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ポメラ

商品の感想。なんだか今までの流れから違和感があるが、作者の考えや気持ちが直接描かれているわけではないという意味では、実用書との距離はそうあるわけでもない。
ポメラというのは、文章入力に特化した超小型のワープロ(みたいなもの)である。電池で長時間駆動して、小さく軽くて、キーボードもそこそこ打ちやすい。なにより、目が疲れない。ぼくにとって、なくてはならない機械で、型こそちがうがすでに5台(うち3台は貰った。うち1台は壊れていた)所有してきた。文章を書くのに不要な機能がないので、作業しやすい(それだけ、ネットにはぼくには無用で有害な情報が多いということでもある)。
このような商品はキングジム社のポメラしかない。だから、ポメラに細かい不満はいろいろあれども頼るしかない。しかし、残念ながらポメラは故障が多い。電源が入らなくなり交換してもらったこともあった。キーボードが折り畳める機種(DM10、DM20など)は、入力できなくなるキーが発生しやすい。キーボードが一部おかしくなったDM20をドライヤーでガンガン熱するという荒技で復活させて(その代わり折り畳みはできない)から、2年ぐらい使ってきた。しかし、画面が割れた。さすがにもうダメである。兄から使っていないポメラを貰ったが、それもカーソルキーが一部入力できない。ドライヤーでも復活できなかった。相当に不便だが、それを今も(この文章も)使っている。
しかし、今日、キングジムのお客様相談室に電話して愕然とした。もう、修理のためのキーボードの在庫がないというのである。えーー!!
まだ大勢の人がポメラを使っているのに!!
最後の機種(DM25)から3年もたつのに、まだ新機種が出ていない。昨年12月に新商品を発表するというので、やっと新機種か、と期待したら、さえないモバイルパソコンだった。キングジムというのは、事務用品の中小企業であって、大手がしのぎを削っている機種を出しても勝ち目があるわけがない。評判も散々なものだった。また、DM100という1つ前の商品を除いて、ポメラは生産中止になっているという話だ。どういう理由か分からないが、こんなに愚かしい戦略はありえない。というか、困る。
折りたたみを廃したDM100というのは、かなり完成度の高い商品で、マイナーチェンジすれば絶対的なスタンダード商品になるのに決まっているのに、5年もやり過ごしている。ネット上には、改善点の要望もたくさんあがっている。これらの愛用者に応える商品をぜひ開発してほしい。しかし、キングジムの動きを見ていると、ポメラから撤退しようとしているのではないかという懸念が高まらざる得ない。困る!!!。ポメラは、たしかに今まで、ガンダムのシャアモデルとか、レーサーカーデザイナーの誰それモデルとか、とんちんかんな商品は出してきている。それでも、それはポメラであって、趣味は全く理解できないけど、小さな会社の遊び心として容認(というか無視)は出来た。しかし、撤退は論外である。心情としては、好きなバンドが突然解散する際のファンに近い。たしかに、流行におもねったような陳腐な音づくりをしたり、内輪な冗談の要素がつまらなかったり、場つなぎ的なカバーアルバムを出したり、スランプに陥ったりしていたが、それでもそのバンドであり、まだまだ良質の音楽を生み出せる潜在力があるのは明らかにもかかわらず、原因不明の解散。こっちのことも少しは考えたらどうだ!
キングジムは、DM100の後継機を出すべきである。折角、開拓し独占しているニーズと市場をほっぽらかすなど愚の骨頂である。
その際ぼくから要望は以下。(これらはDM100を買うのにためらう理由でもある)
・バックライトをオフに出来るようにしてほしい。
ーポメラの最大の長所は目が疲れにくいことである。バックライトがなくても見やすい視認性こそが長所である。バックライトでどれほど目が疲労するか分からないが消せない限り使う気になれない。そもそもバックライトなくて困ることなどあんまりないと思う。
・開きやすくする
ーひっかかりがなく開きにくいという指摘が多い。
・漢字変換を賢くする。
ーポメラ共通の最大の欠点は変換がそれほど賢くないということである。ぼくは実用許容範囲だとは思っているが、多くの人はイライラしていると思う。ポメラは実用機なのだから、こういう基本性能を向上させることに最大の努力を払うべきである。
・WINDOWS10正式対応
・画面サイズを少し大きくする
ー充分なのかもしれないが、どうも画面の左右の空いているスペースが気になる。

