エンジョイ・アワー・フリータイム(岡田利規 白水社2010)

面白いものを読む、という体験を現代詩、と名付けてみたい欲求がある。つまり、ぼくにとって、面白い読み物を現代詩といってもいいわけだが、それがどのようなジャンルであれ、読んでいるうちに、これは現代詩だと感じるようなもの、それがぼくにとって面白い読み物なのだ。それは、体験としてやってくるようなものだ。言葉の、言葉たちの、様々な要素の質感の中で作られる空間に対しての意識が鋭敏に働いているものが現代詩であり、それへの参入が読むという行為である。
伊藤比呂美の、笙野頼子の、川上美映子の、そしてはじめて読んだが、岡田利規の、最良の部分というのは、ぼくにはそう感じられる。
そして、岡田氏の場合(とここで、このような場合の通例として失礼にはあたらないだろう呼び捨てではなく、なんとなく氏とつける方がふさわしいような感触がこの作品にはある)に、特異なのは、言うまでもなく、これが演劇作品の戯曲だということだ。
つまり、ある空間を構築することを前提として言葉が並んでいる。また読む場合も、そこには、うっすらと舞台が浮かんでくるようである。演劇なのだから、空間を作るための他の(たとえば舞台美術や照明など)参加も想定されているだろうし、なにより現実の生身を持った役者という存在が不可欠だ。そのようなものとして演劇は舞台を空間として形づくるための様々な試行としてある、しかし、そのように演劇を考えるのはおそらく間違っている。少なくともそれは現代詩ではない。観劇が耐えがたい時間の強制となるのは、そのような空間の捉え方のためである。
むしろ試行されるべき、思考されるべきなのは、何もしなくとも舞台という空間があらかじめ客の前に成立してしまっているという事態、そこに何かが出現すればすでに演劇がはじまってしまうという事態、そこにおいて空間の感覚が安易なものになってしまうという事態、にどう対抗するかということだ。
このような事態は、言葉、という事態においても、本質的には同様であり、それに対する拮抗を、ここではあえて、現代詩と呼んでいる。
演劇におけるそのような事態に対抗するために、岡田氏がもがいていることが、その作品を質の高い現代詩にしているということでもある。そして、それが具体的な現場を持つということによって、その抵抗が緊張度を継続させうる要因になっているのだろう。また、それが妥協や制約をも生むだろう。あとがきにはこうある。(というか、このあとがきは、ここで書いたことを巡ってのことだと私には感じられるから、どこをとっても、良いようなものだ。)
「わたしは、自分の書く戯曲が、上演を形作っていくために必要なさまざまなことについての決定権を、できるだけ持たないものであるようにしたいと思っている。、、、それは、戯曲というよりも、単にテキスト、ということなのかもしれない。、、、「フリータイム」を制作中のわたしの念頭にあったのは、現行の「フリータイム」よりももっともっと抽象的な、構成をほとんど持たない、単に断片の集積でしかないような、テキストだった。けどれも、それは叶わなかった。そこに届くのに、挫けてしまったのだ。いつか、それに届くテキストが書きたい。そのときわたしは初めて、自分が劇作家であるということを、つまり、自分のテキストが誰かによってどこかの稽古場で作られる演劇に対して、その創造性を妨害するのではなく反対に奉仕できるものとして機能するものだということを、確信できるだろう。」
岡田氏が挫けてしまったのは、それは、岡田氏の頭にある演劇(それは、安易に空間を作ってしまう、すでにある空間としての劇場を含むもろもろの現実的なシステムだろう)によってである。それらの現実的な条件をぬけたところに未知の演劇はあり、またそのためのそれらの桎梏に縛られない戯曲=テキストがあるはすだ、そのようなテキストを書きたい、と岡田氏は言っている。しかし、ついにそのようなテキストはなく、それに届きたいという試行だけがある。なぜなら、演劇という事態、のその奥には、言葉、という事態があるためだ。つまり、戯曲がテキストになったとしても、問題はちがうレベルで繰り返される。演劇という事態へのテキストによる抵抗、拮抗、挫折、の軌跡にこそ岡田氏の行っていることだろうし、その現場との緊張度こそ作品を形づくっているものだ。あとがきを読むと岡田氏の感じている現場は、劇場よりも稽古場であるような印象だが、そこでの空間が劇場よりも、たしかにはるかに生成的なものであるだろうことは想像できる。(素の役者、言い間違え、時間終了を告げる管理人、、、)。とすると、今までの話とは少し違っていて、岡田氏は劇場よりも稽古場を焦点にして、その稽古場の制度への介入を戯曲でなそうとしていることになるのかもしれない。
たとえば
「男優5 ~~この人たちになにかこっちの価値観で言ってもある意味しかたない、みたいな雰囲気の、そういう、雰囲気という形での、(溝)、
女優2 えー、うるせいよって、だったら言えばいいのに、思っているんだったら、」
という会話での(溝)というのをどのように解釈するのかというのは、稽古場において問題にならざるえないだろう。そのまま、括弧溝、と読むのか、溝はあってもなくてもいいという意味で受け取るのか。しかし、ぼくが読んだ時の印象としては、この(溝)は言葉の連なりからの突出を感じて、男優5と女優2との溝、という設定に対する言及にも思えた。(誤読だと思うが)。つまり、ところどころにある「間」という指示に似た、溝、という指示にも思え、溝という指示を具体化するのは一体どのようなことなのか、と。このようなことは、稽古場では問題になっても、劇場(上演)ではその問題になった痕跡は残らないだろう。生成的でありながら演劇という制度に縛られもしている稽古場への介入が岡田氏の真骨頂であることは理解できる。そして、この、(溝)、という表記は、やはり現代詩だと思うのである。また、当然、岡田氏は、稽古場から劇場への移行したときの戯曲的介入の変質にも注目せざるえないだろう。
また、これらの戯曲の内容は、派遣労働や労働環境のことを巡っているが、単に時事的なことを取り上げたわけではないだろう。演劇の空間と労働環境の空間の結びつきがあるのが感じられ、それが作品の強度を高めている。

