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終わりの感覚(ジュリアン・バーンズ 新潮社2012)

新作の翻訳が出るのを楽しみにしている作家というのは、ぼくの場合、この人しか思い当たらない。といっても、熱心な読者というほどでもなく、読んでいないものもある。「101/2章で書かれた世界の歴史」は、とんでもなく傑作だとは思うけど、そして何度もチャレンジしているが、つまみ読みの結果として読了しているのかどうかは自信がない。「ここだけの話」は読んだはず。短編集も面白かった。そして、この最新作は、図書館で借りて、次の日の昼前(今)には、もう読み終えた。長くないし、読みやすい。ミラン・クンデラもそうだと思うけど、恋愛における男の心理描写が上手。その結果、いろいろと想起させる、、、どう思っても未熟であった青年期の恋愛と結局はそのころからたいした成長していないこと、、、。思い上がり、身勝手さ、共感や想像の欠如、性にふりまわされ知恵や感情を見失う、この小説で描かれていることは、おそらく多くの男が経験してきたことだろう。主人公のようにして、読者(ぼく)も過去を想起した。
ぼくは、この小説を読む前に、図書館の棚の前で「人生の経験」を描いた小説が無性に読みたいと思っていた。
「人生の経験」というのは、ある種の表現の中にこそあって、むしろ、それを受け取ることで、人生は「経験」になる。人生の経験を構成する出来事や感情などが、少し分からなくなってきた、そういう思いが図書館の棚の前でしていた。なぜ、そういう思いがしているのか、それは分からない。忙しいせいなのか、忙しさが1段落したせいなのか、これから転機を迎えそうな予感のためか、何か人生における決断が迫っている不安のためか。
現在いまここで様々なことが起こり、そのただなかにいる自分は、出来事を被爆しまた行動しているが、それが「経験」であるわけではない。「経験」以前、あるいは「経験」としての形をなす余裕がない、それが現在である。
そのため、「経験」は想起の中にある。想起は現在の中にある過去である。そして、小説は「経験」のための優れたメディアになりうるものだろう。読むことも、書くことも。
これが、ぼくの読みたかった小説だろうか?ちょっと違う気もする。でも、夢中で読めた。ちょっと文句をいうとすると、最後の方で出てくるのだが、主人公の障害を持つ人に対する捉え方は軽薄だと思う。それは、作者の障害を持つ人への捉え方の軽薄さに起因し、またそれがこの作品を損なっていると思う。とはいうものの、まさに前述した意味で、正統的な小説であり、同時に飛び道具のある小説である点で、バーンズらしさを満喫できる作品だった。
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by isourou2 | 2013-09-19 17:31 | テキスト

逝かない身体 ALS的日常を生きる(川口有美子 医学書院 2009)

