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ハンセン病重監房の記録(宮坂道夫 集英社新書 2006)

 2、3時間あれば読了できるだろう平明な新書。入門書に最適ではないだろうか。それは、この本がコンパクトにまとまっているとともに、著者自身が歴史的な勝訴といえる2001年のハンセン病国家賠償請求訴訟・熊本地裁判決が出た後から、ハンセン病のことを学びだした、いわば「初学・者」というスタンスに立っているためだ。
 「この本を手にした人のなかには、ハンセン病問題のことをほとんど知らない人もたくさんいるはずだ。私もそうだったし、今でも同じようなものだ。この本は、そういう人たち、ハンセン病問題をよく知らない人たちのために書いた。」とまえがきにもある。
 たとえば、療養所を訪れる時のためらいや重苦しい気持ちなどが、その行程と共にていねいに書いてある。だから、ぼくなどの本当の初学者にとってこの本は、著者の思考・行動の後をたどることで、この問題に近づくことのできる抜群の道案内になっている。
 また、この本のテーマとして著者が関わる<生命倫理学><医療倫理学>の分野で、この問題が扱われてこなかったことに対する反省がある。そこで、その学識からみたハンセン病問題にある「パターナリズム」の説明にページを割いている。光田健輔氏の言動を分析していることは、「長い道」の感想にも少し触れた。パターナリズムの究極の現れとして「重監房」があったことを理解できる流れになっている。
 1916年に療養所所長が入所者に対して「監禁」「減食」など罰することできるように<らい予防法>が改正された。ハンセン病患者を一般刑務所が収監しないことに対して<らい刑務所>設置を求める光田氏たちの要求を受けて、刑務所設置の代案として法改正が行われたとされている。しかし、各所内の監禁所だけでは不足だとして光田氏たちは草津の栗生楽泉園内に<特別病室=重監房>を設置する。
 1938年から47年までの9年間に93名が収監され、そのうち14名が監房内で死亡、8名が衰弱して出所後まもなく亡くなった。冬はマイナス20度になる中で、たいした寝具もなく(敷き布団は氷ついて床からはがせなかったという)、区切られた個別の監房の周りには雪が積もっていたとのことだ。そして、収監に関して書類がつくられたのは1名しかなく、先の人数も正確なものかどうかも不明とのこと。つまりは、この重監房の運用は、裁判などには全然基づかず、完全に所長らの恣意にまかされていた。そして、この存在をちらつかせては入所者を従わせていたらしい。重監房からの生還者のほとんどは、その経験について何も語っていない。むしろ、頑なに語ろうとしないということだ。経験が、その人の中で凍り付いてしまっているということだろうと思う。なので、ごく少数の例外を除いては重監房で何が起こっていたかは、監房に食事の運搬をしていた人などからの聞き取りしかない。
 例外的に経緯がわかっている場合が2つ本書に掲載されている。熊本のハンセン病患者の集落の中に、自治的な療養所を自ら設立するために働きかけを行っていた互助組織があった。しかし、1940年、九州療養所は警察の協力のもとその集落を明け方急襲し157名の強制収容を行った。全くの犯罪者扱いである。そして、互助組織の役員17名が重監房に入れられた。(さすがに冷静な筆致の著者も、ぶち込まれた、と書いている。)
 もう1例は、多摩全生園で、洗濯場の主任をしていた人が、作業している入所者から穴のあいた長靴の取り替え要求が出たことを園に伝えたところ、園側が拒否し、その結果として作業のサボタージュが行われた。その懲罰として主任とその妻を重監房が送られ、主任は出所1ヶ月半後に死亡した。重監房に送られた彼らは、刑務所の必要を主張する光田氏のいう凶悪犯などではない。園側が怖れて、これらの<懲罰ー重監房>の存在を必要としたのは、入所者たちの自治的な活動、権利意識であったことがここからは読みとれる。それに関連して本書で知って目を開かされたことは、1942年に入所者たちによって重監房を秘密裏に破壊焼き討ちする綿密な蜂起計画が進められていたという話だった。しかし、寸前に園側に情報が漏れたとしてこの蜂起は中止になってしまう。「このような命がけの反抗計画が、第二次世界大戦のさなかである1942年に行われたことに、驚きを禁じ得ない。日本で最も早い「患者の権利運動」の一つが、抑圧の時代に行われたのだった。」
