カテゴリ:テキスト( 52 )

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る(梅森直之編著 光文社新書 2007)

ちょっと前に読んだ本。
アンダーソンの短めの講演2つと、編著者の長めの解説がついている。
最近、グローバリゼーションについて、もう少し知りたいなぁと思ってその種の本を読んでみている。
グローバリゼーションといえば、経済(大企業)の国境を越えた活動、のこと、、、と思って読み始めたが、この本はそういうことを書いているわけではない。
郵便や印刷技術によって、世界の各地域の人たちがつながっていく、それをアナーキズムのネットワークで見ていく、そんなことが書いてあった。
グローバリゼーションという言葉で表される現実が、否定的なものになっている、、たしか、80年代って、グローバリゼーションって、左翼的な人や知識人にも肯定的に語られていたよなぁ、となんだか落ち着かない気分もする。自分が、反グロと言われる運動に関わったりもしているだけに、何が、いつ、どこで、変わったのか、という気分もある。昔、肯定的に語っていた人たちは、それが戦略的なもので、資本主義を加速させることによって瓦解させる、なんてことも言っていた気がする。その人たちも、今は、状況が変わったから、とちょっと言い訳じみて聞こえもすることを言いながら、グローバリゼーションには反対している(はず)。
この本を読んで、グローバリゼーションに希望を見いだしていた時、その実質が何であったのか、ということを、なんだか思い出させ、そしてそれを深めてくれた気がする。
簡単にいえば、反グローバリゼーションの運動が、現在もっともグローバルな運動である、ということが表している何か。
相手がグローバルなら、対抗する方もグローバルじゃないといけない、、という、ある意味当たり前のことでもある。同時に、グローバルに対抗するには、様々な程度と様態でもってナショナリズムが絡んでいる。
そして、アナーキズムのネットワークが中心になっている運動でもある。
この講演の中では、たぶん触れてなかったが、アンダーソンが語っている19世紀末のアナーキズムのネットワークの話と相似することが、現在起こっている。
アナーキストの合意形成をするための仕組みが、リソグラフで印刷され日本でも流通したり、当然インターネットを介しての様々な情報交換が行われている。
おそらく日本の人は誰も知らないような(それは新聞記事にもなかなかならない)日本の野宿者の排除についての抗議がヨーロッパや南米から起きたりする。
それも、やはりグローバリゼーションなのである。
アンダーソンは、そういうことをきっと語ろうとしている。(たぶん、ネグリもそうなのかもしれない、、。よく読んでないけど。)
が、本当に気になるのは、大企業などのグローバリゼーションとそれが可能にする部分もある人のつながりという意味でのグローバリゼーション、それが、どういう関係にあるのか、ということだ。切り分けられるところはあるのか、ないのか。
「自分たちの手で自分たちのペースで自分たちのことを決める」という観点から見ていくのが大切だろうが、しかし、大津波のように基盤自体を変化させていく中で、どこに立てばいいのかも分からないところがある。
編著者の解説は、かなり分かりやすい。
この文体は、知恵の樹(バレーラ・マトゥラーナ)をなんか想起させた。だから、何ってわけでもないが。
あ、アンダーソンの「想像の共同体」と吉本隆明の「共同幻想論」との相違というのは、関心あるが、思ったより似てないな、というのが第一印象である。
アンダーソンは、英語以外の言語を修得することが大切だと講演の最後に言っている。何度やってもダメということもあるが、英語自体の「帝国主義」ぶりが萎えるところもあるので、なるほど!と思った。韓国語や中国語を勉強すればいいんじゃん、と思い立った。
[PR]
by isourou2 | 2011-11-26 01:51 | テキスト

柄谷行人政治を語る(図書新聞 2009)

柄谷行人という人は、空疎に耐えているという感じがする。表現に向かう人はだいたいそんなもんなのだろうが、柄谷氏には索漠さを強く感じる。

ずっと以前に読んだ柄谷氏の本に「隠喩としての建築」というのがあった。不完全性定理や、ドゥルーズのリゾームとかの明晰で難しい話がメインだったと思うけど、その中に、エッセイもあって、それも、催眠術のサークルに行った話だった。なんで、この本にこのエッセイが入っているのかが分からず、でもそれが一番面白かったから印象に残っている。(注)

「政治を語る」は、3時間くらいで読んだ。インタビュー集だし、厚くもないので、割とスラスラと読める。ぼくにとって発見的な考えさせられる言葉もいろいろとある。
しかし、読んでいる途中から気になって、読んだ後に印象にあるのは、そのことではない。

本の中に3枚の柄谷氏の写真がある。
1978年。表情には不敵さと優越感と若さがある。横顔である。
1982年。端正な印象がある。正面を向いているが、目はどこを見ているか分からない。
2008年。年をとった。正面を向いて、目もカメラを見ているが、どこかぼんやりした感じがする。左右の目の印象がちがう。幾分厳しいもしくは疲れた感じである。