逝かない身体、という言葉に何かひっかかりを感じる人もいるかもしれない。しかし、読み終えてしばらくたってみると、納得する言葉である。あるいは、同シリーズ(ケアをひらく)の「ALS不動の身体と息する機械」(立岩真也)というタイトル。
人間の尊厳といわれたりする意思や精神や心、という言葉を使わずに人間の状態を表していることへの違和感。しかし、それは、考え抜かれた戦略であることに思い至ることになる。むしろ、その違和感のよってきたるところを問う、ような本である。
死ぬ、死なない、というのは、それは、端的に身体というシステムの問題なのだ。その身体というシステムには、近代科学の成果である人工呼吸器をはじめとする様々な機械類を含んでいる。そのシステムにおいて、脳、はその一部であり、脳と強く結びつけられている意思や精神や心、という言葉の安易な使用を避ける理由も、脳が機能を失う、ことをもって、身体の死、と同一視する発想に足をすくわれないためだろう。
ALSという病気になると、体の各部が次第に動かせなくなる。それに対応して介護の方法も変わり、意思伝達の手段も変わり、機能を代替する機械も変化する。
著者の母親のALSは進行が早いタイプだったとのことで、発病してから3年で瞼を動かすことすら出来なくなった。そして、それから10年近く自宅で療養生活を続け、それは著者が介護を続けたということでもある。
この本には、介護者であった著者がその間に感じたことや考えたことが具体的な介護方法などを交えながら書かれている。患者である母親の生と死を巡る迷い、介護者であり娘である著者の生と死を巡る迷い、が率直に書かれてある。経験から掬いとれるものを慎重に取りこぼさないように書こうとする著者の視点は、とても冷静で、それだけに描かれている状況や気持ちがすごく伝わってくる。
「透明文字盤のサ行の「し」とナ行の「に」タ行の「た」は接近していて、瞳をそれほど動かさずに、指し示せる言葉である。「死にたい」はALS患者の間では頻出単語である。それは本当にこの世から一瞬にして煙のように消えていなくなってしまいたいという気持ちも含まれるが、手荒な介護者に対する最大の非難でもあった。」
「しにたい」が文字盤で示しやすい、という冷静な指摘には驚嘆したが、実際に消えてしまいたい気持ち、介護者に対する非難、と相手のメッセージを幾層にも受け止める姿勢こそが著者の物事への対し方をよく表している。そのような著者が迷わないわけがない。著者は、一時「尊厳死=安楽死」賛成とHPに書き込むことになる。そして、40歳のALS患者の息子の人工呼吸器を止めて、自殺未遂した母親への減刑嘆願をALS協会そのものが呼びかける。(ここで、脳生麻痺の我が子を殺した母親への減刑運動に反発する形で、脳性麻痺者の当事者団体である「青い芝の会」が1970年に運動を起こし、障害者運動の画期的な起点となったことを思い起こしてしまう。)しかし、嘱託殺人として無罪判決が出る過程で、著者は息子が「本当に」呼吸器を外してもらいたいと思っていたのか疑問に感じる。
「実際のところとてもたくさんのALSの人たちが死の床でさえ笑いながら、家族や友人のために生きると誓い、できるだけ長く、ぎりぎりまで生きて死んでいったのである。だから、あえて彼らのために繰り返して何度も言うが、進行したALS患者が惨めな存在で、意志疎通ができなければ生きる価値がないというのは大変な誤解である。」
著者は多くのALS患者と知り合い、学び、やがて訪問介護の事務所も作るようになる。
著者は、使える制度がなかった95年に発症した母親を、2000年の介護保険、2003年の支援費制度、2006年障害者自立支援法と問題は様々ありつつも法整備が進んでいく時期に介護をしている。制度がない時期に自宅療養ができるのは、経済的にある程度恵まれた状況があってのことだったのだろうとは思う。人工呼吸器300万は自己負担だったという。また、もし介護人の24時間派遣すれば月400万かかるという状況だったという。そのような中の在宅介護では家族もしくはボランティアがいないと(よほどの金持ち以外)成り立たない。現在では、だいぶ経済的な負担は減ってきたはずだが、そういうALS在宅介護の初期の状況が分かる本でもある。ボランティアの人を引きつける人間的な魅力が患者に要請されるというのは、ある意味不当で残酷なことだろうが、しかしそういう中で培われた人間性というのもあるだろう。この本で紹介されるALSの人たちの姿には、やはり制度がなかったころの脳性麻痺者たちのたくましく賑やかな姿がだぶる。
1つ1つ噛みしめることが出来る創見に満ちた本である。ALSの人、その介護をする人を通して、人に対する愛おしさが読後に残るように思う。

この「ケアをひらく」シリーズは、ものすごく充実していて個人的には、もっとも注目している叢書である。ケアというものに興味がなくても、人に興味があるならきっといい出会いになると思う。