たぶん、これだけで十分よく売れる、そしてますます愛用される商品になる。キングジム、目を覚ませ!。

*ほかに要望としてはアンドロイド用の無料QRリーダーソフトを開発してほしい(I PHONEアプリはある)。現状では連続QRリーダーというアプリを使っているが、結合時に必ず改行になるなど使いにくい。
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by isourou2 | 2016-05-13 00:06

闇市(マイク・モラスキー編 皓星社2015)

紙礫というアンソロジーの第一巻である。
編者のマイクさんはアメリカ人である。このような日本研究者、特に日本語が闊達な人に関心がある。いくら勉強しても外国語を習得できるような気がしない自分としては、ある種のスーパーマンに思えるのである。たとえば、瞽女の研究をしているジェラルド・グローマー 。マイクさんは前書き・解説とも日本語で書いているが、その筆力は達者な日本語ネィティブにひけをとらない。違和感がまるでないのである。前述のジェラルドさんは、その研究において外国人ということに焦点があたることについての苛立ちを書いていたと思う。日本文化の研究において、日本語が出来ることは必須の前提だろうし、そのことに関心が向かうこと自体が、研究内容を軽んじているようにも下駄をはかせた評価を思わせる差別的な意識の現れにも感じるだろうことは理解できる。しかし、それにしてもというところはある。ある意味、日本においてもマイナーである研究テーマの掘り下げとちょっと不思議なほどの日本語の熟達には関連があるように思う。たとえばマイク氏の場合、アメリカ文化への感じ方にその動機があるはずである。もっと言えば、どのような疎外感を母国の文化に持っているかということである。

この選集のチョイスはかなり優れていると思う。
既読のものは梅崎春生「蜆」くらいだった。全作品を通読して感じたのは、文体の豊かさ、そして会話の面白さである。からかい、冗談、機知、いじわるというものは論理でも事務的な手続きでもない。レトリックである。論理でも手続きでもない会話で物事が決まったり出来事が生起すること。これらのレトリックが効を奏するのは、相手の胸襟を掴みとるような、相手の体臭を嗅ぎ分けるような実際的な洞察が必要になる。つまりは、そのレトリックが相手の感情の琴線に触れなければならない。そしてそれは、論理や手続きがあやふやになっている場でこそ大きな力を発揮する。だから、闇市あるいは焼け跡的な状況で物をいうわけである。会話が多彩になれば、それは小説の文体にも影響を与える。つまりは、これらの文学が面白いのは、そのような状況にきっちり根ざしているためといえる。多くのストーリーは、他愛なかったり行き当たりばったりだったりする。バラック的と言ってもよい。しかし、この選集に載っている作品のどれもが油の乗っている書きっぷりである。現代日本の作品は、構成が練られていても平板なものが多い。権威や秩序が曖昧になって自分の力で生きていかないといけないような状況の中でのハッタリに近いような真実が文学の母体ではないかという結論に達するようである。

どの作品にも語るべきものはあるともないとも思うのだが(解説には選者による各作品ごとに寸評もある)先日、没したということで野坂昭如氏「浣腸とマリア」を取り上げる。
タイトルから作者が得意そうな糞尿譚を懸念するところだが(といっても野坂氏の作品を読むのははじめてだが)そうではない。そうではないが、ここで描かれているのはメタフォジカルな要素が強い同性愛と近親相姦である。それが、家族という場が壊れていくことと結びつけるように描かれている。そのことが説得力を持つのは焼け跡という背景があるからである。戦死した夫を持つ未亡人と息子、気丈な祖母という戦中の理想的な家族が、戦後、祖母は寝たきりの愚痴にまみれた老女になり、未亡人はにわかに生き生きと働きだし祖母をいじめるのを趣味にする女になる。祖母が食い意地ゆえに餅を喉に詰まらせて死ぬと祖母の語っていた勇敢な父の姿が息子の中に再帰的に甦り出す。母親が男を連れ込むことを契機にして、息子は家を出て結局は男娼になる。未亡人もまたパンパンになる。そして二人は出会い近親相姦へ。父親が同姓愛者であったという母親の告白と相まって、家族の解体の最終的な確認になっている(選者の「残るは真の母子である」というのは少し解釈が違うと思う。この作品は母親の息子に対する東京にでも行けという平静な言葉と息子の混乱で終わっている)。ここで描かれている人物は状況に対して受け身であることは拭いがたく、それは作者のユーモアの身振りの底に家族像の希求という案外保守的なものが眠っているためだと思う。
この選集の中では内的な論理によって上手く構成されている作品になると思うが、別にそれを焼け付け刃と捉えてもよく、先述したように作品の面白味はうねるような文体と会話の妙にある。文体・会話というもので変転する時代の鼓動と敏感に同期することが、本質的に求められている時期だったともいえ、極言すればそれぞれの物語はそのための動力源になれば良かったのだとも思う(石川淳「野ざらし」も同様な意味で成功している。)。ー注