柄谷氏は、氏を評価したポールドマンというアメリカの文学批評家が死亡したので、「想定していた唯一の読者がいなくなったので、この仕事(体系的な理論)をついに放棄しました。」と語っている。
また、中上健次に対して「彼は癌でなくなった。それから、文学と僕の絆はなくなった気がしますね。」と言っている。
また、何度か自分の性格として「受け身」「引っ込み思案」と語っている。それも、対外的には行動的だと見られた湾岸戦争時の文学者声明やNAMの時のことを指して言っている。

柄谷氏が、この本でも、様々な形で「反復」を言う。1990年代は1930年代の反復だ、とか明治と昭和は対応している、とか。そういう話を以前読んだ時に、なんだかピンとこない感じがした。まぁ、そうもいえるのかなとは思ったけど。この本では、90年代は新自由主義になったので見込みがちがったと言っているが、60年周期ではなくて120年周期だったと訂正して、反復しているという話は撤回していない。
しかし、まぁ話としては面白いけど、、。というもので、あんまり本気で言うのもどうかと思う。ある部分を切り取れば反復しているように見えても、無数の変数が関わっているので、決して同じにはならない。歴史というのは、一回性のもので、無限の必然の束(それは偶然ということだが)のはず。そして、偶然という認識がなくなることは、病理であると共に、未来の予測ができることになる。そのため、反復しているというのを強調すると、それはオカルトの世界に近づく。
オウム真理教が、柄谷氏の年表に基づいて1999年と昭和16年(真珠湾攻撃)を照応させて、サリン事件を起こしたと、上祐氏が認めたという話を柄谷氏はしている。

特定の個人への愛着と受け身であることとオカルトへの傾斜というのは相互に関係している。
おそらくは、そこが柄谷氏の素質に近い場所なのだが、しかし、そこから出ること、が氏の哲学的批評的試みの機動力になっているのではないか。しかし、行動的であることが受け身であること、「天の声」に従う時に行動的であること、そのような場合、その外へ出ることは困難だろう。氏の明晰さを持った格闘(形式化の問題)は、そのような素質の構造に対してのものでもあるだろう。

このインタビューの最後で、繰り返しデモに期待を寄せているが、2011年9月11日の素人の乱を中心とした反原発デモで柄谷氏はスピーチをしたそうだ。また、デモ時の逮捕者に対する不当を訴える記者会見もやったということだ。それを聞いた時、意外な感じがしたものだが、これは柄谷氏にとって何度目かの「外に出る」行為なのかもしれない。

(注)ネットで調べてみたら「ある催眠術師」というタイトルだった。講談社学術文庫にする際には、省かれているので、単行本にしか含まれていない。
[PR]
by isourou2 | 2011-11-05 00:52 | テキスト

介助者たちは、どう生きていくか(渡辺琢 生活書院2011)

違う図書館から取り寄せて、しかもぎりぎりまで読まずに放置していたため、早く返せ、と電話がかかってきて、そして、慌てて読んだ。そのために、今手元に本がなくて、かなり曖昧な記述になってしまうだろう。すいません。
なかなか読まなかったのは、大儀そうだなぁ、という本の印象と、だいたい知っていることじゃないかな、という思いこみのためだったが、読んでみると、これは読みやすい上に、よくまとまった一冊だった。ここでの介助者というのは、ほぼ、自立生活(というのは特殊な用語だろうか。要は、施設でも親元でもなく地域で暮らすということ)している障害者(それも主に身体障害者)を支える仕事をしている人たちが対象になっている。いうまでもなく、介助の仕事全体からみたら、一部である。また、このような障害を持った人の運動を中心にして、その他の介助を必要としている人の運動を周縁に位置づけていいものかどうかはよく分からない。しかし、この身体障害者の運動、そして介助のことを考えることの意義の深さは間違いなくある。
そのための材料の多くは、この本に書かれてある。

この本の介助が、身体障害者の自立生活の介助になっているのは、端的に著者がそれに長く関わっているからである。だから、これは学者の書いた本ではない。実感や体験に裏打ちされ納得したこと悩んでいることに即して書こうとしている。(そうでない部分は、きちんと断りを入れている。)障害者運動や介助の歴史や、現在の制度についてよくまとまっているという以上のこの本の意義はそこにある。つまり、歴史や制度を踏まえることと介助を続けてきたことの実感を両輪にして、そこから介助についての展望と議論の継続を投げかける、というところが特徴になっている。

介助者というのは、不思議な存在だ。いや、存在は不思議ではないだろうが、その存在感は掴みづらく見えるのではないだろうか。ぼくも、介助の仕事をはじめた頃、介助者たちのただづまいに奇異の念を感じたものだった。障害者に影のように付き添い自身の存在は消すことに専念しているという感じ、、。亡霊といったら言い過ぎか。支援費制度がはじまる前だったから、2002年くらいだろうか。それから、介助者たちのたたづまいも変化したけど、大枠での印象は変わらない。そして、仕事を続けていく中で、そのような在り様であることの必然性というのも理解はしていった。待つこと、先走らないこと、見守ること、などは高度な態度であり技術でもある。それは、相手の力をどうやったら奪わないか、ということの帰結の一つであり、それは、これまでそして現在の社会に散々力を奪われてきた人たちを支えるあり方としては、自然な態度の一つである。そして、それは、相手(障害者など)の言ったことだけをやればいい、という機械的な態度とも、ちょっと違うのだと思う。その違いというのが大切なのだろう、、と思う。それは、介助をするにあたって、障害者運動やそこで考えられてきたことを踏まえる(社会と障害者の関係を踏まえる)ことと、単に仕事としてやる、ことの違いでもあるかもしれない。

