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独学者のための英語学習本ガイドコーナー その2

●「日本人の英語」「続日本人の英語」「実践 日本人の英語」「心にとどく英語」(マーク・ピーターセン 岩波新書)

英語学習本には、外国人(ネィティブ)が日本人に向けて書いたという1ジャンルがある。その代表格がマークさんだろう。同ジャンルには、T.Dミルトン(ここがおかしい日本人の英文法)、ロジャー・バルバース(ほんとうの英語がわかる)、ディビッド・セインなど。その中で、マークさんの特徴は、自分で日本語の文章を書いているということだろう。後の人は、英語で書いたものを翻訳して本にしている。マークさんの日本語はちょっと信じられないほどに上手ではある。ただ、本人は「日本人の小説や優れたエッセイなどを読んだあとに自分の書いた日本語を読むと、どことなく不自然に感じる。」(実践)とする。それが感じられるというのだけでも卓越した日本語の感覚があるわけである。しかし、たしかにどことなく不自然にはちがいない。そのことから、分かることもある。つまり、日本人が英語で書く時に誤りやすいことを指摘したこのシリースの中で、マークさんが説明していることを逆にしたことが、英語を母国語とする人の日本語の使い方にもいえる。たとえば、英語は論理関係を大切にするのに、日本人は、論理関係を示す接続詞の使い方に神経が行き届いていないという指摘。マークさんの日本語が不自然である1つの理由は、ちょうどその逆で、日本語としては必要以上に論理関係をはっきりさせる、文章のつなぎ方をしているためである。日本語だったら、読み手で補うことが出来る「つなぎ」については、多少あいまいになっても省く方がすっきりするわけである。また、英文がぶつ切りになってしまう英文を子供っぽくみえると指摘しているが、逆にマークさんの日本語は長すぎるところがある。
語学の学習の目的が、とりあえずのコミュニケーション能力の確保を超えて、他の言語のくせや構造を知ることを通して、母語のくせや構造を知ることだとすれば、このようなことが分かるのは非常に有益なことだろう。ぼくなどは、まずは外国語をまるで話せない状態をどうにかしたいわけだが、本当に興味があるのは、言葉の構造を実感としても知ることである。なぜならば、母語のくせや構造が自分の考え方を大いに規定しているに違いないためである。

英語学習本を大きく2つ、ネィティブの発想・発音・綴り方を手本にそれに近づくべきだとするもの、と、通じれば日本人らしい英語でもよいとするもの、に分けることが可能かと思う。
もちろん、多数は前者であり、マークさんの本もまたそうである。後者は少数派だが、会話を中心にした本にそういう傾向の本が多く根強い人気がある。文章と会話という違いもあるにせよ、この2つの考えには溝があり、これらの本を同時に読むと混乱してしまうところもある。
マークさんは、日本人英語、カタカナ英語は、「もったいない」という立場である。つまり、英語は何が何でもネィティブに近づくべきという無理強いはしないものの、日本人英語では、誤解されやすく、内容が子供っぽく軽く見られることになるので「もったいない」というわけである。さらに、英語の使い分けが日本人に難しいように、日本語学習者が日本語の使い分けが難しいのであるから、それは「お互いさまの問題」で、お互いの言葉の論理を身につけていくしかない、というのがマークさんの持論である。
しかし、これにはぼくは簡単に説得されない。英語と日本語の間には、圧倒的な不均衡がある。英語は、半ば強制的に学ばなければいけないものとして日本人にとってあるが、日本語はそのようなものとして英語を母語にする人にあるわけではない。日本に住んでも英語のみで生活している人も多いだろう。日本語の習得に苦心するマークさんという個人とはお互いさまといえるだろうが、それは特殊なケースである。日本人英語を日本にくる人は勉強するか、または、国際語としての英語を英語そのものとは違うもの(簡略化したり)にするかして、ようやくその不均衡は少し是正され、お互いさま、といえる状態に一歩近づくことになるのではないか。
そういうことがなされないまま、ぼくたちは国際語としての英語の勉強を強いられているわけである。英語の勉強は、そのような不当な一面をかみしめることでもあることをマークさんは理解していないし、できないだろう。
そして、英語本の後者の立場は、その不当さの認識に意識的無意識的に立脚しているはずである。