 国土をハンセン病から防衛するという優生思想的でナショナリィステックな発想と同時に、自らを「家長」とする患者の「理想郷」「楽土」を療養所として実現しようとした光田氏。その発想は同時代の新しき村から大東亜共栄圏に至る様々なユートピア(デストピア)思想の1つであったと言えそうだ。そして、そこでは、入所者による自治的なもう1つユートピア運動も萌芽して、その相克の歴史として「療養所ー入所者自治会」ということを考えることが出来そうな、、、気がしている。そこにおいても、やはりこの重監房の存在は大きな象徴的な意味を持つだろうと思う。(そういえば、猪瀬都知事は、愚かしくもやたらに「家長」と連呼してますね、、。)
 重監房は、戦後問題視され出すと、施設当局者によってあっけなく壊され土台が残されるだけになった。証拠隠滅である。そこで、入所者の発案に沿って著者は「重監房」の復元を求める署名運動を始める。「重監房をわざわざ復元することのいちばん大きな理由は、私たちの想像力の限界にあるのかもしれない。重監房の「殺意」は、あの異様な建物の構造にこそ表れている。これを可能な限り復元して、暗黒と冷気に閉ざされた独房に、私たちは入ってみる必要があるのではないか。そうではなければ、そこで数十日間、数百日間と監禁されることの恐怖は理解できないのではないか。」と著者は逡巡しながらも運動を続けていく。それは、約1年間に10万人の署名を集めるに至る大きな動きになった。この本は、その10万人を超える署名を厚労省に提出したところで終わっている。
 その後、どうなったのだろう、、、とネットで「重監房の復元を求める会」のHPを見てみたところ、更新がこの本が出版された2006年で止まっている。ああ、、、実現されなかったのかなぁ、、と落胆しかかった時、違うページが目に止まった。なんと、2012年5月の新聞記事に、厚労省が「重監房」復元の基本計画書を取りまとめ、今後、入所者による運営委員会が設置され、事業計画を決め、来年度の完成を目指す、とある。署名が、運動が、実ったのである。ブラボーである。しかし、この当時は、まだ民主党政権である。自民党が計画を見直すことはないだろうか、といささか不安を感じつつ、、、完成したらぜひ、行きたいと思う。
(毎日新聞 2012年05月09日 地方版http://goo.gl/in0oN)
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by isourou2 | 2012-12-30 02:48 | テキスト

長い道(宮崎かづゑ みすず書房 2012)

 10歳まで過ごした岡山の村での暮らしの記述は、いままで読んだ誰のものより、昭和はじめの農村の子供の暮らしが、スッと胸に落ちるようだった。宮本常一や柳田国男らの学者の書いたものより、ずっと実感がこもって分かる気がした。これは、すごいことだ。宮崎さんはハンセン病を発症して、10歳から瀬戸内海に浮かぶ島にある長島愛生園に暮らすことになり、80歳のころから文章をかくようになった。宮崎さんは、本の世界が好きで、特に外国の暮らしや風景が事細かく描かれている物語が好みらしいので、そういう影響もあって、こんなにきめこまかく故郷の暮らしを描くことが出来たのかもしれない。近頃、同じくハンセン病の隔離施設である大島療養所に入所した夫婦を描いたドキュメンタリー「61ha絆」を見たところだった。また、友人が多摩全生園の掃除を短期バイトでやったので、ハンセン病の療養所に縁があるような気がして手にとった一冊だったが、一気に読んだ。
 「魂に磨きがかかり、美しい光を放ち、そしてその光は歳をとるごとに輝きを増して」という文章がこの本にある。友人のトヨさんについての言葉だ。これは、安易な言葉ではない。むしろ複雑な言葉だと思う。でも、そういうことはあるのだと思う。魂、や、裸の心、といったものは人それぞれ光っていて、その光が磨きがかかっていくということが。この本は、宮崎さん自身もどのように磨かれてきたのか、ということがよく分かるように表現されている。率直で明晰な言葉がたくさんある。そういう意味で、この本には光がある。先の文章の前には「苦しみが彼女の心をざぶざぶと洗い流していたかのように」とあるが、この本を読むこともまた、心を洗い流されるような経験であった。
 『手のいい皆さんと同じようにできなくても、ひとつひとつ、自分流にやっていけばいいんだと、あるときに会得したのだと思います。世のやり方を全部御破算にして、「私ならどうするか」というやり方があることを見つけたんですね。』
 この世のやり方を全部御破算にして、という言葉。この言葉が強さと同時にしなやかさを感じさせる、宮崎さんの気持ちの位置。こういう言葉をこういう風にはなかなか言えない。