しかし、自立生活センター(ILセンター)で介助の仕事を8年くらい細く長くぼくはやったのだけど、それはやはりどこまでいっても「仕事だよなぁ」だった。つまりは、仕事(賃労働)にまつわる不全感や気楽さがついてまわった。仕事である、ということが障害者の自立生活を支え、障害者運動を支えるシステムの一部であるということを意識はするものの、現実、目の前にあるのは、「仕事だよなぁ」、である。
ぼくの働いていた事務所は、ILセンターでもアメリカ型の方に属していたためかもしれない。(その割には、労働法が守られていなかったので問題になったのであるが。)
待つ、見守る、先走りしない、などは、その歴史や意義などを省捨してしまうと、サービス業のあり方と親近性が高い。運動の中で言われた「介助者は障害者の手足になりきる」(手足論)ということも、その言葉の成り立つ複雑な(支援者と障害者の相克など)な経緯を無視したら、普通のサービス業のあり方と変わらない。そして、実際には、そうなっているし、多くの事業所や制度もそれを後押ししている。そこでは、歴史や経緯や個々の障害者の思いなどは、意識しないでもいい形で介助が成立している。だから、ますます、介助をやる方は「仕事だよなぁ」と思うことになる。ある意味、介助がふつうのサービス賃労働になったということは、障害者運動の大きな結実である。もちろん、サービス業的な介助のやり方についての疑念を唱え、ちがうあり方を模索している一群の障害者たちがいて、それらの主張に多くの記述をさいているのも本書の特徴ではある。しかし、おおむね、介助のサービス業化は、運動の帰結としても行政の方針としても進んでいる。そうなると、当然、介助に、賃労働一般の問題がより顕在化してくることになる。

この本では、労働者と障害者、の関係についても書かれている。一つは、労働者の権利ばかり介助者が要求すると、障害者の生活が制限されることになるという懸念である。たしかに、現状の労働基準法と重度訪問介護という多くの自立生活を送る障害者の利用する制度とは、折り合いの悪いところがある。制度だけではなく、そもそも行政から降りてくるお金が足りないために、労働者としての権利を保証できないということがある。それに対しては、著者たちのやっている「かりん燈」という介助者の組織は、事業所ではなく厚労省などの行政に対して要求をする方法をとっている。
もう一つは、労働者が「労働強化」になることを理由にして、障害者(運動)の要求に対して理解ある態度を示してこなかったことがあり、また労働運動(春闘とか)に障害者運動がいいように利用されたという、経緯がある。
しかし、この本では、あまり大きく触れられていなかったようだが(曖昧、、違っていたらすいません)、より重要だとぼくが思うのは、初期の障害者運動(一部の青い芝の会など)では、賃労働をすることの否定、あるいは、労働概念の著しい拡張、が言われていたことだ。つまり、(これもちょっとウロ覚え、、)、資本主義の社会にあって障害者は生産性のないものとして差別され排除され、仮に賃労働をしても劣位におかれた労働者にすぎない。そこで、賃労働をするための無理な努力をする(させられる)のでは、救われない。この賃労働をすることを優位に置く考え方を根本から改め、もしくは労働を障害者がパンツをはきかえることを重労働と認めるくらいにラジカルに捉え直し、社会を変革するべきだ。というだいたいの要約すると、こんな感じの主張があった。
ぼくとしては、これは大変魅力がある考えで、この地平で考えていくときに、障害者と労働者の相克するような関係から脱するのではないかとも思ったりする。賃労働の否定、労働概念の拡張、などは障害者だけに適用するのではなく、介助をする側にも適用しようと考えた時、そこからどういう社会やあり方が見えてくるのかということを多様に考えたいというところがある。

本書の中に、友達のふりを仕事としてする、という介助者の言葉があった。まさに、サービス業として介助は「感情労働」の性格がこれから強まってくるのだろうと思う。そうなってくると、本書で管理型と呼ばれている事業所だけでなく、共感型と呼ばれている事業所も下手すると、共感の内実は「感情労働」のスキルが多く求められる仕事、ということにもなりそうだ。仕事というバーチャルな人格に囲まれる生活は、移動する施設(という言葉もこの本のどこかあった)、とも言えるが、逆にバーチャルではない関係や環境とはどこにあるのだろうと思ったりもする。バーチャルなものしかないにも関わらず、そうでないものをリアルなものとして希求するという勘違いが人間の情熱の源泉だとすると、どんなに高度に管理されてもそれを喰い破ろうとする動きは起こるだろう。そこに賭けるしかないようだ。勘違いが根底にあるだけに、それは失敗の色が付かずにはおれない。やはり、青い芝の会の「解決の途を選ばない」という綱領は大切だ。うまくいくことでも同じ失敗をすることでもなく、失敗の歴史をより高めていくことを目指すのがいいのではないだろうか。
なんだかおかしな結論に到達したところで、とりあえず、本書を読んでの感想を閉じたいと思う。
[PR]
by isourou2 | 2011-09-05 01:54 | テキスト

