WEEKEND(ジャン・リュック・ゴダール 1967年)

高校生の頃から、現在までそれなりにゴダールの映画は見てきた。熱心に見たわけではなく、なんとなくだから、たぶん半分くらいを見ている感じだろう。しかし、これまでそれほどピンとはこなかった。何かいつもインテリくさかったりアートくさかったり、要はあまり面白くなかった。しかし、今までゴダールを見捨てなくて(見捨てられなくて)良かった。それは、この映画を見たからだ。ウィークエンドは完璧に近い。このテンションの持続、覚醒、笑い、は奇跡的。もちろん、映画についての自己言及などの悪い癖というか無駄にポストモダン的とも現在から見えるところ、長い帝国主義批判や暴力闘争への言及は人によってはだれるかもしれないが(この映画に関してはそれほどぼくは気にならないが)、しかし、この映画でのゴダールの感覚は卓越している。おそらく、多くの人(映画に限らず)が目指したがたどり着けなかった境地に、やすやすと着地している。演奏が終わってみると誰が何をしてそうなったのか分からないけど最高だったジャズのセッションみたいな映画である。しかし、ゴダールだけはひらめきのただなかで冷静に効果を計算も出来ている、完全に映画を掌握している。すごいねぇ。こういう全能感にひたされた作品というのは、微妙なバランスで成立しているはずで、おそらく生涯でそう何度もない出来事(たいていは一回きり)だろう。たとえば、69年の「東風」にはこのテンションはなく、バランスと出口を失った残滓があるだけだ。「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」を見てもピンとこなかった人は、ウィークエンドを見てほしい。67年にこの映画で、映画が前進できる広大な領野が開拓され、そしてそのことによって、映画はほとんど終わってしまっていることが確認できるはずである。
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# by isourou2 | 2013-04-18 19:52 | 映像

闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」(七尾和晃 草思社2007)

王は、新橋や渋谷など各地の焼け跡にマーケットを作った中国人。この本が出る時点では存命で、王のインタビューに基づいて構成されている。なので、特に、新橋・渋谷の戦後に関心を持つ人にとっては、必読である。闇市やマーケットについては、当事者の声は、ありそうでなかなかなかったためにこれは非常に価値がある。ただ、王以外に、マーケットに店子として入っていた人や王の当時の直接の知り合いには取材出来ていない。渋谷の闇市で屋台を出しマーケットに行ったことがある1人から話を聞いているだけである。「口をつぐむ生き証人」という章もあるのだが、たしかに焼け跡やマーケットについての当事者の話を聞くのは困難があっても、これは少し怠慢な気がする。引用も多く(その中には有名な本もある)、むしろ王のインタビュー集が読みたいと思ってしまった。でも、こういう人の話は、あちこち飛んだり、意味がとりづらかったりするんだろうとは思うから、インタビューという形は難しいのかもしれない。
 この本の中には、自分の関心にひっかかるところが色々あった。たとえば、渋谷について。後に東急文化会館が建つ渋谷東口駅前のマーケットについて記述が興味深かった。ここも、おそらく強制疎開跡地だったのだろう。王の話だと、2階は連れ込みになっている店が多かったようである。東急の五島慶太とは、王の愛人(後藤新平の元愛人)に五島が借金をするために王の家に訪れたことから知り合いになった、という。
 王が、東京に近い島に国営賭博場を作ろうと政治家に働きかけていたという話から想起したのは、石原慎太郎。石原は「三国人」などと平然と差別的な含意をもって発言していたが、この焼け跡のころに培われた発想・行動が基盤になっている人の気がする。石原と王の発想が同一なのは皮肉である。
 王が銀座にたてた黄色合同会館は行政代執行で壊されたのだが、このことも自分が行政代執行の裁判に関わっていることもあり、気になった。この行政代執行は、王が服役中に行われている。自分で除却できない状態を狙って、代執行という形をとるのはかなり不当なことだと思う。しかも、除却した荷物を東京都は紛失している。これは、明らかに損害賠償責任がある。
 王にまつわるエピソードはどれも面白い。こういう戦後のどさくさを生き抜いた人たちの蠢きが、現在にも様々な影響を与えていることを感じさせる本であった。
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# by isourou2 | 2013-04-08 20:49 | テキスト

光芒と闇「東急」の創始者五島慶太怒濤の生涯(菊池久 経済界)