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by isourou2 | 2013-08-23 15:05 | テキスト

誰も知らなかった小さな町の「原子力戦争」(田嶋裕起 WAC 2008)

出版年に注目してほしい。2011年3月以降であったら、おそらくこの本は出版されないか、内容の大幅改変を強いられただろう。そういう意味で、今となっては貴重な部分のある3・11以前の本ということになる。
この本の著者は、高知県の過疎の町である東洋町長を務めていた人であり、原子力発電所の放射能廃棄物の最終処分場建設を反対を押し切って推進したその張本人。そして、辞職をしてからの施設の是非を問う出直し選挙で、反対派の候補者に圧倒的な差で負けた人。その人が、なぜ候補地として応募するに至ったかについて、精一杯主張をしている本です。
で、反対派に対する悪口批判と安全という宣伝を除いてみると、この本が訴えていることは実にシンプルな話です。金が欲しかった。施設にまつわって入ってくる交付金が目当て。
東洋町の財政について、いろいろと資料をあげて、危機的状態を説明しています。まずは、農林・漁業の第一次産業は斜陽であり、サーフィンなどの観光は日帰りでお金を落としてくれない、そういう中で若者が流出し、収入も減る。その上で、小泉政権の「3位一体の改革」により、国庫支出金や地方交付税が削られ公共事業が出来なくなった。平成11年度で42億超えていた予算は平成19年には20億と半減しています。子育て支援の出産祝い金も払えなくなり、職員の交通費の至急もストップ。企業誘致は立地が悪すぎて出来ず、刑務所誘致さえ遠い夢。
そういう状況の中で、最終処分場の建設をめぐる交付金はあまりにボロい、そして甘い話だったわけです。
調査の段階で、文献調査(2年)期間内20億、概要調査(4年)期間内70億が国から交付され、その半額は市町村の収入になる。その後の精密検査(15年)、建設(10年)、操業(50年)の間には、それを上回る額が入ることになる。300年は管理するということだから、その間も交付金はあるだろう。それだけではなく、関連企業の進出で町は活性化し年2200人もの雇用も創出できる。
まさに、バラ色の未来を思い描いたわけです。
もちろん、そのバラは、何か事故が起きたらとたんに灰色になってしまうものなわけですが。
これは、いつの間にか原子力発電所が55基も出来てしまった仕組みと基本的には同じではないかと思います。
しかし、それにしてもこれほどの交付金を国が出すのには、一体どのような背景があるのか。それだけ、やりたがる自治体がないのに、強引に事業を進めたいという、その背景には何があるのか。(ということは、この本からは分からないことですが、、、)
あと、この元町長は、町長時代から「いつでも計画はストップできる」ということを強調していて、反対派に対する反論ということとともに、どうも本音はそこいらへんにもありそう気がしました。概要調査や精密調査に入る段階で住民投票を行うということを記者会見でも述べています。つまり、処分場は必ずしも出来なくてもよいから、もらえるだけ交付金をもらってから辞退すればいいではないか、というのがどうも本音のように見える。
この元町長は、町議員時代は共産党の議員だし(共産党が原子力発電についてどういう見解を昔持っていたのかは分からないが)、原発建設に反対した経験もあったということです。
ただ、その点においても、やはり反対派の意見の方が筋が通っています。「当該都道府県知事又は市町村長が概要調査地区等の選定につき反対の意見を示している状況においては、(略)概要調査地区等の選定がおこなわれることはありません」というのが国や原子力機構の見解だが、中止にすると書いていない以上、知事・町長の意見が変更するのを圧力をかけつつ待つ、と言っているだけにすぎない。まして、住民投票の結果を尊重するとも言っていない。そう簡単にあきらめるわけがない、と思う方が妥当でしょう。また、処理場の安全性についても、輸送途中の安全については、著者は答えられていない。
あと、印象に残ったのは、反対派にはサーファーが多かったと書かれてあることだ。ちょっと意外。
この本は、最後に1章使って、もし処理場の交付金があったら、こんなことが出来たのに、、、といういささか未練がましい著者の夢が語られているわけだが、、、福島原発、東北の復興、などいろんなイメージが重なってきて、なんともいえない読後感が残る本である。
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by isourou2 | 2013-08-23 15:03 | テキスト