この選集「闇市」には意外とアメリカの影は薄い(「軍事法廷」をのぞく)。主に、戦争という状況(敗戦という状況)が日本に住む人たちやその人たち同士の関係に与えた影響が描かれてある。次巻は同選者による「パンパン」だそうである。外国兵を対象にしたセックスワーカーである彼女らは当時の日本でアメリカなどの連合軍と直接的な関係を持っていた一群の人間であり、彼女らを通して物資が闇市に流れ、また日本に住む人たちの目には彼女らの振る舞いの中にアメリカが映って見えたにちがいない。
おそらく異文化の中でのアメリカ人の立ち現れ方を探求することによってアメリカ人としての自分を相対化することを内的にモチーフとして持つはずの選者のより問題意識を反映した内容に次巻がなるのではないかと期待している。

注ー戦後すぐに書かれたような感触をもった「浣腸とマリア」だが、1965年の作品だった。しかし、ここで記したことはこの作品の場合は妥当すると思う。それが、マイクさんのいう野坂氏の<戦中ー戦後ー高度成長後>の捉え方の連続性なのだと思う。また、このことは、1971年に発表されたチョンスンパク「裸の捕虜」には当てはまらない。この作品で重要なのは内容である。


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by isourou2 | 2015-12-16 19:55

独学者のための英語学習本ガイドコーナー4

今回は、軽い英語雑学本を取り上げてみよう。あんまり、机にかじりついて勉強ばかりしていても疲れてしまう。寝ころびながら、あるいは、電車の中とか少しの空き時間で読むのに適した本。それで、それなりに役立てば言うことはない、というあたりのラインにある本。おすすめというよりは、たまたま身のまわりにあった本にすぎないが、いくつかレビューしてみる。ただし、これらを定価で買うのはバカげている。無駄に蔵書を増やしても仕方ないわけで、図書館で借りて一読するので十分(もしくは破格値の古書で買うなら悪くはない)。

●「よろしくお願いします」と英語で言いたいあなたへキャノン英語マンから20のアドバイス(リチャード・バーガー 朝日新聞社 2008)

表紙には、胸に<英>と書かれたシャツを着た背広姿の著者(英語マン)。なぜかその姿は呼吸のために水面に首を突きだした亀を思わせる。中にはアメコミっぽいイラスト多数。かなり面白本狙いの企画くさく見える。というより、無味乾燥になりがちな英語本をどうやって面白く見せるのかという苦闘がやけに伝わってくる。(こういうアメリカ人のステレオタイプを逆用した見せ方の路線というのは、1000本ノックシリーズとかいろいろある。ある意味、ハートで感じる英文法もそうかも)。しかし、それがそれほど嫌みな感じはしない。基本的に本の内容がとてもしっかりしているのである。しかも、だいたい2時間もあれば読破できるだろう。ぼくにとっては、20のアドバイスがどれもが有意義だった(中には少しピンとこない話題もあったけど)。会話(ビジネスに限らず)や英語でのコミュニケーションの初心者なら得るものがあるはず。英語になった日本語で「hantyou(班長)」=責任者、「skosh(少し)」があるとは知らなんだ。あと、英語の顔文字や略語もこの本以外でこんなに取り上げているのは見たことがない。
日本人の英語下手に対する著者の共感的な態度が伝わってくる良書でもある。でも、もちろん、1400円出して買うようなものではない、とアドバイスしておきます。

●英会話どうする?(里中哲彦 現代書館 2003)