 まぁ、正直、取るに足らない本ではある。渋谷(の再開発)について関心があるので、東急、のことを知っておかなければいけない、と思い読んでみた。猪瀬直樹「土地の神話」や大下英治「東急帝国」、も借りたけどまだ読んでない。とりあえず、入門として簡単に読めそうという理由。
 ただ、「闇」というから少しは批判的な距離を取っているのかと思ったが、ページをめくるに従って単なる<よいしょ本>になっていく。
 日本の侵略の尻馬に乗って「大東亜共栄圏内の交通とホテルは、わが東急で独占してみせる。」と言っていた五島は、終戦後公職追放(東条内閣の運輸通信大臣だったため)にあうが、復帰した時のコメントでは「自由貿易が理想的に実行されるならば、領土など問題ではない。考えてもみたまえ、一九世紀から二〇世紀の初頭までは、英国はあの小さな本国だけの領土で、商業によって世界を圧倒することが出来たではないか。~こんどは経済力によって自然と東亜民族の繁栄を促進する「共栄」が出来るわけだ。」などとのたまっている。
 それに対して著者は「大変な達見だ」とくるから、アホらしい。
 まぁ、こういう起業家というもののメンタリティがおぼろげながらも伝わってくる本ではある。そして、渋谷の街の開発はこのような支配と権力に依存し他者の痛みに鈍感になってしまった人間によって展開してきたわけである。五島慶太の長男が「昇」、次男が「進」、合わせて「昇進」、慶太がまだ官僚だった時の命名だが、これには苦笑した。
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# by isourou2 | 2013-01-31 18:53 | テキスト

思想地図VOL.3 アーキテクチャ(日本放送出版協会 2009)

・共同討議「アーキテクチャと思考の場所」(浅田彰、東浩紀、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司)について

当世の希代な論客が集まっている、、、はずだったが。真面目に読み始めたが、途中で吹き出してしまった。話が面白いからではない。単にこっけいなのである。不条理ともいえる。不条理というのは、その場にいる人を矮小にこっけいに見せる。そして、それが、自分の似姿である、ことであることに最終的には連結させる方法である。これらの人たちは、身を挺して、不条理劇を演じて見せているのだから、えらい。この討議の場が何なのか、何のために出席しているのかが共有されているようには見えないのだ。冒頭で、浅田は「急に振られても困るんで、~、最初に東さんの言われた問題設定は実は初めて聞いたんで、文脈がまるで分かっていない。」磯崎は「まずは恐縮しています。」宮台は「~、すでに半分ほど時間が経過した段階で、なんとなくこのシンポジウムは失敗しているような印象がしてきましたので、」。
シンポに先だって、若手の濱野、宇野、からの短い基調講演があるのだが、それを受けての東の要約がひどい。特に、宇野の講演の要約にいたっては、まるで違うことを言っている。「誤配」どころじゃない。宇野が簡単に講演の要旨を繰り返すことになったが、まずここで唖然とせざるえない。出席者は、この時点で「失敗しているような印象」を抱かなければ嘘である。東と宇野の間にある背景は知らないが、ここでの東は宇野の言葉に感情的になって聞き取ることが出来なかったか、単に聞いてなかったのか、どちらにせよ不可解である。
距離感をもって出席していた浅田が議論を成立させようとがんばる「いい人」だったり、建築を批判していたはずの磯崎があくまでも建築家としての言説に終始する「まじめな人」だったりする中、東の司会者としての迷走ぶりと宮台のこの場の設定自体を問う、というか無意味化する攪乱ぶりが目をひく。しかし、アーキテクチャを問うと、その問うている場自体を問うことになる、ということが要請されることを察知しているような宮台にしてもなんだか中途半端である。笑える山場は、浅田がもう帰りの時間だから、とシンポの途中で退席することとその後の宮台の急に気の抜けた発言である。
この雑誌の巻頭言はいつも妄想気味な感じがするが、それでも「私たちは、イデオロギーにではなく、アーキテクチャに支配された世界に生きている。したがって、必要なのは、イデオロギー批判ではなくアーキテクチャ批判である」という言葉の勢いを真に受けて読み始めると実に肩すかしである。妄想気味というのは、やけに新しい事態の到来を強調するからであって、それは、浅田のように「あまり新しさを感じない」という反応とのやりとりを喚起することになる。この新しい事態の強調は、本としての「商売っけ」だとしても、なんだか東自身それを思いこもうとしているような部分が見受けられる。実際は、そもそもあったものがテクノロジーなど何らかの契機によって顕在化し顕在化の通路が作られたことによってより強化されるという過程があるだけである。東の場合、新しさの強調が、そこで古いとされているものへの抑圧として働いていることに注目すべきだろう。この場合であったら、イデオロギー、という言葉である。このシンポを読んで分かることは、アーキテクチャ批判というのは、アーキテクチャの分析を通してのイデオロギー批判が必要ということで、それに対しての抑圧がシンポを機能させない大きな原因であることだ。巻頭言自体、つまりは、東の編集意図からして疑問、ということになる。アーキテクチャ(設計)には、設計者の意図(イデオロギー)があるし、それを踏み越えるような使用の仕方があっても、それに対しては意図に沿うようにアーキテクチャを変更したり、もっと明示的な方法を取ってくる。24時間やっているマクドナルドがホームレスが夜間増えてくると掃除の時間を深夜に設け通時でいられないようにしたり、場合によっては特定の人を入店拒否したりする。
このような問題意識をもって発言しているのは宇野だと思われる(講演で『アーキテクチャの層だけのコミットでは「だれが設計を担うのか」問題が残る』としているし、「思想や批評を麻痺させているものがあるとしたらこのような「誰が線を引くのか」という問題を横に置いたまま「もはやアーキテクチャしか語るべきものがない」という前提からはじめてしまう態度だと思います。」)が、宇野の発言は東によってことごとく無視される。宮台や浅田などの先行世代に気を使っているのと対照的で、対話する意志がないかのようだ。宇野の最後の発言としては「途中から完全に聞き役になっていたのですが、~。~、6割ぐらいどうでもいいなと思って聞いていました。」となる。基調講演をさせながらその内容も、シンポでの発言も、無視されたらこうなるのは当然で、宇野という人がどんな人かよく知らないが、同情するし、東という人の露骨な政治性がこのシンポを麻痺させているともいえる。つまりは、それがこのシンポのアーキテクチャを設計した東のイデオロギーで、そのイデオロギーとシンポという現実の結実は切り離せないという生きた見本になっている、という意味で非常に示唆に富んだ笑えるシンポジウムである。
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# by isourou2 | 2013-01-16 19:45 | テキスト

