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日本人の英語はなぜ間違うのか?(マーク・ピーターセン 集英社インターナショナル2014)

英語学習の本を読むのが趣味となっている割には、実際の英語力はまるでないのでなんだか気恥ずかしい感じすらするのであるが、というか英語というものが日本人共有の恥ずかしさを喚起する装置になっているわけで、それは欧米との距離を位置づけかねている明治以来の歴史的過程に端を発している宿痾のようなもので、結局、何が言いたいのかというと、英語学習本の感想を書くという行為もまた一定の気恥ずかしさがあり、筆を進めるためには、何らかの前置きが欲しいということである。
前置きが終わったところで感想だが、マークさんの本のタイトルとしては躊躇がなくストレートである。マークさんのこれまでの著作は、氏の日本びいきというか偏愛ぶりが随所に現れていて、比較文化的な相対感の中で読み進められるのだが、今回は対象をバッサリと切り捨てている感がある。相手が氏が好きな(日本)映画とかではなく、中学英語教科書と大学生の英作文だからである。
これらの教科書で学習をしてきたことを思えば、ここで指摘されている数々には驚きを超えて次第に憂鬱、しまいには笑えてくる。しかし、少なくてもぼくらの頃の中学英語教師は、ネィティブとの会話経験などないような人たちばかりだった気がする。数年留学した最近の若者の方がずっと英語らしい英語を話している。当時先進的な教育方針を持つ学校だったために、ネィティブの教師が受け持つ授業がはじまり、ぼくの英語担任が彼女と全く英語で会話が出来ないことが分かった時はむしろかわいそうだった。そういうレベルなので、教科書がおかしいなどということが問題になりようもなかった。もっとも、そのネィティブ教師にしろ、歌うたった以外に何の印象もないが、おそらくきちんとしたカリュキラムも方法論もなく漠然と導入されただけだったろう。
しかし、未だに教科書がそんな感じだというのはマークさんでなくとも腹立たしくなる。学習指導要綱での文法事項制限の問題もあるにしても、それこそマークさんのような人をいれて、英文をチェックすればそれで多くの問題は回避できるはずだ。
で、気になるのは、中学英語教科書のテキストを元に作られている「英会話・ぜったい・音読」(国弘正雄)シリーズである。ぼくも全部持っているし一時期、割と一生懸命に取り組んだ。内容が所詮中学教科書なので飽きて身に付かなかったが、評価の高い教材として有名である。しかし、別の本でマークさんがおかしな英語会話として教科書から引用した部分が使われている。おそらく数多くのおかしな英文がそのままだろう。つまり、教科書の2次被害が参考書に及んでいる。それを気づかないこの本の著者もおかしいだろう。そもそも考えてみれば、このシリーズは、教科書の英文テキストと音声だけの内容で、何の解説も手引きもなく、ほとんどぼったくり商品ではないか。
それはともかく、教科書関係者は耳の痛い指摘ばかりだと思うが、ぼくとしては今さら教科書が正しくなってもどうでも良いという年齢ではあるので、マークさんの快刀乱麻の切りっぷりに次第に笑いがこみあげてきたのであった。
また、マークさんが実例としてあげている大学生の英文は、ぼくから見てもさすがに稚拙すぎるとは思う。大学受験の英文はかなり難しいものであるはずだから(昔の話なのだろうか)。でも、そんなものなのかもしれない。これでは、マークさんがうんざりしてしまうのも仕方ない。
もちろん、この本の趣旨はそれらの悪文を通して、英文の書き方のポイントを様々に解説することにある。これまでの本の重複とも言えるものがほとんど(新たな指摘もある)だと思うが、それでも、ある意味無駄な文化的語りが含まれていない分、ストレートで他著より読みやすいと思う。著者の日本文が上達していて、もうこれ以上はないくらいのレベルになっているためもあるだろう。これはすごいことだ。
英語は論理を大切にする(そこから見ると日本語は論理の飛躍が多すぎる)ことを述べた章において、添削されることによって文がどんどん無くなっていくことが印象的だったのだが、そういう観点からすると、おそらくこの感想もまたほんの数行になってしまうかもしれない。
by isourou2 | 2016-02-07 01:29 | テキスト


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