もともとは、英会話以前、というタイトルするつもりで書いたという本。英語(学習)にまつわるエッセイだが、全部読んだわけではない。でも、この本の有用な部分が集約されているのは第2章だろう(章のタイトルが「英会話以前」なので著者もそのつもりだろう)。特に「勘違いにご用心」で列挙されている名詞・動詞・形容詞・副詞の使い方のところ。ぼくは知らないことが多くて、そうなんだー、と思わされた。そんなに量はないから、ここだけは数回読んでもいい。あとは、イギリス人の不満、というアメリカ英語に対する思いを書いた(推測した)部分も勉強になった。あとは、ペーパーバックの読み方で「最初の50ページだけは丹念に辞書を引く」という作戦を勧めているのは、なるほど!。最初の方で出てくる単語は、その後のページで繰り返し出てくるという指摘は的を得ていると思う(ちなみに、ぼくはまだ原書は一冊も読めていないが。)
あと、なぜか英語(学習)の本で目につくことが多いのだが、性的なことに絡んだことを書く時の著者の姿勢がいまいち気分良くない。なんか、著者のオブセッションが中途半端ににじんでユーモアには感じられないのである。

●英語のツボー名言・珍言で学ぶ「ネィティブ感覚」(マーク・ピーターセン 光文社知恵の森文庫 2011)

この本を読んだのは少し前。軽い雑学の本といっても、かなりの量があるし、出てくる英文は初級のものとは限らないので読破するのにそこそこ時間がかかった。
なんといっても、マーク・ピーターセンである。腐っても鯛である。それに別に腐ってないので、アラでも鯛、というところか。よく出来た丁寧な本である。読み切り3ページくらいで、その名言のキーフレーズや重要な言葉の活用では英語の勉強になり、その名言の背景説明や人物紹介で社会常識も学べる。難しい単語には訳語もついているので辞書がなくても良い。ハンディなので読む場所も選ばない。そして、値段も良心的だ(なので、前2書とはちがって買っても損はないかも)。名言・珍言もけっこうバラエティがあるので楽しめる。時間がある時に再読してみたいと思っています。
ちなみに、この本で取り上げられているグラウチョ・マルクス(マルクス兄弟の1人)の「I don't want to belong to any club that will accept me as a member」という言葉は、ウディアレンの「アニーホール」の冒頭で主人公(アレン)がもっとも好きな言葉(か人生訓か)で取り上げていたもの。この映画のキーワードにもなっていた。この本のいくつの言葉は英語ネィティブの精神に深く浸透しているのかもしれない。




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by isourou2 | 2015-04-15 00:31

日本でいちばん小さな出版社(佃由美子 晶文社 2007)

ぼくも出版社の立ち上げにたずさわったことがある。(今もそう)。その時に、とても役に立った。これは、小さな出版社にとっての実用書なのだ。取次のとの守秘義務もあり、また企業秘密もあるだろう。もっと、知りたいところもある。(たとえば、直接読者に売る本が多いから採算が取れているそうだが、どうやって直販をしているのだろうか、、、。)そうだとしても、これは優れた手引き書である。そして、出版に多少でも興味がある者にとっては実に読みやすい。

なんで読みやすいのかというと、文体がサバサバしているからだ。とてもサバサバしている。このサバサバ系の女の人というのは、例えば西原理恵子、などのラインといえば何となく分かるかと思うのですが、、、。
この人たちが実際はどうかはよく分からないにしても、文体においてはサバサバしている。サバサバしているということは、空間があるということです。空間があるから、そこで物とか気持ちをサバくことができる。そして、サバイバル、できる。(これは駄洒落)。空間のない文体というのは、圧迫感があるので、時に切実で迫力はある。しかし、そこで気持ちを延ばしたり見方を変化させたりできないから、疲れる。押しつけられている感じがどうしてもする。隙間があり空間があるのは、そこでノビノビさせてもらえる。自由である。しかし、空間をつくる、ということの裏には忍耐がある。意識的な行為であって、自然でもない。ノビノビしたい人たちは寄ってきて、甘えているが、空間を作っている方は、実は厳しい気持ちを自分に持っている。孤独かもしれない。だから、酔うことが好きである。たいてい酒が好きだし、ギャンブルも好き(かもしれない。)。しかし、もちろんそういう自分を引いてみて、そこにもサバサバした空間を作ることに余念がない。
男にも女にも、でも特に男に好かれるだろうが、ここにおいてはジェンダーの問題も絡まってくる。圧迫し人をはねのけるのではないから、多くの社会的価値を許容することにもなる。サバサバが、期待される女性役割とだぶっていく可能性が高い。男のノビノビって、だいたいそういうことだったりする。男性は、男性週刊誌を好む、と言ってくれる女性に、どれほどの安堵感を覚えることか。いちいち煽情的なグラビア写真が載っている週刊誌を読んでいることに、どこかで後ろめたいところがあるのだ。あるいは、性風俗に通っていることとか。ここが難所である。ここをどういう風に超えるのか、あるいは無視するのか、、。男の自分としては、複雑な気持ちを持ちながらも気になるところである。(本の内容は、はじめに書いたように、出版に関わることなんですが、、、)
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by isourou2 | 2011-06-27 15:54