ハンセン病重監房の記録(宮坂道夫 集英社新書 2006)

 2、3時間あれば読了できるだろう平明な新書。入門書に最適ではないだろうか。それは、この本がコンパクトにまとまっているとともに、著者自身が歴史的な勝訴といえる2001年のハンセン病国家賠償請求訴訟・熊本地裁判決が出た後から、ハンセン病のことを学びだした、いわば「初学・者」というスタンスに立っているためだ。
 「この本を手にした人のなかには、ハンセン病問題のことをほとんど知らない人もたくさんいるはずだ。私もそうだったし、今でも同じようなものだ。この本は、そういう人たち、ハンセン病問題をよく知らない人たちのために書いた。」とまえがきにもある。
 たとえば、療養所を訪れる時のためらいや重苦しい気持ちなどが、その行程と共にていねいに書いてある。だから、ぼくなどの本当の初学者にとってこの本は、著者の思考・行動の後をたどることで、この問題に近づくことのできる抜群の道案内になっている。
 また、この本のテーマとして著者が関わる<生命倫理学><医療倫理学>の分野で、この問題が扱われてこなかったことに対する反省がある。そこで、その学識からみたハンセン病問題にある「パターナリズム」の説明にページを割いている。光田健輔氏の言動を分析していることは、「長い道」の感想にも少し触れた。パターナリズムの究極の現れとして「重監房」があったことを理解できる流れになっている。
 1916年に療養所所長が入所者に対して「監禁」「減食」など罰することできるように<らい予防法>が改正された。ハンセン病患者を一般刑務所が収監しないことに対して<らい刑務所>設置を求める光田氏たちの要求を受けて、刑務所設置の代案として法改正が行われたとされている。しかし、各所内の監禁所だけでは不足だとして光田氏たちは草津の栗生楽泉園内に<特別病室=重監房>を設置する。
 1938年から47年までの9年間に93名が収監され、そのうち14名が監房内で死亡、8名が衰弱して出所後まもなく亡くなった。冬はマイナス20度になる中で、たいした寝具もなく(敷き布団は氷ついて床からはがせなかったという)、区切られた個別の監房の周りには雪が積もっていたとのことだ。そして、収監に関して書類がつくられたのは1名しかなく、先の人数も正確なものかどうかも不明とのこと。つまりは、この重監房の運用は、裁判などには全然基づかず、完全に所長らの恣意にまかされていた。そして、この存在をちらつかせては入所者を従わせていたらしい。重監房からの生還者のほとんどは、その経験について何も語っていない。むしろ、頑なに語ろうとしないということだ。経験が、その人の中で凍り付いてしまっているということだろうと思う。なので、ごく少数の例外を除いては重監房で何が起こっていたかは、監房に食事の運搬をしていた人などからの聞き取りしかない。
 例外的に経緯がわかっている場合が2つ本書に掲載されている。熊本のハンセン病患者の集落の中に、自治的な療養所を自ら設立するために働きかけを行っていた互助組織があった。しかし、1940年、九州療養所は警察の協力のもとその集落を明け方急襲し157名の強制収容を行った。全くの犯罪者扱いである。そして、互助組織の役員17名が重監房に入れられた。(さすがに冷静な筆致の著者も、ぶち込まれた、と書いている。)
 もう1例は、多摩全生園で、洗濯場の主任をしていた人が、作業している入所者から穴のあいた長靴の取り替え要求が出たことを園に伝えたところ、園側が拒否し、その結果として作業のサボタージュが行われた。その懲罰として主任とその妻を重監房が送られ、主任は出所1ヶ月半後に死亡した。重監房に送られた彼らは、刑務所の必要を主張する光田氏のいう凶悪犯などではない。園側が怖れて、これらの<懲罰ー重監房>の存在を必要としたのは、入所者たちの自治的な活動、権利意識であったことがここからは読みとれる。それに関連して本書で知って目を開かされたことは、1942年に入所者たちによって重監房を秘密裏に破壊焼き討ちする綿密な蜂起計画が進められていたという話だった。しかし、寸前に園側に情報が漏れたとしてこの蜂起は中止になってしまう。「このような命がけの反抗計画が、第二次世界大戦のさなかである1942年に行われたことに、驚きを禁じ得ない。日本で最も早い「患者の権利運動」の一つが、抑圧の時代に行われたのだった。」
 国土をハンセン病から防衛するという優生思想的でナショナリィステックな発想と同時に、自らを「家長」とする患者の「理想郷」「楽土」を療養所として実現しようとした光田氏。その発想は同時代の新しき村から大東亜共栄圏に至る様々なユートピア(デストピア)思想の1つであったと言えそうだ。そして、そこでは、入所者による自治的なもう1つユートピア運動も萌芽して、その相克の歴史として「療養所ー入所者自治会」ということを考えることが出来そうな、、、気がしている。そこにおいても、やはりこの重監房の存在は大きな象徴的な意味を持つだろうと思う。(そういえば、猪瀬都知事は、愚かしくもやたらに「家長」と連呼してますね、、。)
 重監房は、戦後問題視され出すと、施設当局者によってあっけなく壊され土台が残されるだけになった。証拠隠滅である。そこで、入所者の発案に沿って著者は「重監房」の復元を求める署名運動を始める。「重監房をわざわざ復元することのいちばん大きな理由は、私たちの想像力の限界にあるのかもしれない。重監房の「殺意」は、あの異様な建物の構造にこそ表れている。これを可能な限り復元して、暗黒と冷気に閉ざされた独房に、私たちは入ってみる必要があるのではないか。そうではなければ、そこで数十日間、数百日間と監禁されることの恐怖は理解できないのではないか。」と著者は逡巡しながらも運動を続けていく。それは、約1年間に10万人の署名を集めるに至る大きな動きになった。この本は、その10万人を超える署名を厚労省に提出したところで終わっている。
 その後、どうなったのだろう、、、とネットで「重監房の復元を求める会」のHPを見てみたところ、更新がこの本が出版された2006年で止まっている。ああ、、、実現されなかったのかなぁ、、と落胆しかかった時、違うページが目に止まった。なんと、2012年5月の新聞記事に、厚労省が「重監房」復元の基本計画書を取りまとめ、今後、入所者による運営委員会が設置され、事業計画を決め、来年度の完成を目指す、とある。署名が、運動が、実ったのである。ブラボーである。しかし、この当時は、まだ民主党政権である。自民党が計画を見直すことはないだろうか、といささか不安を感じつつ、、、完成したらぜひ、行きたいと思う。
(毎日新聞 2012年05月09日 地方版http://goo.gl/in0oN)
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# by isourou2 | 2012-12-30 02:48 | テキスト