 正直に言えば、胸を掴まれ何度も涙をこらえきれなかった。なんというか、泣くしかないポイントというのはあって、泣くということは悲しいというのと違うし、また笑うというのも楽しいのとも違う、表現しようのない複雑な気持ちだからこそ身体が反応する何かなんだろうと思う。たとえば、宮崎さんが足を切断した後、はじめて母親が宮崎さんの面会に来た時のこと『母は遠くから私を見つけると、にこにこしながらも、ほろほろほろほろと泣いていました。私は笑って「なんでもない、なんでもない。元気になったんだよ」って言いました。でも、ほんとうはつらかった。』という場合の笑いや涙が、それらの本質をよく表している。それほどウエットのところがないにも拘わらずこの本で多くの人がきっと泣くだろう。でも、泣くだけではなく、その後には、その複雑さについて考える、ことになると思う。
 宮崎さんは、初代園長の光田健輔氏について、悪く書いていない。「私は光田先生に世間の風から守ってもらったと思っています。」。一方で、光田氏は医師としてハンセン病患者の隔離政策を推進した第一人者であり、近年厳しく批判されている。そういう意味では、ハンセン病のことを知るには他の本も併読する方がよいような気がする。たとえば、宮坂道夫「ハンセン病重監房の記録」という本を読んでみたが、そこでは光田氏の言動を<世界最悪のパターナリズム>と書いている。パターナリズムとは、「当事者のあいだに力の不均衡があり「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振る舞うべきだという価値観」。光田氏は、入所者に慈父のように振る舞う一方で、逆らう入所者に対しては厳罰をもって臨み栗生楽泉園の重監獄では多くの死亡者を出している。ここでの宮崎さんの言葉は、パターナリズムを被った人のもののようにも読める。それは、10歳で入所した宮崎さんにとっては強い実感であるのだろうとも思う。また、この本では入所者たちの園に対する闘いについては触れられていない。
 トヨさんのまわりの人への感謝の気持ち、、、それは、ご本人が磨きあげたものであるにしても、そのように磨く以外にやりようがない追いつめられたものでもあるのだろう。長島愛生園の江谷医師の誠実な付記にもトヨさんについて「不遇といわれて致し方ない境遇をくぐりぬけてきておられるのに、なぜ、これほど感謝の気持ちで人と接することができるのか、自身に課された運命を恨まず過ごせるのか、日々驚きの連続でした。一方で、痛みに対して,日々の生活に対して、とても強いこだわりのある方でした。それが、ご本人の内に秘めておられた病気や過去への恐怖感に基づくものであることは、想像に難くないことでした。」とある。トヨさんのこだわりの内容と理由について気になるが、それは読んでも分からなかった。宮崎さんもトヨさんのことをこうも書いている。
 「でも、すべてわかっている、信じ合っている、そのときはそう思っていても、もうちょっと言葉をかけてあげればよかった、もうちょっと苦しみをたずねてあげればよかった、なんて私は鈍感なんだ、という気持ちがこみあげてきて、居ないことの不自然さに慣れることなんてとてもできなかった。」
語ることができないことや、語られなかったことは、たくさんあるだろう。そのことが、大切なことが明晰に語られるこの本からは感じられる。宮崎さんの文章からは、戦争時や戦後の療養園で、学校にも通えず体に負担になる重作業をさせられているのが分かるし、そこでの人間関係もしんどいものであることが伝わってくる。しかし、宮崎さんは、国や社会や他者の責任を問うことを直接的にしていない。それが、ぼくたちの社会の免責はいささかも意味しないと思う。宮崎さんには人間に対する強い肯定と深い深い諦念がある。
 宮崎さんがトヨさんに語りかける形の詩があるが、そこにはこれらのことがよく表されている気がした。
「トヨちゃん
あんたはらいを全身で受け止めたのに、苦しみは一度も口にせずに逝ったねえ
宇宙の彼方に幸せの塊の星があるとしたらあんたはそこに行ったんだねえ
私にはとうていそんな資格はありませんよ
愚痴は言うし、眼が痛い痛いと今年は言いつづけてろくなヤツじゃない
だからあんたにはもう永遠に会えないんだよねえ
ありがとう、トヨちゃん
もう人間はやめようね
私もそれだけは、、、
生まれ変わってきたいなどと思わないんだよ
あんたはきっと、人間というどうしようもない動物から卒業できたんだと思う
だからあんなに卒業試験が苦しかったんだよ
そして卒業試験を合格したんだよ
(略)」
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by isourou2 | 2012-12-27 00:37 | テキスト


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