こころのレッスン~あなたと私の中にある大切なもの(草加登起夫 文芸社)

待望の草加さんの本だ。待望といっても、草加さんが本をつくるなんて思っていなかった。しかし、待望というのは、こういう人が世にいるということが少しでも知られてほしいと思うからだ。
草加さんは、知的な遅れのある人たちのための学校に勤めている。一度、草加さんに誘われて学校の文化祭を訪れたことがある。この本に収められていることのいくつかは、そこでの草加さんの展示で見たと思う。(だいぶ昔のことでよく覚えていないが、、、)
この本に収められているのは、草加さんの学校の人たちのこだわりのある行動や不思議な行動である。それを真似してみることを草加さんは「こころのレッスン」と呼んでいる。

草加さんとの奇妙な出会いのことを書いておきたい。たぶん、草加さんのことが多少なりとも伝わると思う。
10年前くらいに、ぼくはテントを張った場所で芝居(というかパフォーマンスか)をしながら自転車で旅をしていた。出発したときは10人くらいいたけど、1ヶ月を過ぎる頃には2人だけになっていた。その頃は、鵠沼海岸というところで、テントを張っていた。話はそれるが、ぼくらがテントで泊まっていた浜の近くには、偶然ニエアルという中国人のリリーフ像が立っていた。ニエアルというのは、中国国歌を作曲した音楽家だが、この鵠沼で泳いでいた時に若くして溺死したのだった。そのために、日本ではまるで無名の音楽家のリリーフが立っているのだが、それは落書きされるのを防止するために分厚いビニールに包まれていた。近年に打ち捨てられていた像を新しくしたらしいが、その経緯にも、落書きにも政治的な背景がありそうだった。それで、ぼくたちは、ニエアルの音楽祭をリリーフの前で準備していた。そんな時、近くの駅前の小さなギャラリーで絵画展のオープニングパーティをやっていた。ぼくらは、腹が空いているから何か食べ物がありそうだ、という理由によってパーティにちん入した。サンドイッチとかをパクついているうちに、テントで泊まっているということが知れて、そのまま遊びにくることになったのが、草加さんだった。(もう一人は、料理マンガで有名なビック錠さんだった、、、)そして、4人で魚を浜で焼いたりして食べたのだった。酔っぱらってもいた草加さんにテントに泊まりたいとお願いされた。そして、言葉どおり実際に泊まった。たしか、ぼくらが寝ている朝早くに、そこから出勤して行ったのだった。

それも、草加さん流の「こころのレッスン」の一種だったのだろうか、、、中年の半ばをすぎたおじさん(失礼、、あの頃はぼくもまだ30歳くらいだったので、そう見えました)である草加さんの物事に対する柔軟な受けとめ方というものに、じんわりと効いてくるボティブローのように打たれたような気がした。ちょっと何かが分からないが、すごく手応えも同時ある、、そういう印象がありました。それから、草加さんの個展に行ったりもした。ウロ覚えですが、寝釈迦の写真があったような、、、。机と机を平らの面で重ねて、その隙間がどう、、、とかいうのもあったような、、、。すいません、ウロ覚えですが、なんだか微妙な、しかし本人にとっては広大かもしれない世界の追求、そんな感じだったような気がします。そこでも、ぼくは分からないけど手応えがあるという印象を持ったわけです。

そういう草加さんだからこそ、知的に遅れていると言われている人たちの行為を崩さない形で、拾い上げることが出来るのです。草加さんは彼らの先生でもあり彼らの弟子なのかもしれませんが、同じ方向を向いています。ぼくなどは、知的に遅れていると言われている人の作品をみると、かなわないなぁ、と思い、どこか尻尾をまくところがある。その集中力、「ぴったり」な感じ、かなわないところがあるわけです。
巻頭に、置かれているエピソード。保育園の昼寝の時間に、眠れない子の横で保母さんが横に黙って一緒にいる、そして二人とも知的な遅れがある。なぜ、このエピソードが巻頭にあるのか、、草加さんの学校の話でもなさそうだし、、、しかし、それは同じ方向を向いている草加さんの姿勢(前提)を暗示させたいからに違いない。
その姿勢で、見えることと見えないこと、見えないけど確かにあること、ぴったりなこと、そういうことを書いています。どこをとっても平易な文章ですが、これは同時に難しい本でもあります。簡単ではないです。だからこそレッスンも必要なのでしょう。
最後に引用。
「大切なものは、すでに決まっていて、みんなが、それを大切にしているのだと思っていました。でも大切なものは、何も決まっていないのです。あなたが、それにかかわり、つき合っていくことのなかに、大切なものは育つのです。大切なことは、最初は見えないのです。そこに関わり続けた時間の中に静かに育っていくものなのです。」
[PR]
by isourou2 | 2011-08-22 14:26 | テキスト

アニエスの浜辺(アニエスヴァルダ 2008)