長い道(宮崎かづゑ みすず書房 2012)

 10歳まで過ごした岡山の村での暮らしの記述は、いままで読んだ誰のものより、昭和はじめの農村の子供の暮らしが、スッと胸に落ちるようだった。宮本常一や柳田国男らの学者の書いたものより、ずっと実感がこもって分かる気がした。これは、すごいことだ。宮崎さんはハンセン病を発症して、10歳から瀬戸内海に浮かぶ島にある長島愛生園に暮らすことになり、80歳のころから文章をかくようになった。宮崎さんは、本の世界が好きで、特に外国の暮らしや風景が事細かく描かれている物語が好みらしいので、そういう影響もあって、こんなにきめこまかく故郷の暮らしを描くことが出来たのかもしれない。近頃、同じくハンセン病の隔離施設である大島療養所に入所した夫婦を描いたドキュメンタリー「61ha絆」を見たところだった。また、友人が多摩全生園の掃除を短期バイトでやったので、ハンセン病の療養所に縁があるような気がして手にとった一冊だったが、一気に読んだ。
 「魂に磨きがかかり、美しい光を放ち、そしてその光は歳をとるごとに輝きを増して」という文章がこの本にある。友人のトヨさんについての言葉だ。これは、安易な言葉ではない。むしろ複雑な言葉だと思う。でも、そういうことはあるのだと思う。魂、や、裸の心、といったものは人それぞれ光っていて、その光が磨きがかかっていくということが。この本は、宮崎さん自身もどのように磨かれてきたのか、ということがよく分かるように表現されている。率直で明晰な言葉がたくさんある。そういう意味で、この本には光がある。先の文章の前には「苦しみが彼女の心をざぶざぶと洗い流していたかのように」とあるが、この本を読むこともまた、心を洗い流されるような経験であった。
 『手のいい皆さんと同じようにできなくても、ひとつひとつ、自分流にやっていけばいいんだと、あるときに会得したのだと思います。世のやり方を全部御破算にして、「私ならどうするか」というやり方があることを見つけたんですね。』
 この世のやり方を全部御破算にして、という言葉。この言葉が強さと同時にしなやかさを感じさせる、宮崎さんの気持ちの位置。こういう言葉をこういう風にはなかなか言えない。
 正直に言えば、胸を掴まれ何度も涙をこらえきれなかった。なんというか、泣くしかないポイントというのはあって、泣くということは悲しいというのと違うし、また笑うというのも楽しいのとも違う、表現しようのない複雑な気持ちだからこそ身体が反応する何かなんだろうと思う。たとえば、宮崎さんが足を切断した後、はじめて母親が宮崎さんの面会に来た時のこと『母は遠くから私を見つけると、にこにこしながらも、ほろほろほろほろと泣いていました。私は笑って「なんでもない、なんでもない。元気になったんだよ」って言いました。でも、ほんとうはつらかった。』という場合の笑いや涙が、それらの本質をよく表している。それほどウエットのところがないにも拘わらずこの本で多くの人がきっと泣くだろう。でも、泣くだけではなく、その後には、その複雑さについて考える、ことになると思う。