だいにっほん、おんたこめいわく史(笙野頼子 講談社2006)

ネクストレベル、という言葉が少し前にはやっていた。この小説を評するに、このネクストレベル、という言葉を贈りたい。しかし、ネクストレベルという言葉は、たいてい、一体何が何に対してネクストなのか、が曖昧で、というか曖昧がゆえに発されるコピーであった。笙野頼子の作品で通読したのは、これが2冊目である。面白さを感じながらも読む方が息切れするというか、、、。しかし、この本は読める、こちらの状態というよりも、この本が作者によれば、一気に書かれたという事情が関係してそうだ。つまり、脂って(のって)いるわけだ。笙野頼子の持っている言語感覚、手法、問題意識、これらの作家の基礎体力というものは、飛び抜けていると思うのだが、この作品では、それらを自在に駆使しながら、それらを踏み越えた地点に到達している。それは、やはり書く速さが(とここで、謎の電話がかかってきて、聞き取りに苦労し、この先に書くことを失念した。)

2006年にこの本は出た。これは、村上隆や東浩紀が猪瀬直樹(都知事)に群がり、現在現出し、これから東京にオリンピックが決まった日には、増大していくだろう気色悪い文化状況を抉りだしている(ような気がする)。笙野頼子がいれば、村上春樹も高橋源一郎もその他もろもろの若手作家も必要ないのではないか(そんな気がする)。
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by isourou2 | 2013-08-09 16:01 | テキスト

遊覧日記(武田百合子 作品社1987年)