大阪発公園SOS 私たちのコモンセンスー公園感覚(都市と公園ネットワーク 都市文化社1994)

市民運動からみた「公園」の現在抱えている危機的状況については、よく網羅されている本だと思う。現在といっても1994年に出版された今から20年前近いの本だけど、ここで語られている公園の状態は、現在ぼくが関わっている都内公園(宮下公園)の1企業による改造にそのまま通じている。
宮下公園は、ホームレス排除反対の面があるので、運動としては違いはあるけど、この本でも、ホームレス問題については、ある程度の記述もスタンスもある。
具体的な大阪の公園での事例や運動の紹介も参考になるが、この本の白眉は、第二章の「私たちの公園観」だろう。運動をしている人が、歴史を踏まえた自分たちのパースペクティブを持つのは困難なことなのだ。たぶん、この地味な本の中のもっとも地味な部分なのだが、これは、市民(利用者)の手によって公園が作られるべき、という結論に至る視点で的確にまとめられた画期的な公園通史である。
これまでの公園通史は、行政の視点からまとめられたものがほとんどであるだけに評価すべきところだと思う。また、公園通史というと東京の公園に偏重するのが常のところ、大阪の公園通史というところが貴重である。
ただ、行政の視点といっても、時代によってまた人によって多様であるというのも、公園の歴史から分かることでもある。
明治の社会主義者たちが、都市の公共性という観点から積極的に公園を論じ、それが公園の法制化や実務を担った「都市専門官僚」たちに影響を与えたというのは、はじめて知る知見であった。インテリである官僚の中に、社会主義や共産主義の影響があるという大正時代の状況は、現在からはちょっと想像がつかない。
「公園は民衆の公園であって公園などへ行かなくとも自家に庭園を所有し娯楽機関を備えつけてあるやうな少数者の趣味に投ずるが如き所謂高尚な数奇を凝らした箱庭式の公園よりも満足な住居を持たず公園を自己の庭園として唯一の慰安休養の地と考えて居るやうな人々の趣味要求を標準として彼等の最も利用し易かるべき無産者階級の公園、民衆的公園たらしむることが最も必要であろう、、。」
というのが、大阪市社会部調査課の発行した本の文章である。もっともな内容だが、果たしてこれが今日の行政から考えられるだろうか。(ただ、革新都政であった時期の建設局がだした「東京の公園百年」では、序文に美濃部亮吉知事が「東京の公園100年の歴史には、つねに市民の側にたって、ともすれば国家の意志と都合に左右されがちな公園を真に民衆の生活の場として定着され、はぐくもうとする貴重なたたかいが秘められています。」と書いていたりする例もある。)
大正時代に表明された公園の高い理念を現在超えているのか、という作者の反問は当然でてくる思いであることがこの章を読むと分かる。
この本の中に出てくる現在の大阪の公園を潰していく役人たちや日常ぼくたちが接する役人や政治家の理念のなさ考えのなさに比べると、昔の役人には偉い人が多かったのではないか、、、という感じがどうしてもするところがある。
この本の他の章で記載されている大阪の公園の商業主義を優先させる惨状は、出版時以後も、イベント主義と公園からの野宿者排除という形で進行している。東京では、大阪ほどの不見識はなかったと思うが、いよいよ宮下公園を端緒に同じようなことが起こりはじめようとしているようだ。
そのような意味でも、この本は古びない内容を持つものだと思う。
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by isourou2 | 2011-06-06 18:56