高校生のころ、よく映画館に通っていた。近所に名画座があり、3本立てで800円くらいだった。学校をさぼって、映画を見ている時もあった。映画を見るということは、その間、暗闇にいるということでもあった。観客は、隠れている。スクリーンには光があり、客席には、闇がある。そして、観客は、暗闇から光を覗いている。それが、映画を見るということにおいて重要なことだった。高校生のころ、ぼくは隠れたかったのだ。
ヴァルダさんは、引っ込み思案で地味な、でも何が美しいものかを知っている賢く好奇心と才気に溢れた女の子だったのだろう。
現在の81才ヴァルダから振り返る10代後半から20代前半の自分に対する視線は、慈しみもありじれったくもあるようだ。
そんな女の子にとって、写真それから映画は、自分を表現しつつも闇の中にいることも出来る媒体だった。フィルムは暗室の中から生まれる。そして、そこから外の世界を眺めて楽しむこともできた。はじめての映画が、海外で上映された時、主演女優に注目が集まってもその隣にいる自分に誰も気がつかないのは、面白かったと語っている。映画は、撮影現場の現実を暗室や夢想の暗闇を通して、スクリーンに投影し、それが映画館の中の現実になり今度は観客が暗闇と夢想の中でそれを経験し、映画館をでた観客の現実をも、密かに浸食し変形する。そのようにして、少しづつ映画を通して現実を変化させると同時に、現実を柔軟に彼女も受け入れていく。映画を媒介にして、現実とヴァルダの相互受け入れともいえる事態がじょじょに進行していく。
それでも、彼女の立つ場所は、海の中ではなくて、浜辺である。船から落ちる人ではなく、それを見る人である。浜辺では、様々な人が行き交う。一方、海の中では混ざりあう。冒頭で、浜辺にたくさんの鏡がある。お互いがお互いをみる、自分が距離をもって自分の姿をみる。その距離は、堅固な意志の力を感じさせる。でも、ヴァルダはいつも少し物憂げでもある。鏡で映像が乱反射しても、過去をあらゆるやり方で再現しても、それを見ている自分がいる限り交わることはない。その距離の中で、ヴァルダは才気を燃料に遊んでいる。その意味では、女の子だったヴァルダも81才のヴァルダも変わらない。その距離があるから、映画の秘密があり作品がうまれる。「落ち穂拾い」もそうだったが、ヴァルダの映画はリズムがいい。彼女の呼吸のリズムだ。自伝映画だから、素材に縛られず、もっと自分の呼吸で作られている。それが、心地いい。
パッチワークのように自分の人生をまとめている。まとめることは、誰でも出来ることではない。思想家ではなく表現者がまとめるのならば、このようになるのかもしれない。
最後に。マグリットの絵を実写で映像にしたシーンで、股間がマグリットになっていたのは、映倫がある日本ならでは出来事だろう。ヴァルダなら、愉快に笑うと思う。
[PR]
by isourou2 | 2011-06-12 23:57 | テキスト

日本の路地を旅する(上原善広 文芸春秋)

昔自分が住んだことがある土地を訪れるのは、その場所がどのようになっていようと、不思議な感覚がするものだ。
特に幼年時分の土地ならば、まるで現在の風景が茹で卵の殻で、それをゆっくり剥いていくと昔の風景が姿を表してくるように感じる。そちらの方が真実で、今ある風景はどこか現実感が薄い。少しずつ、幼年期の感覚が自分の中に戻ってくるようでもある。それは、大人の今からみれば細部が拡大されている。
生きていく中には、取り返しのつかないことも多い。
旅には、前向きのところと後ろ向きのところが混ざっている。この本には、旅の前向きのところと後ろ向きのところがよく描かれている。後ろ向きなところは、内面に向かう。当然、幼年時代のことにも向かう。前向きのところからは、各地の「路地=被差別部落」の歴史や現在が描かれている。丹念に調べられ、興味深い史実の数々が書かれてある。
薄暗いところには、気配がある。薄暗いところへ向かう心性には、気配を感じたいという気持ちがある。それは、物の外形ではない、真実みたいなものを感じたいということである。著者は、あちこちの飲み屋で酒を飲んでいる。その場所自体も薄暗いのだが、この人の酩酊も意識の薄暗さである。現実がゆで卵の殻で記憶や過去に真実があると感じるのも薄暗さへの志向である。
現実を生きるというのは、耐えがたいことである。明るみに出ている現実と、薄暗さを行ったり来たりは、だれもがすることである。
薄暗さの魔にやられてしまった人はなかなか現実に戻ることができない。犯罪を犯して、沖縄に逃げた兄に著者が再会してみると、とても暗くて無口な女と暮らしている。沖縄で著者が探しているのは、兄だけではなく、「京太郎」という京都の路地から琉球に流れてきた被差別民である。その京太郎は、門付けの芸事をしていた人たちだが、現在は伝統芸能として伝承されている。その歌は、恨み節が多い。この著者の旅の両面において、次第に高まってくるブルースが、最終章の沖縄で結合するようになっている。
著者の旅は、行き当たりばったりである。(わたしもそういう旅が好みである。)。日本の路地を旅するという目的こそあれど、意気込みにも濃淡があって、時には糸の切れた凧のように途方にくれている。著者は、切れたままになっている路地と路地を紡ぐ糸になりたいとはじめに書く。また、ばらばらになってしまった家族をつなぐ糸になりたいというのもあるだろう。しかし、それは、どちらもうまくいっているとはいえない。最後には、路地と路地を紡ぐというのは思い上がりで、「少しずつ自分の心の中で傷つき途切れた糸をつむいでいたのだろう」と書いている。薄暗さに向かう性向があれども、薄暗さを描くことは薄暗いことではない。今は、人間の業のようなものを書いていきたいとただそれだけを思っている、と著者は書く。弦の切れかかったギターで歌うブルースは行き当たりばったりのもので、構成も整序されたものではありえない。そのような紡ぎ方は、著者の物語の作り方でもある。
[PR]
by isourou2 | 2011-05-29 23:06 | テキスト