 宮崎さんは、初代園長の光田健輔氏について、悪く書いていない。「私は光田先生に世間の風から守ってもらったと思っています。」。一方で、光田氏は医師としてハンセン病患者の隔離政策を推進した第一人者であり、近年厳しく批判されている。そういう意味では、ハンセン病のことを知るには他の本も併読する方がよいような気がする。たとえば、宮坂道夫「ハンセン病重監房の記録」という本を読んでみたが、そこでは光田氏の言動を<世界最悪のパターナリズム>と書いている。パターナリズムとは、「当事者のあいだに力の不均衡があり「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振る舞うべきだという価値観」。光田氏は、入所者に慈父のように振る舞う一方で、逆らう入所者に対しては厳罰をもって臨み栗生楽泉園の重監獄では多くの死亡者を出している。ここでの宮崎さんの言葉は、パターナリズムを被った人のもののようにも読める。それは、10歳で入所した宮崎さんにとっては強い実感であるのだろうとも思う。また、この本では入所者たちの園に対する闘いについては触れられていない。
 トヨさんのまわりの人への感謝の気持ち、、、それは、ご本人が磨きあげたものであるにしても、そのように磨く以外にやりようがない追いつめられたものでもあるのだろう。長島愛生園の江谷医師の誠実な付記にもトヨさんについて「不遇といわれて致し方ない境遇をくぐりぬけてきておられるのに、なぜ、これほど感謝の気持ちで人と接することができるのか、自身に課された運命を恨まず過ごせるのか、日々驚きの連続でした。一方で、痛みに対して,日々の生活に対して、とても強いこだわりのある方でした。それが、ご本人の内に秘めておられた病気や過去への恐怖感に基づくものであることは、想像に難くないことでした。」とある。トヨさんのこだわりの内容と理由について気になるが、それは読んでも分からなかった。宮崎さんもトヨさんのことをこうも書いている。
 「でも、すべてわかっている、信じ合っている、そのときはそう思っていても、もうちょっと言葉をかけてあげればよかった、もうちょっと苦しみをたずねてあげればよかった、なんて私は鈍感なんだ、という気持ちがこみあげてきて、居ないことの不自然さに慣れることなんてとてもできなかった。」
語ることができないことや、語られなかったことは、たくさんあるだろう。そのことが、大切なことが明晰に語られるこの本からは感じられる。宮崎さんの文章からは、戦争時や戦後の療養園で、学校にも通えず体に負担になる重作業をさせられているのが分かるし、そこでの人間関係もしんどいものであることが伝わってくる。しかし、宮崎さんは、国や社会や他者の責任を問うことを直接的にしていない。それが、ぼくたちの社会の免責はいささかも意味しないと思う。宮崎さんには人間に対する強い肯定と深い深い諦念がある。
 宮崎さんがトヨさんに語りかける形の詩があるが、そこにはこれらのことがよく表されている気がした。
「トヨちゃん
あんたはらいを全身で受け止めたのに、苦しみは一度も口にせずに逝ったねえ
宇宙の彼方に幸せの塊の星があるとしたらあんたはそこに行ったんだねえ
私にはとうていそんな資格はありませんよ
愚痴は言うし、眼が痛い痛いと今年は言いつづけてろくなヤツじゃない
だからあんたにはもう永遠に会えないんだよねえ
ありがとう、トヨちゃん
もう人間はやめようね
私もそれだけは、、、
生まれ変わってきたいなどと思わないんだよ
あんたはきっと、人間というどうしようもない動物から卒業できたんだと思う
だからあんなに卒業試験が苦しかったんだよ
そして卒業試験を合格したんだよ
(略)」
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# by isourou2 | 2012-12-27 00:37 | テキスト