ピントの合っているエッセイ集。遊覧という言葉といい、ぼーとしていて、という言葉が数回出てきたり、全体の雰囲気は穏やかのように誤解する。しかし、ピントの合っている場所がちがうだけなのだ。表象のあれこれ、人物のあれこれ、のさらにもう一歩深いところに鮮やかに標準が合っている。カウンセリングの心得で、相手の全体を俯瞰するように見ながらでも集中力を絶やさない、みたいなことをどこかで読んだことがある。半眼の状態もボヤーとしながらその奥を手放さないという感じがある。もちろん、カウンセラーでも坊さんでもない武田さんが意識してそのようであるわけではないだろう。いたって自然体に思える。意識が開かれているから、様々な人の話し声が耳に入り(ところどころで羅列しているその言葉は現代詩のようであり)、様々な人の様子が描写される。見慣れた場所の見慣れた風景であるはずのところが、異星人(は言い過ぎだが)が見たように独特に再現される。そして、ズバっとくる。ズバっとこないままに終わる時もある。それはそれで味がある。そのピントが合っている場所は、それまで不分明だったり見過ごしていたことが、一気に新たな了解に向かう場所である。そういう場所を押さえることが、表現においては大切なはず。そして、それは難しいことだ。たいていは失敗する。そして、なにも表現しないままになってしまう。たとえば、黒沢明監督の「どですかでん」で、どもりの中年の男が、貧しい自宅に同僚を呼ぶが、妻はふてくされたように一向に同僚たちをもてなさず、妻が席を外した時に、その妻のあまりの態度に心優しい同僚たちが男のために義憤にかられ様々いう。黙って頭を垂れて聞いていた男が、急に怒りだし、いかにいままで妻と苦労を共にしてきたか一体何がわかっているんだ、というようなことを同僚にいう。あのシーン。そこには、ある了解点にピントが鮮やかに合っている。同映画の乞食と子供の会話もそうだろう。それは、人間に対する理解の深さであり、そういうことは狙っても理づめでも分からないむしろある種の態度である。
料理を作りながら、ふとこの本の一節が甦ってきた。武田さんの夫の友人のインド学者Mさんの章だ。Mさんに夫の「とんび」(服)をもらってもらい、そのお礼にお酒を武田さんと武田さんの娘さん(Hさん)がご馳走してもらうことになる。Mさんは、インド酒場に案内するが店は休み。しかし、Mさんは店に入り込み、迷惑がられながらビールを3本注文する。さらに、もう一軒。さらにもう一軒。それぞれに特徴のある店に入り酒を飲む。Mさんは店の中で放歌し、他の客は帰ってしまう。Mさんは「ボクの蓮の研究は、あと三〇〇年かかります」「コドクを恐れてはいけません。平凡な人間は友達が多いが、平凡でない道を歩く人はコドクになります」という。小便をして帰ってくると「友達は多い方がいい」という。店主が武田さんの夫(泰淳)さんのことを知っていて思い出話になる。
12時を過ぎ小便に再び行ったMさんは頭に雪をのせて戻ってくるなり「つっ立ったまま、「イワの上にタオルが干してある」と、うわ言のように独り言を呟き、それからどっかり腰かけると、「ボクはこの頃、三十五、六年前に死んだ飼犬のことをしきりに思い出します。Yさんのこともそうだ。生きている者より死んだ者の方が日々記憶に新しく生きているんです。泰淳さんもそうです。」と、涙声になった。「M先生。ここのお勘定はあたしが払いたいのです」Hが財布を握って立ち上り、一番早く調理場の方へ入ろうとした。「いえ、あたしが」と私が追いかけた。そのあとから「ボクが」とMさんが割り込んできたので、人一人の幅しかない通り口に三人の胴体がぎゅうと詰り、動けなくなってしまった。」
と長く引用してしまったが、ここが三人がある了解に達した場面であり、そしてそれを素晴らしい精度で捉えている文章である。でも、読んだ時にはあまり気づかなかった。料理をしていて突然ぼくもその了解に達し涙がこぼれそうになったのである。
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by isourou2 | 2013-06-19 18:29 | テキスト

闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」(七尾和晃 草思社2007)

王は、新橋や渋谷など各地の焼け跡にマーケットを作った中国人。この本が出る時点では存命で、王のインタビューに基づいて構成されている。なので、特に、新橋・渋谷の戦後に関心を持つ人にとっては、必読である。闇市やマーケットについては、当事者の声は、ありそうでなかなかなかったためにこれは非常に価値がある。ただ、王以外に、マーケットに店子として入っていた人や王の当時の直接の知り合いには取材出来ていない。渋谷の闇市で屋台を出しマーケットに行ったことがある1人から話を聞いているだけである。「口をつぐむ生き証人」という章もあるのだが、たしかに焼け跡やマーケットについての当事者の話を聞くのは困難があっても、これは少し怠慢な気がする。引用も多く(その中には有名な本もある)、むしろ王のインタビュー集が読みたいと思ってしまった。でも、こういう人の話は、あちこち飛んだり、意味がとりづらかったりするんだろうとは思うから、インタビューという形は難しいのかもしれない。
 この本の中には、自分の関心にひっかかるところが色々あった。たとえば、渋谷について。後に東急文化会館が建つ渋谷東口駅前のマーケットについて記述が興味深かった。ここも、おそらく強制疎開跡地だったのだろう。王の話だと、2階は連れ込みになっている店が多かったようである。東急の五島慶太とは、王の愛人(後藤新平の元愛人)に五島が借金をするために王の家に訪れたことから知り合いになった、という。
 王が、東京に近い島に国営賭博場を作ろうと政治家に働きかけていたという話から想起したのは、石原慎太郎。石原は「三国人」などと平然と差別的な含意をもって発言していたが、この焼け跡のころに培われた発想・行動が基盤になっている人の気がする。石原と王の発想が同一なのは皮肉である。
 王が銀座にたてた黄色合同会館は行政代執行で壊されたのだが、このことも自分が行政代執行の裁判に関わっていることもあり、気になった。この行政代執行は、王が服役中に行われている。自分で除却できない状態を狙って、代執行という形をとるのはかなり不当なことだと思う。しかも、除却した荷物を東京都は紛失している。これは、明らかに損害賠償責任がある。
 王にまつわるエピソードはどれも面白い。こういう戦後のどさくさを生き抜いた人たちの蠢きが、現在にも様々な影響を与えていることを感じさせる本であった。
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by isourou2 | 2013-04-08 20:49 | テキスト

光芒と闇「東急」の創始者五島慶太怒濤の生涯(菊池久 経済界)