最後の授業~心をみる人たちへ(北山修 みすず書房)

著者が、九州大学を退官するにあたっての授業をいくつか収録している。
その一つ一つが、3分間でテーマを持った世界を作り上げるポッポスに似ている。
精神科医である著者は、元フォーククルセーダーズのメンバーであり作詞家でもある。
最後の授業、というと、やはり自身の集大成をしたいと思うだろう。中井久夫さんの最後の授業、という薄い本もそのようなものだった。しかし、この最後の授業には仕掛けがある。テレビの放映が予定されて、それがこの授業のテーマにもなっているのだ。テーマという以上に、そのことに拘っているようにみえる。なぜ拘るかといえば、著者自身が、一時期マスコミの寵児になった後に身を引き、1対1の臨床が中心の世界に移行したからである。ここで、かつての葛藤を意識的に繰り返している。この葛藤は、セルフモニタリングの時代として、今の時代の中で一般化しているが、著者の個人的な戦いでもある。そのために、いささか熱のこもった胸を打つ言い方で、講義をしめている回もある。
「マスコミに出ることが素晴らしいことなのか、広く売れることが素晴らしいことなのか、紅白歌合戦に出ればいいのか、ほんとうに。そんなことはない。私にとってはライブハウスの感動のほうが絶対に感動的です。数字に巻き込まれちゃいけない。少なくとも、カウンセリングをやろうという人たちは。相手は一人です。一人を感動させればいいんです。」
この授業を通して見えてくるものは、罪悪感を抱き鬱屈もしていただろう青年が歌にそのはけ口、解放を得ようとするが、思いがけずに大人気を博し、自分(たち)のための歌が見知らぬ他人の手に渡ったしまったことに混乱し対応出来なくなり、1人の人を相手にする世界に転身するストーリーである。その青年が世間に人気者として晒された傷は大きかったのだろう。そのことの意味を、こつこつと勇気をもって考えつづけた結果が、この講義録になっている。
蛇足にみえる、フロイトの芸術(家)との葛藤を語った最後の章は、現在もライブハウスでの活動を続ける著者の葛藤でもあるのだろう。
「科学を目指せば芸術が干渉し、芸術を目指せば科学が邪魔をする、という三角関係の葛藤は簡単には解決しないのです。」
悩み多い人である。
[PR]
by isourou2 | 2011-05-29 23:05 | テキスト

幻化の人・梅崎春生(遠藤周作 現代日本文学体系80 筑摩書房)