マークさんの本はどれもためになるいい本だと思うのだが、その例文の選択において女性に対して否定的なものが多いのはどうしたことだろう。「心にとどく英語」では、意志貫徹の会話術という章に「女を侮辱する表現あれこれ」というものすらある。対になって「男を侮辱する表現あれこれ」があるならまだ分かるが、それはない。何か、女性に恨みかコンプレックスでもあるのか、それがマークさんの日本への愛着に関係でもしているのか、と勘ぐってしまう。たぶん、読むと不快になる人もいるのではないだろうか。

どの本もいいと思うが、英語の勉強するならおすすめは「日本人の英語」「実践日本人の英語」「続日本人の英語」「心にとどく英語」の順。

●ほんとうの英語がわかる(ロジャー・パルバース 上杉隼人 新潮社2001)

何度も版を改めている本である。英単語のうち、日本人が誤解しがちな単語について詳しく解説した本である。有益そうでしょ。しかし!この本の翻訳は、ひどすぎる。読むのが苦痛なほどひどい。いくら内容が良くても、これでは読む度にうんざりする。
翻訳がひどいと断定する理由は、訳者が後書きで、ロジャーさんの英文の見事さを「英語特有の音声と比喩の美しさをここまで引き出せる作家は、なかなか今の時代には少ないと思います」とまで誉めているのを一応信用するためである。そうだすると、日本語としてここまで読む気をなくさせる翻訳は、なかなか今の時代には少ないと思います、ということになる。理由は、これまた、単純でおもっきり直訳だからである。美しい英文をそのまま訳しても、美しい日本語にはならないのは当然である。訳者としては、英語表現の型を日本語への直訳を通して学ばせたいと考えているかもしれないが、それはいかに日本語として不自然かを通してしか学ぶことが出来ず、そのようなことが文章に対しての繊細さを持つだろう作者の意にかなったやり方とは到底思えない。読解のための注をつける形で英文のまま出版した方が余程ましだろう。
訳の意図が奈辺にあるかよりも、そもそも日本語に対してのセンスが訳者に欠落している問題のような気もする。そして、他の著作も同じ上杉氏に翻訳されているロジャー・バルパース氏は、不幸としか言いようがない。他の本を確認したわけではないが、この翻訳をみる限り、とても期待はできない。
もっとも、ロジャーさんは日本に住み日本語も使えるとのことだから、訳文のひどさに気がついても良さそうなものだ。もし気がついていないのなら、例え外国語が堪能になっても、母語の言い回しや構造にそっている文章について問題点を把握することが外国人にとっていかに困難であるかを示しているのかもしれない。
ともあれ、いつまでもこの翻訳のままで本を出し続けている出版社の見識を疑う一冊である。

*アマゾンの評を見てみたら、訳文が読みやすいという評価はあっても、読みにくいというのはなかった。うーーん、ちょっと言い過ぎたのかな。
適当に抜粋してみると「人間は、望ましい、あるいは理論的な意味にことばを落ち着かせようとします。ことばは1つの形から始まりますが、普通に使われているうちにだんだん変わってくるのかもしれません。」
なんだか分かりにくい上に、「人間は、望ましい、あるいは~」のような言い方は日本語としては、翻訳の中にしかないと思う。
「ぼくが1967年に日本の土を初めて踏んでからというもの、ほんとに目まぐるしいほどの変化がありました。当時はまだグレープフルーツが輸入自由化されていませんでした。それが自由化されて、ぼくはうれしいです。自由(FREEDOM)はいいことです。グレープフルーツのとっても。」
たぶ著者がユーモアをこめた部分だと思うけど、訳が下手でそれが伝わってこない。「それが自由化されて」などの代名詞を訳しすぎ。短文の効果も生きていない。グレープフルーツにとって、なぜ自由化がいいことなのか、、、というのがそもそもよく分からないがこれは原文の問題かもしれない、、、。
by isourou2 | 2014-05-05 00:18 | テキスト


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