 まぁ、正直、取るに足らない本ではある。渋谷(の再開発)について関心があるので、東急、のことを知っておかなければいけない、と思い読んでみた。猪瀬直樹「土地の神話」や大下英治「東急帝国」、も借りたけどまだ読んでない。とりあえず、入門として簡単に読めそうという理由。
 ただ、「闇」というから少しは批判的な距離を取っているのかと思ったが、ページをめくるに従って単なる<よいしょ本>になっていく。
 日本の侵略の尻馬に乗って「大東亜共栄圏内の交通とホテルは、わが東急で独占してみせる。」と言っていた五島は、終戦後公職追放(東条内閣の運輸通信大臣だったため)にあうが、復帰した時のコメントでは「自由貿易が理想的に実行されるならば、領土など問題ではない。考えてもみたまえ、一九世紀から二〇世紀の初頭までは、英国はあの小さな本国だけの領土で、商業によって世界を圧倒することが出来たではないか。~こんどは経済力によって自然と東亜民族の繁栄を促進する「共栄」が出来るわけだ。」などとのたまっている。
 それに対して著者は「大変な達見だ」とくるから、アホらしい。
 まぁ、こういう起業家というもののメンタリティがおぼろげながらも伝わってくる本ではある。そして、渋谷の街の開発はこのような支配と権力に依存し他者の痛みに鈍感になってしまった人間によって展開してきたわけである。五島慶太の長男が「昇」、次男が「進」、合わせて「昇進」、慶太がまだ官僚だった時の命名だが、これには苦笑した。
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by isourou2 | 2013-01-31 18:53 | テキスト

思想地図VOL.3 アーキテクチャ(日本放送出版協会 2009)

・共同討議「アーキテクチャと思考の場所」(浅田彰、東浩紀、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司)について

当世の希代な論客が集まっている、、、はずだったが。真面目に読み始めたが、途中で吹き出してしまった。話が面白いからではない。単にこっけいなのである。不条理ともいえる。不条理というのは、その場にいる人を矮小にこっけいに見せる。そして、それが、自分の似姿である、ことであることに最終的には連結させる方法である。これらの人たちは、身を挺して、不条理劇を演じて見せているのだから、えらい。この討議の場が何なのか、何のために出席しているのかが共有されているようには見えないのだ。冒頭で、浅田は「急に振られても困るんで、~、最初に東さんの言われた問題設定は実は初めて聞いたんで、文脈がまるで分かっていない。」磯崎は「まずは恐縮しています。」宮台は「~、すでに半分ほど時間が経過した段階で、なんとなくこのシンポジウムは失敗しているような印象がしてきましたので、」。
シンポに先だって、若手の濱野、宇野、からの短い基調講演があるのだが、それを受けての東の要約がひどい。特に、宇野の講演の要約にいたっては、まるで違うことを言っている。「誤配」どころじゃない。宇野が簡単に講演の要旨を繰り返すことになったが、まずここで唖然とせざるえない。出席者は、この時点で「失敗しているような印象」を抱かなければ嘘である。東と宇野の間にある背景は知らないが、ここでの東は宇野の言葉に感情的になって聞き取ることが出来なかったか、単に聞いてなかったのか、どちらにせよ不可解である。
距離感をもって出席していた浅田が議論を成立させようとがんばる「いい人」だったり、建築を批判していたはずの磯崎があくまでも建築家としての言説に終始する「まじめな人」だったりする中、東の司会者としての迷走ぶりと宮台のこの場の設定自体を問う、というか無意味化する攪乱ぶりが目をひく。しかし、アーキテクチャを問うと、その問うている場自体を問うことになる、ということが要請されることを察知しているような宮台にしてもなんだか中途半端である。笑える山場は、浅田がもう帰りの時間だから、とシンポの途中で退席することとその後の宮台の急に気の抜けた発言である。
この雑誌の巻頭言はいつも妄想気味な感じがするが、それでも「私たちは、イデオロギーにではなく、アーキテクチャに支配された世界に生きている。したがって、必要なのは、イデオロギー批判ではなくアーキテクチャ批判である」という言葉の勢いを真に受けて読み始めると実に肩すかしである。妄想気味というのは、やけに新しい事態の到来を強調するからであって、それは、浅田のように「あまり新しさを感じない」という反応とのやりとりを喚起することになる。この新しい事態の強調は、本としての「商売っけ」だとしても、なんだか東自身それを思いこもうとしているような部分が見受けられる。実際は、そもそもあったものがテクノロジーなど何らかの契機によって顕在化し顕在化の通路が作られたことによってより強化されるという過程があるだけである。東の場合、新しさの強調が、そこで古いとされているものへの抑圧として働いていることに注目すべきだろう。この場合であったら、イデオロギー、という言葉である。このシンポを読んで分かることは、アーキテクチャ批判というのは、アーキテクチャの分析を通してのイデオロギー批判が必要ということで、それに対しての抑圧がシンポを機能させない大きな原因であることだ。巻頭言自体、つまりは、東の編集意図からして疑問、ということになる。アーキテクチャ(設計)には、設計者の意図(イデオロギー)があるし、それを踏み越えるような使用の仕方があっても、それに対しては意図に沿うようにアーキテクチャを変更したり、もっと明示的な方法を取ってくる。24時間やっているマクドナルドがホームレスが夜間増えてくると掃除の時間を深夜に設け通時でいられないようにしたり、場合によっては特定の人を入店拒否したりする。
このような問題意識をもって発言しているのは宇野だと思われる(講演で『アーキテクチャの層だけのコミットでは「だれが設計を担うのか」問題が残る』としているし、「思想や批評を麻痺させているものがあるとしたらこのような「誰が線を引くのか」という問題を横に置いたまま「もはやアーキテクチャしか語るべきものがない」という前提からはじめてしまう態度だと思います。」)が、宇野の発言は東によってことごとく無視される。宮台や浅田などの先行世代に気を使っているのと対照的で、対話する意志がないかのようだ。宇野の最後の発言としては「途中から完全に聞き役になっていたのですが、~。~、6割ぐらいどうでもいいなと思って聞いていました。」となる。基調講演をさせながらその内容も、シンポでの発言も、無視されたらこうなるのは当然で、宇野という人がどんな人かよく知らないが、同情するし、東という人の露骨な政治性がこのシンポを麻痺させているともいえる。つまりは、それがこのシンポのアーキテクチャを設計した東のイデオロギーで、そのイデオロギーとシンポという現実の結実は切り離せないという生きた見本になっている、という意味で非常に示唆に富んだ笑えるシンポジウムである。
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by isourou2 | 2013-01-16 19:45 | テキスト