カール・レイモン氏が寄贈した函館公園のライオンについて(川島茂裕「大名領国を歩く」吉川弘文社)

井伏鱒二氏の小説のタイトルではない。
しかし、この一論文については、タイトルのみならず井伏鱒二的事態が想起される。
この論文集は、「中世近世移行期を中心とする研究会」のものだし、事実他の論文は、戦国時代や江戸時代の地味ながら堅実なものばかりである。総題の「大名領国を歩く」にしてもそれを表している。しかしながら、函館公園のライオンが処分されたという話は、太平洋戦争下での出来事であり、レイモン氏が函館市にライオンを寄贈したのも日中戦争下(1938年)にすぎない。いずれにしても、もろに近代の出来事である。論文集の中で明らかに場違いなこの論文が採用されたにあたっては、おそらく、これが永原慶二氏という方の古希を祝って発案されたものという事情による人間関係の濃淡が関わっているに相違ない。またもう一つ気になる点は、奥書に、他の著者13名中12名が大学の教授助教授講師であり、残りの1名も行政に関わる役職が記載されているのにも関わらず、当の川島氏のみだけ、何の肩書きも載せていないことである。肩書きどころか、生年日すらない。これは、一体どういうことか。川島氏は、この研究会(永島慶二先生を囲む「駒の会」)の中で異色であるようだ。しかし、分かるのはここまでであって、結局、この論文が掲載された理由は読者には不案内のままである。ただ、古希を祝う論文集、ということからして、誰もが善意であるにも関わらず、あるいは誰かの小さなこだわりが、思いも寄らない事態を惹起するという井伏鱒二的世界の予感のみが色濃く漂うのである。
最後に、川島氏の論文の一部を引用して、この感想を終わりたい。ここは、川島氏が、ライオンの命名が戦意発揚に果たした役割について説明しているところである。
「第三に、ライオンにのみ名前が募集されたという点である。当時、レイモン氏が寄贈したライオンの他に、函館公園にはクマも飼われていた。レイモン氏がライオンとともに寄贈したクマか、もともと函館公園にいたクマかは不明な点があるが、クマ舎もすでに新築・完成していた。そのうちのライオンのみに名前が募集され、命名式が大々的に実践されたのである。この点を函館市長は、「しかし名のない熊君は僕等には名がない、クマったクマったといっています」と式辞で述べている。」
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by isourou2 | 2011-02-22 21:56

LIFE WITHOUT BUILDINGS

ネットで見つけたバンド。多くはない人の特別の音楽になっているバンド。分かる。これは分かる。99年から3年くらい活動して、1枚のオリジナルとライブアルバムを出している。ほしいけど、ぼくはどっちも持っていない。何曲かをユーチューブなどからダウンロードして聞いている。
よく分からないが(行ったこともないし)、ニューヨークな感じがする。ミニマムな研がれたロックと、ポエトリーリーディング的に突き放しからみつくボーカル。そこには風景がある。その風景は、ニューヨーク(東京でもいい)に上京してきた人たちが、感じるような弧絶した心象でもあるようだ。ビルディングなしの人生。そこにあったものは、ここにはない。そして、そこにあったものは、幻想みたいにも思えるし、ここからは出ていくところがない。パティスミスが1stシングルの超名曲「PISS FACTORY」のリーディングで感極まったように、ネバーリターン、と叫んだ後のサウンドがこのバンドにはある。
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by isourou2 | 2011-02-16 00:15

精神病(笠原嘉 岩波新書)

感想世界を復活させることにする。
いままで、備忘録くらいのつもりがそれなりに気負って書いていたようである。本当に紹介でも批評でもなく感想なので、そのつもりで読んでください。
ただ、感想の書き方、というのは試みていくかもしれません。ともかく、適当にぼちぼち書きます。

