坂口安吾全集5(ちくま文庫 1990)

坂口安吾を面白くないと思っていた。構成はぎこちないし、理屈が勝ちすぎてるし、なにより文章が下手だ。小説の繊細さを崇める一方、力技で壊そうとして逆に型にはまる、、腕力を持て余したボクサーが影と戦い消耗しているようなそんな印象。要は不良は不良でも消化不良なのだ。中上健次もまたぼくの中では同じような印象があり、なんで評価が高いのかよく分からない作家の一人だ。坂口安吾は、例えば太宰治の自在さとは天と地ほどの差がある。と思っていた。しかし、この全集5を読んで印象は一変した。
全部面白い、しかも駄作ほど面白い。(ただし、時代物である「2流の人」は読んでない。時代物やSFは、ぼくはなぜか関心が持てない)。この巻では、22年4月から23年1月にかけての10ヶ月間で発表した小説が集められている。よくぞこれだけ書いたものだ。きっと他にもエッセイなども書いているにちがいないから大変な熱量だ。坂口が乗りに乗っているのがよく分かる。ここでの坂口の筆はぎこちなさを脱し、自在さを獲得している。時代の無意識と作家の無意識が同調して、自分のどこを取り出してみてもかまわない状態がその自在を作り出している。戦後の焼け跡、それは坂口にとっての故郷であると同時に、坂口に活躍の場を保証するものであり、リアリティを与えるものであり、それだからこそ、坂口はこれほどの熱量をもって発言し小説を書き飛ばしたのである。ちがう文庫についていた作家の年譜をみて、坂口が50歳にも満たずに、1955年に亡くなっていることを知って、時代というものを考えさせられた。坂口は終戦時から10年間しか活躍していない。「もはや戦後ではない」と経済白書が言ったのが1956年であり、すでに経済は戦前の水準まで復調した。何より、焼け跡はなくなり露天商はマーケットにマーケットはデパートに姿を変えた。そのような時代の地殻変化を予示するかのように坂口は亡くなったのだと思う。後知恵にすぎないこのような感傷的な言い方が許されるとおもうのは、それだけ戦後の焼け跡の時空に坂口が深く一体だったためである。そのような特権的な芸術家はそれほどいるものではない。(ぼくが、思い出すのは、例えば、99年に若くして亡くなったフィッシュマンズの佐藤伸治のことである。90年代の都市に生きる20代30代の心情を深く描いた彼が、911後にどういう音楽が作れたのかと思うと、やはり時代というものの持ちえる冷酷な切迫を感じる。)
坂口にとって、なんで焼け跡が故郷であり「なつかしいもの」なのか。それは、そこに真実の人間の姿、裸の人間の姿があったからだ。この巻の小説において、それは繰り返し描かれている。ラテン語を解し、プラトンを論じていた哲学者が、焼け跡で飲み屋をはじめ闇屋になり金の亡者と化す(金銭無情)、特高隊員が生き残って女の取り合いをする(決闘)、仮に舞台が焼け跡でないとしても、既成の価値観が瓦解したあるいは通用しない場や心情で生きている人たちが好んで描かれる。つまりは、焼け跡で露呈する裸の人間の実質、が様々なバリエーションで描かれている。
人間の実質というのは、国や共同体がお仕着せで押しつける価値や制度ではない。それが、焼け跡で鮮明に現前化したがゆえに、坂口にとって焼け跡が故郷なのである。ただ、坂口がそのような人間の実質を単純に好んでいたわけではないだろう。むしろ、そのような俗に染まれない自分というものを思うがゆえに、そのような「実質」に愛着したという側面があったにちがいない。そのような「実質」に生きている人間は、評価などはしないし、もちろんそれを称揚しない。焼け跡が人間の実質だ、としたところに、坂口の小説の面白さが起因していると同時に限界もそこにあるだろう。焼け跡が「実質」なら、所与の制度や価値観に作られるのも人間の「実質」だからだ。どっちがどっち、というものではない。むしろ、焼け跡の「人間」は、状況の変化に依存する人間の可塑性を表しはするが、「裸の人間」というのはどこにもない幻想というべきか。焼け跡を「実質」とするのも、一つの型になり、それは坂口の小説の造形に単調さを作りだし、やがては桎梏になるのが予感される。坂口が、仮に幻想だとしても、手応えのある幻想を足場にして身を投じたのは、戦中兵隊にもならず左翼にもならなかった彼の「暗い青春」の代償が見いだしたものが焼け跡だったためだろう。「焼け跡」に可能性をみて、それに最大の賭け金を差し出したのが坂口の魅力だった。それが、存分に水を得ているのが、きっとこの時期の作品群だろうと思う。
[PR]
by isourou2 | 2014-03-18 02:34 | テキスト


日々触れたものの感想をかきます。


by isourou2

プロフィールを見る

カテゴリ

全体
音楽
テキスト
映像
未分類

以前の記事

2017年 05月
2016年 11月
2016年 08月
2016年 05月
2016年 02月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 03月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 06月
2013年 04月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 05月
2007年 01月
2006年 12月

お気に入りブログ

ホームレス文化

最新の記事

私に構わないで(ハナ・ユシッ..
at 2017-05-31 20:32
心理(荒川洋治 みすず書房2..
at 2016-11-13 00:20
蜘蛛女のキス(プイグ 野谷文..
at 2016-08-06 21:10
ポメラ
at 2016-05-13 00:06
日本人の英語はなぜ間違うのか..
at 2016-02-07 01:29
闇市(マイク・モラスキー編 ..
at 2015-12-16 19:55
ルポ過激派組織IS ジハーデ..
at 2015-11-23 22:09
英作文なんかこわくない(猪野..
at 2015-09-23 01:31
英会話なるほどフレーズ100..
at 2015-07-27 00:46
生存権ーいまを生きるあなたに..
at 2015-07-08 19:36
銃殺(ジョセフ・ロージー 1..
at 2015-07-08 18:00
奇怪ねー台湾(青木由香 東洋..
at 2015-07-05 23:51
物語 近現代ギリシャの歴史~..
at 2015-07-05 23:50
独学者のための英語学習本ガイ..
at 2015-04-15 00:31
通じる英語・上達のコツ(平澤..
at 2015-02-17 22:56

この記事に対する感想は

abcisoourou@gmail.com(abcを削ってください)
まで
お願いします

外部リンク

その他のジャンル