ハンセン病重監房の記録(宮坂道夫 集英社新書 2006)

 2、3時間あれば読了できるだろう平明な新書。入門書に最適ではないだろうか。それは、この本がコンパクトにまとまっているとともに、著者自身が歴史的な勝訴といえる2001年のハンセン病国家賠償請求訴訟・熊本地裁判決が出た後から、ハンセン病のことを学びだした、いわば「初学・者」というスタンスに立っているためだ。
 「この本を手にした人のなかには、ハンセン病問題のことをほとんど知らない人もたくさんいるはずだ。私もそうだったし、今でも同じようなものだ。この本は、そういう人たち、ハンセン病問題をよく知らない人たちのために書いた。」とまえがきにもある。
 たとえば、療養所を訪れる時のためらいや重苦しい気持ちなどが、その行程と共にていねいに書いてある。だから、ぼくなどの本当の初学者にとってこの本は、著者の思考・行動の後をたどることで、この問題に近づくことのできる抜群の道案内になっている。
 また、この本のテーマとして著者が関わる<生命倫理学><医療倫理学>の分野で、この問題が扱われてこなかったことに対する反省がある。そこで、その学識からみたハンセン病問題にある「パターナリズム」の説明にページを割いている。光田健輔氏の言動を分析していることは、「長い道」の感想にも少し触れた。パターナリズムの究極の現れとして「重監房」があったことを理解できる流れになっている。
 1916年に療養所所長が入所者に対して「監禁」「減食」など罰することできるように<らい予防法>が改正された。ハンセン病患者を一般刑務所が収監しないことに対して<らい刑務所>設置を求める光田氏たちの要求を受けて、刑務所設置の代案として法改正が行われたとされている。しかし、各所内の監禁所だけでは不足だとして光田氏たちは草津の栗生楽泉園内に<特別病室=重監房>を設置する。
 1938年から47年までの9年間に93名が収監され、そのうち14名が監房内で死亡、8名が衰弱して出所後まもなく亡くなった。冬はマイナス20度になる中で、たいした寝具もなく(敷き布団は氷ついて床からはがせなかったという)、区切られた個別の監房の周りには雪が積もっていたとのことだ。そして、収監に関して書類がつくられたのは1名しかなく、先の人数も正確なものかどうかも不明とのこと。つまりは、この重監房の運用は、裁判などには全然基づかず、完全に所長らの恣意にまかされていた。そして、この存在をちらつかせては入所者を従わせていたらしい。重監房からの生還者のほとんどは、その経験について何も語っていない。むしろ、頑なに語ろうとしないということだ。経験が、その人の中で凍り付いてしまっているということだろうと思う。なので、ごく少数の例外を除いては重監房で何が起こっていたかは、監房に食事の運搬をしていた人などからの聞き取りしかない。
 例外的に経緯がわかっている場合が2つ本書に掲載されている。熊本のハンセン病患者の集落の中に、自治的な療養所を自ら設立するために働きかけを行っていた互助組織があった。しかし、1940年、九州療養所は警察の協力のもとその集落を明け方急襲し157名の強制収容を行った。全くの犯罪者扱いである。そして、互助組織の役員17名が重監房に入れられた。(さすがに冷静な筆致の著者も、ぶち込まれた、と書いている。)
 もう1例は、多摩全生園で、洗濯場の主任をしていた人が、作業している入所者から穴のあいた長靴の取り替え要求が出たことを園に伝えたところ、園側が拒否し、その結果として作業のサボタージュが行われた。その懲罰として主任とその妻を重監房が送られ、主任は出所1ヶ月半後に死亡した。重監房に送られた彼らは、刑務所の必要を主張する光田氏のいう凶悪犯などではない。園側が怖れて、これらの<懲罰ー重監房>の存在を必要としたのは、入所者たちの自治的な活動、権利意識であったことがここからは読みとれる。それに関連して本書で知って目を開かされたことは、1942年に入所者たちによって重監房を秘密裏に破壊焼き討ちする綿密な蜂起計画が進められていたという話だった。しかし、寸前に園側に情報が漏れたとしてこの蜂起は中止になってしまう。「このような命がけの反抗計画が、第二次世界大戦のさなかである1942年に行われたことに、驚きを禁じ得ない。日本で最も早い「患者の権利運動」の一つが、抑圧の時代に行われたのだった。」
 国土をハンセン病から防衛するという優生思想的でナショナリィステックな発想と同時に、自らを「家長」とする患者の「理想郷」「楽土」を療養所として実現しようとした光田氏。その発想は同時代の新しき村から大東亜共栄圏に至る様々なユートピア(デストピア)思想の1つであったと言えそうだ。そして、そこでは、入所者による自治的なもう1つユートピア運動も萌芽して、その相克の歴史として「療養所ー入所者自治会」ということを考えることが出来そうな、、、気がしている。そこにおいても、やはりこの重監房の存在は大きな象徴的な意味を持つだろうと思う。(そういえば、猪瀬都知事は、愚かしくもやたらに「家長」と連呼してますね、、。)
 重監房は、戦後問題視され出すと、施設当局者によってあっけなく壊され土台が残されるだけになった。証拠隠滅である。そこで、入所者の発案に沿って著者は「重監房」の復元を求める署名運動を始める。「重監房をわざわざ復元することのいちばん大きな理由は、私たちの想像力の限界にあるのかもしれない。重監房の「殺意」は、あの異様な建物の構造にこそ表れている。これを可能な限り復元して、暗黒と冷気に閉ざされた独房に、私たちは入ってみる必要があるのではないか。そうではなければ、そこで数十日間、数百日間と監禁されることの恐怖は理解できないのではないか。」と著者は逡巡しながらも運動を続けていく。それは、約1年間に10万人の署名を集めるに至る大きな動きになった。この本は、その10万人を超える署名を厚労省に提出したところで終わっている。
 その後、どうなったのだろう、、、とネットで「重監房の復元を求める会」のHPを見てみたところ、更新がこの本が出版された2006年で止まっている。ああ、、、実現されなかったのかなぁ、、と落胆しかかった時、違うページが目に止まった。なんと、2012年5月の新聞記事に、厚労省が「重監房」復元の基本計画書を取りまとめ、今後、入所者による運営委員会が設置され、事業計画を決め、来年度の完成を目指す、とある。署名が、運動が、実ったのである。ブラボーである。しかし、この当時は、まだ民主党政権である。自民党が計画を見直すことはないだろうか、といささか不安を感じつつ、、、完成したらぜひ、行きたいと思う。
(毎日新聞 2012年05月09日 地方版http://goo.gl/in0oN)
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by isourou2 | 2012-12-30 02:48 | テキスト