61ha絆(野澤和之監督/2011/97分/日本)

たくあんの向こうの讃美歌

 ハンセン病で大島青松療養所で今も暮らす東條康江さん高さん夫婦の日常を描いたドキュメンタリー。大島青松療養所は瀬戸内海の小さな離島に1909年に設立された隔離施設だ。康江さんは15歳で、高さんは17歳で入所した。
 康江さんは「3年で治って帰れる」とだまされて強制収容された。二人は、熱心なキリスト教の信者でもある。映画では、二人の療養所での淡々としたユーモアたっぷりの生活が映し出されていくが、康江さんの芯の強さ、高さんの気持ちの柔和さに心打たれる。高さんの玄人はだしのカラオケやハーモニカもいいが、康江さんの短歌が素晴らしい。

入所する 我に付き添い 来し祖母の 帰りゆく船は はや遠ざかる
24歳にて 失いし 黒き瞳の 戻り来にけり 義眼なれども
義眼なる 黒き瞳に おもざしの 若返りしと 夫の言いけり
わが膝に 夫がのせくれし 大西瓜 子をあやすがに 暫し楽しむ

 差別と偏見の中で不必要な隔離が続けられた療養所の中で一生懸命生きた人がいることを社会に訴えたい、生きた証を残したいという康江さん。現在、全国15カ所にある療養所の入所者は二千六百人、平均年齢は80才。多くの人に見てもらいたいドキュメンタリーだ。こたつの上にたくあんや茶碗が置かれた雑然とした居間で二人が歌う讃美歌は、ふと神が降り立つならこのようなところではないか、と思わされた。

生かされて 生きる命の 確かなり 沈む夕日も 朝日とならん

11月24日より渋谷アップリンクにて公開

*とあるタウン誌の情報欄に掲載する予定が没になったので、、、単なる紹介ですが、せっかく書いたのでここにのせました。
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# by isourou2 | 2012-11-15 17:21 | 映像

新しい左翼入門ー相克の運動史は超えられるか(松尾匡 講談社現代新書 2012)

出たばかりの本だ。新しい左翼といっても、マルチチュードとか反グローバリズムとか、そういうことではない。
「書き始めたら専門外の歴史記述に思わぬスペースをとられ」と後書きにあるが、日本の左翼の歴史についての目配せの効いたそして終始バランスを失わない内容になっている。文章も読みやすく一気に読めるのもこの手の本にしては稀有なことだ。しかも、「上からの指導」と「大衆とともに」という2大路線の違いに話を還元するのは、非常に分かりやすい切り口だ。もちろん、この2分は著者の経験が反映している故の分かりやすさであり、同時に限定された視野なのだろう。しかし、話しを簡明にするためには付き物であって、ぼくにとっては説得的であった。自分の断片的だった明治大正期の左翼活動家たちの歴史と流れが、すごくすっきりとした。山川均の自伝を読んだり(全部ではなくて)、吉本隆明の初期の文章や柄谷行人を読んだりして、の知識に見通しが出来た気がした。おそらく(よく知らないのだが)、そういう意味で出色の本だろう。全くなにも知らない人ではなく、断片的な知識がある人におすすめ。内容的にも、入門書というよりも(左翼や運動に)関わって少し経験をした人が読むといいと思う。
 この本を読むと、なんだかんだ言っても初期の社会主義者たちは偉かったのだなぁ、それに比べて後発の社会主義者・共産主義者はどうもダメという感想になるのだが、まぁ本当にそうなのかどうかは、読者が改めて考えるべきなのだろう。
 歴史的記述を離れ、著者のこれからの左翼運動への処方箋が描かれた第3部も、有益なものだろう。しかし、著者の言っていることは、あくまでも組織論であり、著者の思想というものは、ごく控えめにしか提示されていない感じがしてしまう。もちろん、本の趣旨や紙幅の都合でもあるのだろうが、新しい左翼思想や実践を求める向きには肩すかしかもしれない。歴史編の非常に見通しの良さは、左翼の歴史をシステム的に捉えているためでもあるのだろうが、その延長だけでは思想の整理と判定基準は提出出来ても、それは思想そのものではない。むしろ、思想になることを禁欲することで、歴史の捉え方が俯瞰的(それは明晰であるほど避けられないものだが)であることの悪癖を減衰しようと考えているかのようだ。つまり、物事を俯瞰的に捉えた上でその問題を相克する思想を提出するならば、それは強固になりすぎるきらいがある。いやいや、そんなのはいらない心配なのだろうが、なんとなく著者はそんな抑制もしていそうな、、、。
この本の先は自分で考え実践する、という読者への誘いでもあるだろう。そういう意味では、入門、である。
とはいっても、この本でいうところのリスクを背負った著者の思想をきっちりと読んでみたい(すでに書いているのかもしれないが)と思った。
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# by isourou2 | 2012-10-08 14:08 | テキスト

