長い道(宮崎かづゑ みすず書房 2012)

 10歳まで過ごした岡山の村での暮らしの記述は、いままで読んだ誰のものより、昭和はじめの農村の子供の暮らしが、スッと胸に落ちるようだった。宮本常一や柳田国男らの学者の書いたものより、ずっと実感がこもって分かる気がした。これは、すごいことだ。宮崎さんはハンセン病を発症して、10歳から瀬戸内海に浮かぶ島にある長島愛生園に暮らすことになり、80歳のころから文章をかくようになった。宮崎さんは、本の世界が好きで、特に外国の暮らしや風景が事細かく描かれている物語が好みらしいので、そういう影響もあって、こんなにきめこまかく故郷の暮らしを描くことが出来たのかもしれない。近頃、同じくハンセン病の隔離施設である大島療養所に入所した夫婦を描いたドキュメンタリー「61ha絆」を見たところだった。また、友人が多摩全生園の掃除を短期バイトでやったので、ハンセン病の療養所に縁があるような気がして手にとった一冊だったが、一気に読んだ。
 「魂に磨きがかかり、美しい光を放ち、そしてその光は歳をとるごとに輝きを増して」という文章がこの本にある。友人のトヨさんについての言葉だ。これは、安易な言葉ではない。むしろ複雑な言葉だと思う。でも、そういうことはあるのだと思う。魂、や、裸の心、といったものは人それぞれ光っていて、その光が磨きがかかっていくということが。この本は、宮崎さん自身もどのように磨かれてきたのか、ということがよく分かるように表現されている。率直で明晰な言葉がたくさんある。そういう意味で、この本には光がある。先の文章の前には「苦しみが彼女の心をざぶざぶと洗い流していたかのように」とあるが、この本を読むこともまた、心を洗い流されるような経験であった。
 『手のいい皆さんと同じようにできなくても、ひとつひとつ、自分流にやっていけばいいんだと、あるときに会得したのだと思います。世のやり方を全部御破算にして、「私ならどうするか」というやり方があることを見つけたんですね。』
 この世のやり方を全部御破算にして、という言葉。この言葉が強さと同時にしなやかさを感じさせる、宮崎さんの気持ちの位置。こういう言葉をこういう風にはなかなか言えない。
 正直に言えば、胸を掴まれ何度も涙をこらえきれなかった。なんというか、泣くしかないポイントというのはあって、泣くということは悲しいというのと違うし、また笑うというのも楽しいのとも違う、表現しようのない複雑な気持ちだからこそ身体が反応する何かなんだろうと思う。たとえば、宮崎さんが足を切断した後、はじめて母親が宮崎さんの面会に来た時のこと『母は遠くから私を見つけると、にこにこしながらも、ほろほろほろほろと泣いていました。私は笑って「なんでもない、なんでもない。元気になったんだよ」って言いました。でも、ほんとうはつらかった。』という場合の笑いや涙が、それらの本質をよく表している。それほどウエットのところがないにも拘わらずこの本で多くの人がきっと泣くだろう。でも、泣くだけではなく、その後には、その複雑さについて考える、ことになると思う。
 宮崎さんは、初代園長の光田健輔氏について、悪く書いていない。「私は光田先生に世間の風から守ってもらったと思っています。」。一方で、光田氏は医師としてハンセン病患者の隔離政策を推進した第一人者であり、近年厳しく批判されている。そういう意味では、ハンセン病のことを知るには他の本も併読する方がよいような気がする。たとえば、宮坂道夫「ハンセン病重監房の記録」という本を読んでみたが、そこでは光田氏の言動を<世界最悪のパターナリズム>と書いている。パターナリズムとは、「当事者のあいだに力の不均衡があり「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振る舞うべきだという価値観」。光田氏は、入所者に慈父のように振る舞う一方で、逆らう入所者に対しては厳罰をもって臨み栗生楽泉園の重監獄では多くの死亡者を出している。ここでの宮崎さんの言葉は、パターナリズムを被った人のもののようにも読める。それは、10歳で入所した宮崎さんにとっては強い実感であるのだろうとも思う。また、この本では入所者たちの園に対する闘いについては触れられていない。
 トヨさんのまわりの人への感謝の気持ち、、、それは、ご本人が磨きあげたものであるにしても、そのように磨く以外にやりようがない追いつめられたものでもあるのだろう。長島愛生園の江谷医師の誠実な付記にもトヨさんについて「不遇といわれて致し方ない境遇をくぐりぬけてきておられるのに、なぜ、これほど感謝の気持ちで人と接することができるのか、自身に課された運命を恨まず過ごせるのか、日々驚きの連続でした。一方で、痛みに対して,日々の生活に対して、とても強いこだわりのある方でした。それが、ご本人の内に秘めておられた病気や過去への恐怖感に基づくものであることは、想像に難くないことでした。」とある。トヨさんのこだわりの内容と理由について気になるが、それは読んでも分からなかった。宮崎さんもトヨさんのことをこうも書いている。
 「でも、すべてわかっている、信じ合っている、そのときはそう思っていても、もうちょっと言葉をかけてあげればよかった、もうちょっと苦しみをたずねてあげればよかった、なんて私は鈍感なんだ、という気持ちがこみあげてきて、居ないことの不自然さに慣れることなんてとてもできなかった。」
語ることができないことや、語られなかったことは、たくさんあるだろう。そのことが、大切なことが明晰に語られるこの本からは感じられる。宮崎さんの文章からは、戦争時や戦後の療養園で、学校にも通えず体に負担になる重作業をさせられているのが分かるし、そこでの人間関係もしんどいものであることが伝わってくる。しかし、宮崎さんは、国や社会や他者の責任を問うことを直接的にしていない。それが、ぼくたちの社会の免責はいささかも意味しないと思う。宮崎さんには人間に対する強い肯定と深い深い諦念がある。
 宮崎さんがトヨさんに語りかける形の詩があるが、そこにはこれらのことがよく表されている気がした。
「トヨちゃん
あんたはらいを全身で受け止めたのに、苦しみは一度も口にせずに逝ったねえ
宇宙の彼方に幸せの塊の星があるとしたらあんたはそこに行ったんだねえ
私にはとうていそんな資格はありませんよ
愚痴は言うし、眼が痛い痛いと今年は言いつづけてろくなヤツじゃない
だからあんたにはもう永遠に会えないんだよねえ
ありがとう、トヨちゃん
もう人間はやめようね
私もそれだけは、、、
生まれ変わってきたいなどと思わないんだよ
あんたはきっと、人間というどうしようもない動物から卒業できたんだと思う
だからあんなに卒業試験が苦しかったんだよ
そして卒業試験を合格したんだよ
(略)」
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by isourou2 | 2012-12-27 00:37 | テキスト


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