梅崎春生という作家を知ってほしい。
これは、文学全集(椎名麟三と梅崎春生の巻)の解説で、遠藤周作が書いたものだ。遠藤周作は、問題にならない。問題にもならないが、遠藤が書いたこの解説は興味深い。おそらくは、遠藤の文章としても最良のものではないかと思う。
長くに渡る、遠藤と梅崎の付き合いが、出会いから現在(昭和39年)まで描かれている。ここに描かれた梅崎なる作家は、実に奇態である。デビュー前の遠藤を占い師のところに連れていき、よく当たる、と言い含めた上で、占い師から次々に不快な予言をさせる。させる、というのは、おそらくは梅崎が裏で糸を操っているからである。芥川賞をとった遠藤の家に、通りがかりのファンの女性(女優)として酒を酒屋に配達させる。しかし、それはじつは安物の醤油である。その後に、届け物について電話をする。しかし、梅崎は、自分ではないと言い張る。
随分と念の入った「イジワル」である。なぜ、こんなことを当時は、うれている作家である梅崎がするのか。酔って、夜更けに電話をかけてきて、遠藤の女房が出ると「早く別れてしまえ」といい、女中が出ると「そんな月給の安い家なぞ出てしまえ。」と吹き込む。しまいには、電話がかかってくると遠藤の子供が泣き出す様になる。そんな梅崎から、蓼科の別荘を紹介してもらい一夏を一緒に過ごす遠藤も、どうかしていると思う。梅崎は、蓼科大王を名乗り、遠藤を呼びつけては酒の相手をさせる。もちろん、お酒を飲まぬ平生な梅崎は限りなくやさしかったそうだし、みじめな境遇にある時はなおさらだったようだ。しかし、このような人が酩酊していない時間は概して短いし、また、苦境に対しての優しさも優越感とも幼児的な支配欲とも受け取れる。先輩作家に対する遠藤の遠慮としても度が過ぎている。むしろ、この度がすぎた関係を継続するために、先輩・後輩という形式を必要としているかのようだ。端的にいえば、この関係は、SMに似ている。その趣味のない人間には、理解がしにくいのも同じだ。たしか、遠藤の晩年の小説には、SMを主題にしたものがあったと思う。遠藤は、自分の子供が梅崎の別荘で粗相してしまったことのお詫びに出かけて、泥酔した挙げ句、自分も失禁している。これは、文士の無頼なエピソードというよりも、ある種のプレイのようである。それはともかく、このにっちもさっちもどうにもならない関係性、そこにおいてしか生を係留できないという意味では、うとましいと同時に切実に要求するものである関係性、それが梅崎文学の主題である。そして、それが梅崎の実生活から直接生まれ出てくるものであること、それが梅崎文学の生々しさであることをこの遠藤のエッセイは物語っている。また、そのような関係性に感応する者に、時に関係が逆転しながらも形式を反復し伝播していくものであることをこのエッセイは示してもいる。
最後に、遠藤は、「健康的にもすぐれぬせいかあまり元気がない」梅崎に対して、「蓼科翁」と手紙を出すと書いている。「彼が蓼科翁ではなく蓼科王に戻ることを願いながら。」
梅崎文学は、間違いなく抜群に面白い。梅崎文学に感応する時、読者は、にっちもさっちもいかない自分たちの関係性が現前することをユーモアと悲哀をもって感じることと思う。
(梅崎春生は、戦後派文学の第一人者、として人気のあった時期はあったようだが、現在では、全集の形でしか、ほとんど読むことができない。それは、ある意味、とても梅崎的な事態の招来にも思えるのだが、残念なことである。)
[PR]
by isourou2 | 2011-04-16 23:31 | テキスト

四間飛車のポイント(大山康晴 日本将棋連盟)

顔がいい。私は、大山康晴の顔がいいと思うものである。ド近眼を想起させる瓶底眼鏡を適度にふくよかな顔にめり込ませ、だんご鼻に頭はハゲ。いつも和服。ビジュアルが最高。棋士にはくどい個性がほしい。そういう意味では、腕を競った兄弟子の升田幸三も気になる。いくら羽生が強くても、本は読む気にはならない。そして、羽生の人生訓にはそつがない。そこにくると、大山康晴の文章には、アクがあり油が浮かび肉厚なところがあるが、しっかりした味がある。大山の味は、単なる棋譜の解説のこのような本にこそある。つまりは、将棋という制限された宇宙のみにきっちりと人生を定立させているのである。盤外に対する才気走った横目などはない。そこにおいて、大山のアクや油は、逆に清冽なものを感じさせる。

四間飛車は、大山の得意とした戦法であるから、自然と解説にも熱が入る。
「形をみても、振り飛車は泣いている感じだ」
振り飛車が泣いているのだ。
「攻めて、攻めて、勝勢を確立するのは、むろんよいが、受けて、受けて、もう負けなし、の形をつくるのも、劣らぬうまい勝ち方である。」
大山の色紙には「忍」の一文字。振り飛車は受けの将棋。しんぼう、という言葉も頻発する。
「必死にしんぼうして、後手の攻めがとぎれるような差し方をしなければならない。」「シャレた手で勝とうの考えは、あまり感心しない。」
「しかし、相振り飛車なんかは経験もないし、わしゃいやじゃ、というなら、」
いきなりの「わしゃ」の登場だが、受け役を語る時、思わず、はしゃいじゃう大山が、かわいい、と理解すべきところだろう。
しかし、
「ふと、誘惑されるような手は成功しないときが多い」
と自重することも忘れてはいけない。
「がまんすべきは、がまんする、の決意が大切だ。」
でも、
「この形なら、「さぁいらっしゃい」と膝を叩いてもよい。」
とくると、ここ何の店?、とも聞きたくなるが、
「一度だけの王手に目がくらんではいけない。」
[PR]
by isourou2 | 2011-04-15 23:34 | テキスト

ブッタを語る(前田専學 NHK出版)