というところでほとんど内容的な部分は、さらっと触れて終わるつもりだったが、最後のエンジョイを読んでみたら、そういうわけにもいかなくなった。
なぜなら、ここでの登場人物でもあり(最後に通り過ぎるだけだが)、話題になっていることでもあり、また全体に影さすようでもある、ホームレス、という存在は、私自身でもあり、また、身のまわりにいる人たちでもあるためだ。この戯曲においては、マンガ喫茶の店員(バイトで30代)から見たホームレスについてを描いているところもあるわけだが、それに対して、私はホームレスからそれを見返すことのできうる位置にいる。
実際のところ、私も急にマクドナルドの店員がやってきて「お客さん、週に何回利用されていますか?」と牽制以外の理由が思いつかない質問をしてきたりするし、知人たちからマクドナルドを追い出されたことについての相談も受けている。
ちなみに、ホームレス対策(ここではジーザス対策と呼ばれている)は、マンガ喫茶(とここでは言われているが、今ではネットカフェですよね)は身分証明書が入店時に必要なため、そもそも、ホームレスの利用が現実的に難しくなっている。この戯曲でのカウンターでの店員による水際作戦というものと、現在は状況が変化している。
この戯曲の空間は、ホームレスから見返す視点が排除されたところで成立している。最後に通り過ぎる、という指示によって、かろうじてそのような視点を提示しているかのようで、そうではない。ここでは、お互いの臭いを店員の男女がかぎあう側をホームレスが通り過ぎることによって、店員のホームレスになる可能性への不安を提示するにとどまっているためだ。
(もし、ぼくが演出家であったら、通り過ぎる、という指示を(拡大)解釈して、このホームレス役に、10分かけて通り過ぎるように言うかもしれない。そうする時、この戯曲の意味はだいぶ反転するかもしれない。)
岡田氏が、ホームレスからの視点を排除した理由は、それを描くことができなかったということではなく、この(一般)社会というのは、ホームレスからの視点を排除することによって、ホームレスということが暗然たる影を投げかけている社会であるためだろう。つまり、ホームレスという存在が、常にメタファーとして効いている社会なのである。メタファーとして社会の意識や無意識を反映しながら規制し、つまり枠組みを作りだしながらも、それは実際の存在として目の前におり、そして、誰もがなる現実的可能性もある。そのような中で、そのメタファーに発言や振る舞いを整序される形でホームレスは言葉を奪われる。しかし、現実に目の前にいる以上、そして、それが自分と地続きである以上、その存在がメタファーに沿わない可能性は常にある。そういう社会への侵襲と社会からの新たな線引き・再メタファー化が繰り返される波打ち際にホームレスはいる。その線はそれなりに揺らいでいる。
そのような揺らぎを含めた(一般)社会の様相をこの戯曲は上手に描いている。しかし、それだけでは物足りない、それはもちろん私がホームレスであり、またその社会で生きているからである。ただし、それ(社会からの新たな線引き・再メタファー化の繰り返しを戦略的に分析して戦うこと)は、何より、私や私たちのやるべき課題だ。ホームレスの視点の安直な導入という(ありがちなこと)は、メタファーの固着という効果しかもたらさず、それはゆさぶりどころか揺らぎすら結果しないだろう。岡田氏は、ここまで(一般)社会の縁取りを正確に行った上で、それと演劇空間を重ねる形で、壊す作業をこれ以降の戯曲で行ったといえる。
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by isourou2 | 2014-08-22 00:19 | テキスト


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