長い道(宮崎かづゑ みすず書房 2012)

 10歳まで過ごした岡山の村での暮らしの記述は、いままで読んだ誰のものより、昭和はじめの農村の子供の暮らしが、スッと胸に落ちるようだった。宮本常一や柳田国男らの学者の書いたものより、ずっと実感がこもって分かる気がした。これは、すごいことだ。宮崎さんはハンセン病を発症して、10歳から瀬戸内海に浮かぶ島にある長島愛生園に暮らすことになり、80歳のころから文章をかくようになった。宮崎さんは、本の世界が好きで、特に外国の暮らしや風景が事細かく描かれている物語が好みらしいので、そういう影響もあって、こんなにきめこまかく故郷の暮らしを描くことが出来たのかもしれない。近頃、同じくハンセン病の隔離施設である大島療養所に入所した夫婦を描いたドキュメンタリー「61ha絆」を見たところだった。また、友人が多摩全生園の掃除を短期バイトでやったので、ハンセン病の療養所に縁があるような気がして手にとった一冊だったが、一気に読んだ。
 「魂に磨きがかかり、美しい光を放ち、そしてその光は歳をとるごとに輝きを増して」という文章がこの本にある。友人のトヨさんについての言葉だ。これは、安易な言葉ではない。むしろ複雑な言葉だと思う。でも、そういうことはあるのだと思う。魂、や、裸の心、といったものは人それぞれ光っていて、その光が磨きがかかっていくということが。この本は、宮崎さん自身もどのように磨かれてきたのか、ということがよく分かるように表現されている。率直で明晰な言葉がたくさんある。そういう意味で、この本には光がある。先の文章の前には「苦しみが彼女の心をざぶざぶと洗い流していたかのように」とあるが、この本を読むこともまた、心を洗い流されるような経験であった。
 『手のいい皆さんと同じようにできなくても、ひとつひとつ、自分流にやっていけばいいんだと、あるときに会得したのだと思います。世のやり方を全部御破算にして、「私ならどうするか」というやり方があることを見つけたんですね。』
 この世のやり方を全部御破算にして、という言葉。この言葉が強さと同時にしなやかさを感じさせる、宮崎さんの気持ちの位置。こういう言葉をこういう風にはなかなか言えない。
 正直に言えば、胸を掴まれ何度も涙をこらえきれなかった。なんというか、泣くしかないポイントというのはあって、泣くということは悲しいというのと違うし、また笑うというのも楽しいのとも違う、表現しようのない複雑な気持ちだからこそ身体が反応する何かなんだろうと思う。たとえば、宮崎さんが足を切断した後、はじめて母親が宮崎さんの面会に来た時のこと『母は遠くから私を見つけると、にこにこしながらも、ほろほろほろほろと泣いていました。私は笑って「なんでもない、なんでもない。元気になったんだよ」って言いました。でも、ほんとうはつらかった。』という場合の笑いや涙が、それらの本質をよく表している。それほどウエットのところがないにも拘わらずこの本で多くの人がきっと泣くだろう。でも、泣くだけではなく、その後には、その複雑さについて考える、ことになると思う。
 宮崎さんは、初代園長の光田健輔氏について、悪く書いていない。「私は光田先生に世間の風から守ってもらったと思っています。」。一方で、光田氏は医師としてハンセン病患者の隔離政策を推進した第一人者であり、近年厳しく批判されている。そういう意味では、ハンセン病のことを知るには他の本も併読する方がよいような気がする。たとえば、宮坂道夫「ハンセン病重監房の記録」という本を読んでみたが、そこでは光田氏の言動を<世界最悪のパターナリズム>と書いている。パターナリズムとは、「当事者のあいだに力の不均衡があり「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振る舞うべきだという価値観」。光田氏は、入所者に慈父のように振る舞う一方で、逆らう入所者に対しては厳罰をもって臨み栗生楽泉園の重監獄では多くの死亡者を出している。ここでの宮崎さんの言葉は、パターナリズムを被った人のもののようにも読める。それは、10歳で入所した宮崎さんにとっては強い実感であるのだろうとも思う。また、この本では入所者たちの園に対する闘いについては触れられていない。
 トヨさんのまわりの人への感謝の気持ち、、、それは、ご本人が磨きあげたものであるにしても、そのように磨く以外にやりようがない追いつめられたものでもあるのだろう。長島愛生園の江谷医師の誠実な付記にもトヨさんについて「不遇といわれて致し方ない境遇をくぐりぬけてきておられるのに、なぜ、これほど感謝の気持ちで人と接することができるのか、自身に課された運命を恨まず過ごせるのか、日々驚きの連続でした。一方で、痛みに対して,日々の生活に対して、とても強いこだわりのある方でした。それが、ご本人の内に秘めておられた病気や過去への恐怖感に基づくものであることは、想像に難くないことでした。」とある。トヨさんのこだわりの内容と理由について気になるが、それは読んでも分からなかった。宮崎さんもトヨさんのことをこうも書いている。
 「でも、すべてわかっている、信じ合っている、そのときはそう思っていても、もうちょっと言葉をかけてあげればよかった、もうちょっと苦しみをたずねてあげればよかった、なんて私は鈍感なんだ、という気持ちがこみあげてきて、居ないことの不自然さに慣れることなんてとてもできなかった。」
語ることができないことや、語られなかったことは、たくさんあるだろう。そのことが、大切なことが明晰に語られるこの本からは感じられる。宮崎さんの文章からは、戦争時や戦後の療養園で、学校にも通えず体に負担になる重作業をさせられているのが分かるし、そこでの人間関係もしんどいものであることが伝わってくる。しかし、宮崎さんは、国や社会や他者の責任を問うことを直接的にしていない。それが、ぼくたちの社会の免責はいささかも意味しないと思う。宮崎さんには人間に対する強い肯定と深い深い諦念がある。
 宮崎さんがトヨさんに語りかける形の詩があるが、そこにはこれらのことがよく表されている気がした。
「トヨちゃん
あんたはらいを全身で受け止めたのに、苦しみは一度も口にせずに逝ったねえ
宇宙の彼方に幸せの塊の星があるとしたらあんたはそこに行ったんだねえ
私にはとうていそんな資格はありませんよ
愚痴は言うし、眼が痛い痛いと今年は言いつづけてろくなヤツじゃない
だからあんたにはもう永遠に会えないんだよねえ
ありがとう、トヨちゃん
もう人間はやめようね
私もそれだけは、、、
生まれ変わってきたいなどと思わないんだよ
あんたはきっと、人間というどうしようもない動物から卒業できたんだと思う
だからあんなに卒業試験が苦しかったんだよ
そして卒業試験を合格したんだよ
(略)」
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by isourou2 | 2012-12-27 00:37 | テキスト


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