いの本だけど、ここで語られている公園の状態は、現在ぼくが関わっている都内公園(宮下公園)の1企業による改造にそのまま通じている。
宮下公園は、ホームレス排除反対の面があるので、運動としては違いはあるけど、この本でも、ホームレス問題については、ある程度の記述もスタンスもある。
具体的な大阪の公園での事例や運動の紹介も参考になるが、この本の白眉は、第二章の「私たちの公園観」だろう。運動をしている人が、歴史を踏まえた自分たちのパースペクティブを持つのは困難なことなのだ。たぶん、この地味な本の中のもっとも地味な部分なのだが、これは、市民(利用者)の手によって公園が作られるべき、という結論に至る視点で的確にまとめられた画期的な公園通史である。
これまでの公園通史は、行政の視点からまとめられたものがほとんどであるだけに評価すべきところだと思う。また、公園通史というと東京の公園に偏重するのが常のところ、大阪の公園通史というところが貴重である。
ただ、行政の視点といっても、時代によってまた人によって多様であるというのも、公園の歴史から分かることでもある。
明治の社会主義者たちが、都市の公共性という観点から積極的に公園を論じ、それが公園の法制化や実務を担った「都市専門官僚」たちに影響を与えたというのは、はじめて知る知見であった。インテリである官僚の中に、社会主義や共産主義の影響があるという大正時代の状況は、現在からはちょっと想像がつかない。
「公園は民衆の公園であって公園などへ行かなくとも自家に庭園を所有し娯楽機関を備えつけてあるやうな少数者の趣味に投ずるが如き所謂高尚な数奇を凝らした箱庭式の公園よりも満足な住居を持たず公園を自己の庭園として唯一の慰安休養の地と考えて居るやうな人々の趣味要求を標準として彼等の最も利用し易かるべき無産者階級の公園、民衆的公園たらしむることが最も必要であろう、、。」
というのが、大阪市社会部調査課の発行した本の文章である。もっともな内容だが、果たしてこれが今日の行政から考えられるだろうか。(ただ、革新都政であった時期の建設局がだした「東京の公園百年」では、序文に美濃部亮吉知事が「東京の公園100年の歴史には、つねに市民の側にたって、ともすれば国家の意志と都合に左右されがちな公園を真に民衆の生活の場として定着され、はぐくもうとする貴重なたたかいが秘められています。」と書いていたりする例もある。)
大正時代に表明された公園の高い理念を現在超えているのか、という作者の反問は当然でてくる思いであることがこの章を読むと分かる。
この本の中に出てくる現在の大阪の公園を潰していく役人たちや日常ぼくたちが接する役人や政治家の理念のなさ考えのなさに比べると、昔の役人には偉い人が多かったのではないか、、、という感じがどうしてもするところがある。
この本の他の章で記載されている大阪の公園の商業主義を優先させる惨状は、出版時以後も、イベント主義と公園からの野宿者排除という形で進行している。東京では、大阪ほどの不見識はなかったと思うが、いよいよ宮下公園を端緒に同じようなことが起こりはじめようとしているようだ。
そのような意味でも、この本は古びない内容を持つものだと思う。
by isourou2 | 2011-06-06 18:56


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