奇祭巡礼(北篠秀司 淡交社 1969)

なんとも好ましい本だ。まだ全部読んでない。半分も読んでない。読んでないというより、読むのがもったない程、おもしろいのである。こんなに達意の文章というのも珍しいが、常に巧まざるユーモアがそこはかとなく流れ、おかしくて仕方ない。祭りは、厳粛なものである、しかし同時に祝い事であり、場合によっては間抜けである。それは、端緒はともかく、すでにその意味を見失っても続いていてしかも真面目に続いているためでもある。著者の祭りにかける意気込みも、闇雲である。この時すでに70歳近いが「何がなんでも」という勢いである。まぁ言い方はどうかとも思うが「その五条の町に今夜鬼走りという行事が行われるという小活字を新聞で見たとたん、わたしの慕情は痴女のように燃え上がり、どんな義理を欠いてでも出かけずにはいられなくなってしまった。」とある。実際、所用の祝賀パーティで祝辞を述べたら、「そのままホテルの裏階段を脱兎のごとく駈け降りて、裏口に待たせてあった自動車に飛び乗った」という如くである。よく見ると、この著者は、この当時の演劇協会会長である。たぶん、偉いんだろうなぁ。それは、ともかく、この例でも分かるように、けっこういき当たりばったりである。それが面白い。道に迷ったあげくの寒村で出会った「おんまらさま」とか。だいたい、民間の祭りというのは「まら」とか、性にまつわる事象が多い。もちろん、作物の豊穣を願うという真摯な意味もあるわけだが。しかし、この著者の趣向もどちらかというとそっちに向かい勝ちではあるようだ。話は逸れるようだが、以前ある高名な写真家ですでに老齢に達している人の展覧会に連れていってもらったことがある。そしたら、突然SMショーが始まって困惑したことがある。なにもアラーキーとかだったら驚かない。真面目に写真を撮ってきた人だ。たしかに、その展示では、竹刀に裸の男とか、それまでとは随分と変調をきたしてはいた。しかし、いきなりゲイのSMショーである。そして、その高名な写真家は忍者の服装である。謎すぎる。それほど大きくはない画廊の中央では、男が縛られている。やがて、4方に立つ男たちが腰の高さで布を張り、その中では忍者姿の写真家がなにやらしているようだ。ロウソクと肛門で何かが行われているらしい。写真家がしわがれた声で「どうぞ見てください」とまわりに声を掛けたが、誰もどう反応していいのか分からない。固まっている。ぼくも、見には行かなかった。今でも、見に行かなくてよかったとは思う。このショーがどのように終わったのかまるで覚えていない。あまりの出来事に経緯がハレーションを起こしている。しかし、後日聞くところによると、このショーによって、写真家の弟子の大半が辞めてしまったそうである。それはともかく、牽強付会であるが、祭りとは、このようにちがう文脈に投げ込まれると、なんだかよく分からないものだったりするのだろう。そして、この著者なら、あの時布の中を、「どれどれ」と言った腰の軽い調子で真面目に覗いたのではないか。そのくらいの大人物ではある。後書きに著者は言う。
「日本を永遠に美しい国として守ってゆくためには、そして若い国民の国風の尊さをおしえるためには、どうしても祭り行事をさかんにしなくてはならない。」
おい、本気か?。たぶん、本気ではある。著者の政治意識などこの場合どうでもいいが、基本的には保守的なのだろうが、それを表すにもこんな感じだ。
「素朴な村の青年がリンガ(男根)を振りまわしてあるくにふさわしい日和だ。同じ空の下でゲバ棒を振りまわして吠えている青年が居ることが信じられないようである。」時は69年である。しかし、こうなってくると何が言いたいのかわからない。祭りに対しても、端々で「いったいなんだよ、あの神事は」とぼやいたり、友人が「このバカみたいな行事」と言ったり、若干口を押さえたくなるような発言もある。この不真面目なトーンも、著者の祭りへの熱情ゆえにむしろ好感がもてる。この情熱と現実、真面目と不真面目の往還が、さすが演劇人、虚実皮一枚のおもしろさである。祭りに出ている一軒だけのたこ焼き屋とか、村人の「いつまでやっとるだ」とか「まさに死の行進ですな」とかいう物事や言葉の拾い方に、目が行き届いている。そういうところから、祭りの感じが立体的に彷彿と浮かび上がってくる。何も、神事をやっている側だけが祭りではない。そういえば、近年、みうらじゅんとかが「トンマつり」と言って、似たような祭りを取り上げていたと思う。これはその原典ともいえる本なのだろうが、そしてみうら氏の本は全くの未読だが、また絶妙なネーミングだと思うが、これを「トンマつり」と呼んだ時点で失われるものがあるだろう。やはり、ぎりぎり「奇祭」である。「少し風変わりだと思われるものを選んだ」と著者がいうように、そういう押さえの方がいい。なぜなら、これらは敬虔であり信仰であるから良いのであって、外側からいきなり「トンマつり」では面白さが半減してしまう。とはいっても、著者の頓狂なものに対する偏愛は、筋金入りだ。これは、ぼくが敬愛する井伏鱒二や内田百聞に通じている。話が逸れるようだが、このところ、老人が書く文章に興味が引かれる。まだ老人というのには、この著者の場合元気だが、そういう老熟した軽妙さも味として含まれている。老人というのは、気の流れがいいらしい。片山洋次郎という整体師の本に、赤ちゃんと老人は気を通しやすい、とあった。その気の流れの良さ、物忘れもその一つかもしれないけど、そういう感じを老人の文章に感じる。風通しが良くなっていて、悪く言えば、ちゃらんぽらんになってしまっているのだけど、凝縮力とはちがう良さがある。文学者に限らず、論文などでもそれは感じる。中井久夫は、60歳過ぎの新説はだいたい間違っている、みたいなことを言っていたが、、。ともかく、この本は少しづつ読んでいる。祭り好きのみならず味わってもらいたい珠玉のエッセイである。
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# by isourou2 | 2012-09-09 00:06 | テキスト