死んだ後も、魂などが生きていて天国とか地獄に行くと考えるのは、奇妙な考えだ。ましてや、そこから再びこの世に生まれ変わってくる、というのはいよいよ奇妙な考えだ。
誰も天国や地獄を見たものはいないし、また死んだ人が甦ったのを見た人もいない。だから、死んだらそれっきりで終わりと思う方が自然であるのに、なぜそんな奇妙な考えに取り付かれたのか。
死別するのは名残り惜しいという気持ちが周囲にいる者にする場合が多いだろう。そのために、再び、どこかで再会できないか、という風に考えたかもしれない。
または、現実世界のあらゆるものたちと共に生きている感覚が強いあまり、その感覚からあるゆる生き物たちが自分たちの死んだ祖先の生まれ変わりであると観念されたのかもしれない。
あるいは、自然の猛威の前に人間の存在があまりに弱かったために、自分たちを護るものとして親子関係や共同体の関係の象徴的な延長としての祖先の庇護の力を必要としたのかもしれない。
しかし、この本を読みつつ関心がひかれたのはちがうことだった。
どうやら、輪廻転成とかあの世という考えには、インドにおいては認識論の問題が関係していそうなのである。哲学的な思索としてもあった、ということに何となく驚いたのである。
以下はぼくの勝手な推定だが、自己原理「アートマン」と宇宙原理「ブラフマン」の合一が解脱である、という話は、認識論に言い換えることが出来るようだ。アートマンは、それ自体は認識されることのない認識主体であり、アートマンにとっては世界は幻想かもしれない。これは、独我論(観念論)にたどりつくだろう。また、ブラフマンからみると、認識主体があるなしに関わらず、ブラフマンから導き出される客観世界が存在することになる。これは、実在論になるだろう。
独我論にしても、認識される何かはあるはずだし、実在論にしても、その論自体を認識しているはずである。双方単独では成立しないが、どう関係しているのかを説明するのは難しい。
そこで、インドでは、独我論単独では、「死」は捉えられない(転生が必要)、実在論単独では「生」は捉えられない(あの世が必要)、そのため、それが解けない限り、永遠に宿題にしますよ。そのかわり、実在論と独我論を矛盾なく構築すること、これがスカっと出来たら、この堂々めぐりから上がり(=解脱)ということにしましょう。そういう公案みたいなものとして、哲学問題として、考えていたということも出来るのかも、と思った。

そして、ブッタは解脱したのである。
しかし、ここで、おもしろいと思ったのは、ではその公案の解答は何ですか?と聞かれても、ブッタは黙して語らなかったことだ。
しかも、なんで返答しないのかと聞かれてもやはり答えなかった。これでは、ブッタの実現した解脱がなにを指すのかが分からない。
アートマンとブラフマンが合一なのか、合一だがそれは言葉では語れないのか、語らないのか、それとも合一と解脱はちがうのか。
この本によると、どうやら、そのような問題はだいたいはどうでもいいことだ、と分かったというのが解脱したということのようだ。まぁあんまり考えても仕方ないよ、という感じだろうか。それを「中道」と呼んだのかもしれない。大森荘蔵さんが、ちらりと読んだ本の中で「実在論はほどほどでしかありえない」そして「実用的実在論は人間の生活そのものなのだから、それを持たないということは生活と生命を放棄することに他ならない」と書いていることに近いのかもしれない。
人にとって大切なのは、苦しまずより良く心穏やかに生きていくことだ、というのがブッタの考えで、修行だの哲学だのはあんまり役に立たない、場合によっては悪い作用があるというのが発見だったようだ。もちろん、場合によってはいいのかもしれないが、とにかく、人生をより良く生きるにはどうしたらよいか、という発想の転換と、そのための方法はある程度パターンはあれども人それぞれであり、その時の方法には本質的な意味はなく、要らなくなった捨てればいい、という考えのようだ。かなり実際的な発想である。そして、ブッタはどんな人にも対応しますよ、というフリースタイルのその幅が当時としてズバ抜けていて、その場その場のやりとりが優れていたのだと思う。つまり、その場に立ち会わないと分からない類の臨機の凄さだと思う。幅と臨機と風通しの良さ、ということになる。それは、いったんは突き詰めたところから生まれたものだろう。
ブッタの最期近くのこの言葉はすごくいい。
「アーナンダよ。ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。7つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。バフプッタの霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい。」
[PR]
by isourou2 | 2011-03-10 23:56 | テキスト


日々触れたものの感想をかきます。


by isourou2

プロフィールを見る

カテゴリ

全体
音楽
テキスト
映像
未分類

以前の記事

2016年 11月
2016年 08月
2016年 05月
2016年 02月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 03月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 06月
2013年 04月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 07月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 05月
2007年 01月
2006年 12月

お気に入りブログ

ホームレス文化

最新の記事

心理(荒川洋治 みすず書房2..
at 2016-11-13 00:20
蜘蛛女のキス(プイグ 野谷文..
at 2016-08-06 21:10
ポメラ
at 2016-05-13 00:06
日本人の英語はなぜ間違うのか..
at 2016-02-07 01:29
闇市(マイク・モラスキー編 ..
at 2015-12-16 19:55
ルポ過激派組織IS ジハーデ..
at 2015-11-23 22:09
英作文なんかこわくない(猪野..
at 2015-09-23 01:31
英会話なるほどフレーズ100..
at 2015-07-27 00:46
生存権ーいまを生きるあなたに..
at 2015-07-08 19:36
銃殺(ジョセフ・ロージー 1..
at 2015-07-08 18:00
奇怪ねー台湾(青木由香 東洋..
at 2015-07-05 23:51
物語 近現代ギリシャの歴史~..
at 2015-07-05 23:50
独学者のための英語学習本ガイ..
at 2015-04-15 00:31
通じる英語・上達のコツ(平澤..
at 2015-02-17 22:56
ほんとうの中国の話をしよう(..
at 2015-01-23 22:20

この記事に対する感想は

abcisoourou@gmail.com(abcを削ってください)
まで
お願いします

外部リンク

その他のジャンル