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遊覧日記(武田百合子 作品社1987年)

ピントの合っているエッセイ集。遊覧という言葉といい、ぼーとしていて、という言葉が数回出てきたり、全体の雰囲気は穏やかのように誤解する。しかし、ピントの合っている場所がちがうだけなのだ。表象のあれこれ、人物のあれこれ、のさらにもう一歩深いところに鮮やかに標準が合っている。カウンセリングの心得で、相手の全体を俯瞰するように見ながらでも集中力を絶やさない、みたいなことをどこかで読んだことがある。半眼の状態もボヤーとしながらその奥を手放さないという感じがある。もちろん、カウンセラーでも坊さんでもない武田さんが意識してそのようであるわけではないだろう。いたって自然体に思える。意識が開かれているから、様々な人の話し声が耳に入り(ところどころで羅列しているその言葉は現代詩のようであり)、様々な人の様子が描写される。見慣れた場所の見慣れた風景であるはずのところが、異星人(は言い過ぎだが)が見たように独特に再現される。そして、ズバっとくる。ズバっとこないままに終わる時もある。それはそれで味がある。そのピントが合っている場所は、それまで不分明だったり見過ごしていたことが、一気に新たな了解に向かう場所である。そういう場所を押さえることが、表現においては大切なはず。そして、それは難しいことだ。たいていは失敗する。そして、なにも表現しないままになってしまう。たとえば、黒沢明監督の「どですかでん」で、どもりの中年の男が、貧しい自宅に同僚を呼ぶが、妻はふてくされたように一向に同僚たちをもてなさず、妻が席を外した時に、その妻のあまりの態度に心優しい同僚たちが男のために義憤にかられ様々いう。黙って頭を垂れて聞いていた男が、急に怒りだし、いかにいままで妻と苦労を共にしてきたか一体何がわかっているんだ、というようなことを同僚にいう。あのシーン。そこには、ある了解点にピントが鮮やかに合っている。同映画の乞食と子供の会話もそうだろう。それは、人間に対する理解の深さであり、そういうことは狙っても理づめでも分からないむしろある種の態度である。
料理を作りながら、ふとこの本の一節が甦ってきた。武田さんの夫の友人のインド学者Mさんの章だ。Mさんに夫の「とんび」(服)をもらってもらい、そのお礼にお酒を武田さんと武田さんの娘さん(Hさん)がご馳走してもらうことになる。Mさんは、インド酒場に案内するが店は休み。しかし、Mさんは店に入り込み、迷惑がられながらビールを3本注文する。さらに、もう一軒。さらにもう一軒。それぞれに特徴のある店に入り酒を飲む。Mさんは店の中で放歌し、他の客は帰ってしまう。Mさんは「ボクの蓮の研究は、あと三〇〇年かかります」「コドクを恐れてはいけません。平凡な人間は友達が多いが、平凡でない道を歩く人はコドクになります」という。小便をして帰ってくると「友達は多い方がいい」という。店主が武田さんの夫(泰淳)さんのことを知っていて思い出話になる。
12時を過ぎ小便に再び行ったMさんは頭に雪をのせて戻ってくるなり「つっ立ったまま、「イワの上にタオルが干してある」と、うわ言のように独り言を呟き、それからどっかり腰かけると、「ボクはこの頃、三十五、六年前に死んだ飼犬のことをしきりに思い出します。Yさんのこともそうだ。生きている者より死んだ者の方が日々記憶に新しく生きているんです。泰淳さんもそうです。」と、涙声になった。「M先生。ここのお勘定はあたしが払いたいのです」Hが財布を握って立ち上り、一番早く調理場の方へ入ろうとした。「いえ、あたしが」と私が追いかけた。そのあとから「ボクが」とMさんが割り込んできたので、人一人の幅しかない通り口に三人の胴体がぎゅうと詰り、動けなくなってしまった。」
と長く引用してしまったが、ここが三人がある了解に達した場面であり、そしてそれを素晴らしい精度で捉えている文章である。でも、読んだ時にはあまり気づかなかった。料理をしていて突然ぼくもその了解に達し涙がこぼれそうになったのである。
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by isourou2 | 2013-06-19 18:29 | テキスト


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