ある精神科医がHPで勧めていたので、新刊で購入した。本はほとんどは図書館で借りるか、たまに古本で買うかなので、大変珍しい。HPで良書だとして自分の著書を脇にやって誉めていたのだが、それが分かるような気がする。だいたいの心理学や精神科の本は、どこかエキセントリックな輝きというか、そもそもこのような事に専心するに至る人の独自さというものがある。この本には、それが見事にないのである。その意味では、地味な本である。ただ、じんわりと著者の人間に対しての視線というものが、概説的な話、他者の言説の引用、などからさえ伝わってくる。落ち着いた平明な視点というものが、この現場に長かった医者の治療の姿勢を了解させるし、読んでいて安心感のある書物になっている。基本的な信頼感、というものが流れている。ていねいな問いかけが随所にありこちらのペースを配慮してもらい、滞りなく読み進められる感じである。また、概説書でありながら退屈ではない。読んでいて治療的効果もある、それも静かな、というのは得難いのではないだろうか。ただ、地味なので、そういうのが苦手な人は刺激がないかもしれない。タイトルは、精神病、だが、内容は、統合失調症、のことが大半である。
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by isourou2 | 2011-01-20 00:34

線路と娼婦とサッカーボール

風景にやられるなぁ。景色の情報量が多くて、うわぁ、あっぷあっぷ、という。この線路が、通路でありながら、舞台でもあって、そこに登場するする人たちという感じであって。なんか編集も狙いすぎだったり、音楽も狙いすぎだったり(時に、余計)、するが、時にそれがかっこよかったりもする。ハイヒールの高さから撮った映像や、最後のサッカーボールを蹴る低いシーン、かっこいいカットもある。それよりなにより、風景が、そこにいる人たちが、鮮明。鮮やかすぎちゃう。なんか、それにくらべると、日本のテント村は、やっぱりワビサビっぽい。しかし、やたらと人が歩く線路だな。こういうところは、ワビサビにならんな。閉じるとなる。正直、涙が出た。娼婦たちを乗せて観光ツアーを出した社長でバスガイドのはげたおっさん、、、最高だね。見てると長く感じる。情報量が多いから。というかぼくにとって必要そうな情報が画面に多い。2倍あってもいい。もう一回見てもいい。
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by isourou2 | 2008-01-03 00:54

とかげのおっさん

出ましたねぇ。とかげのおっさん。「ダウンタウンのごっつええ感じ」の連続18話に及んだコントである。ぼくは、オンエア時にこの第一話をテレビで途中から見た。ダウンタウンをおもしろいとは少しも思ってなく興味もなかった。偶然テレビをつけたらやってた。番組自体知らなかったから、演劇かなとはじめおもったのだ。しかし、ダウンタウンだとは分かった。ベンチに座っている二人の会話をノーカットで写している。それがえんえんと続く。ゴールデンタイムに、まるで、エアポケットに入ったような時間が流れている。それでいて、なんだか生生しい。面白いってすぐには、分からないほど、何か異質な面白さ。ナンセンスな平熱感。これは、すごいと思った。それだけで一時間番組が終わってしまった。なんだか、奇跡に出会ったような感触。ただ、それ以後、別にこの番組を見ようとは思わなかった。なんとなく、頂点でこれ以上はないと思ったから。それから、ずっと、このコントのことは頭にこびりついていたのだった。

18話を全部見た。松本扮する、胴体がとかげで手足や首から上が人間のハゲズラを被ったのが「とかげのおっさん」で、しっかりした尻尾もある。(ありそうだが尻尾きりというネタはなかったな。)。一話をみながらすぐに分かったことは「とかげのおっさん」は「ホームレス」だということだ。舞台は、公園で、どこから出てきたのかと思う隅の物陰から、すっとあらわれる。これは、ホームレスの物語だ。ぼくは、そういう風に見て、そういう観点からこの文章を書こうと思う。おそらく、だれでも感じるはずのこのことは、あまり言及されていないだろうと思う。まず、時期。第一話は、96年夏。96年はじめに、新宿西口のダンボール街が強制撤去されている。これは、社会的にも大きな問題になった。ホームレスという存在が無視できなくなっていた時期だ。ぼくは、ホームレスを扱ったフィクションとしてこのコントが端緒ではないかと思う。(たぶん)。これ以後でもテレビであるだろうか?。浜田扮するマサくん(小学生、低学年か?)が、とかげのおっさんに、コロッケを持ってくるところから始まる。二人はベンチに座り、会話をする。

(この項つづきます!!!)
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by isourou2 | 2007-12-07 19:01


日々触れたものの感想をかきます。


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