おわらない物語アビバの場合(トッドソロンズ監督)

最近、滅茶苦茶忙しい。それもこれも、渋谷での野宿者排除のために、その抗議に忙しい。こう忙しい時に、映画でも見て気分転換、と思うが、それは忙しさを加速するだけだったりする。寝た方がいい。この映画も、半分寝ながら見た。というか、見始めた時から、瞼がくっつきそうであったのだ。しかし、最後まで見た。途中寝入ってもいない。ということは、きっと面白かったのだ。
これも、ツタヤでレンタルしたのだが、レンタルDVDの値段の価格破壊というのは凄い。凄くないだろうか。マックが100円になったくらいの出来事だと思うのだが、100円ショップが林立し、物皆安くなった現在においては、そんなにインパクトはない。きっと、GAOが100円とか80円とかだから、ツタヤもこうなったのであろう。その割には、CDは変わらない。昔は、DVDの方が高かったのに。
とにかく、物みな安くなり、今もスターバックスでこれを書いている(もちろんタダでいる)わけだが、そこで流れている曲が、案外良くないか?ニックドレイクとか割とマイナー(だったはず?)のダウナーなフォークが混ざっていたり。そういえば、マックの音楽も、けっこう良くなっていないか。スフィアン・スティーヴンスとかがかかっている。このセンスの良さ、趣味の良さ、はなんだろう。物みな安くなり、そこではセンスの良さが平準化する。なんか素晴らしいとも言える。つまりは、グローバリゼーションということか。そんな状況の中にいる自分たちを描いた映画、それが、この、おわらない物語。なのか。もう一回見れば、内容ももっと分かると思うのだけど、そんな時間もないし、もう返さないと追加料金が取られる。だから、よく分からないけど書いているわけだが、この映画は、主人公(アビバ)がドンドンとちがう女優によって演じられていく。人種も年齢もちがうが、ここで描かれるのは、少女の性と人生への不安がもたらす脱出願望だ。ここではないどこかへ。それが、様々な女優によって演じられる。つまりは、それが、あらゆる女性に共通する問題だというわけだろうか。あるいは、そこでの女優と役柄の違和感が重要なのか。おそらく、どちらでもある。ある意味では、ここには監督の繊細な手つきがある。結論に至らない中での共通性と差異をたどっていく。ここにはないどこか、がないから結論には至らず終わることもない。主人公が、「どこか」と思った人や場所は、そのすぐ後に「ここ」へと回収される。様々なカードが切られるが、ゲームの規則は変わらない。文学は人を裁くことではない、みたいなことをミランクンデラは言っていたと思うが、この映画もそういうところはある。アビバを含め出てくる人に向ける視線は、甘くはないが優しいところがあると言える。だから、眠らず観た。もしかすると、傑作だったのかもしれない、と一晩寝てから思った。もう一回見れば、はっきり言うことが出来るが、そんな時間もないし、今日返さないと追加料金が取られるのだ。
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# by isourou2 | 2012-07-11 01:51 | 映像


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