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どこに思想の根拠をおくか 思想の流儀と原則(鶴見俊輔座談 晶文社)

この2つは、吉本隆明と鶴見俊輔の対談で「思想とは何だろうか」という鶴見俊輔の座談集に含まれている。たぶん、吉本の本のどこかにも入っていることだろう。この対談のタイトルなどは、吉本っぽいし。
この2つの対談は、1967年と1975年に行われている。(この間に、二人が対談をすることはなかったようである。)

この2つの対談において、二人は相互に批判しあって緩むところがないという意味で、見事な対談になっている。
しかも、お互いがお互いの思想の徹底を望むという信頼に基づいているので、読んでいて不快なところは少ない。(吉本の女性観がにじんでしまう発言など、読む人によっては不快かもしれないが。)

ここでは、主に戦争体験から来るお互いのちがいが、複雑に交差しているのだが、簡単に図式化してみれば、

吉本ー原理的=硬直=切実さ
鶴見ー状況的=余裕=絶望

ということになる。いくつか発言を拾ってみる。
鶴見「どんな思想でも対象をまるごとつかめない。思想は、何かの器とか象徴を媒介にしていて、本人にとってさえ意味が揺れ動いているものです。」
吉本「あいまいさは残らないのだということが1つの原理として組み込まれいなければ、それは思想じゃない。~思想というものは、極端に言えば、原理的にあいまいな部分が残らないように世界を包括していれば、潜在的には世界の現実的基盤をちゃんと獲得しているのだ。」

吉本からの鶴見への批判としては、村上一郎という人の言葉を借りる形で、「昔、わりに名門の子どもたちを集めて座談会をやったとき、鶴見さんが、自分は総理大臣になるか乞食になるかどっちかだ、というふうに発言したので、村上一郎はびっくりしたっていうふうなことを言っている。いまでもおそらく鶴見さんには、そういう意味のラジカリズムがあると思うんです。だけど鶴見さんが、そういうふうに言えるということは、それ自体たいへん恵まれていることを意味するんじゃないのか、自分にはとてもそれだけ言う力はなかったと村上一郎は言っている。そこのところから、鶴見さんの身をやつしたいという願望が思想家としての原動力にもなっているんでしょう。またある意味で、中間段階でコミュニケーションを重ねていけば、何かそこから出てくるかもしれないという着想の根源になっているというふうにぼくには思えるわけです。」
この名門の子どもの座談会っていうのが、謎ではありますが、、、、。
要は、吉本は鶴見に、あんたがあいまいさを許容するのは、精神的に余裕があるからだよ。と言っている。
そして、余裕があることに自責があるから、どうでもいい(と吉本から見えるべ平連とかに)に身を挺しているんじゃないの、そして何もうまれるわけがない人たちと手を組んでいるんでしょ、、、と言うわけである。
この座談のシリーズの中には、小林よしのりから安部譲二、南しんぼうまで多種多様のメンバーが含まれ、それらを鶴見さんが、ちょっと首をひねる程いちいち絶賛している。それは、やはり精神的余裕がもたらすものと言われればそうであろうし、日本的な柔構造、無限抱擁、という感じもある。小林よしのりとの対談においては、絶賛しつつ、南京事件のことで牽制する(偶然かも?)ことを言ったりしているが、ともあれ、これらの人に対して、ズブズブなのは間違いない。ズブズブというか、まるでいかようにも誉められるという技を見せているかのようだ。
吉本は、これらの点は、鶴見のいい点でもあり、弱点でもあると言っている。

それに対して、鶴見の見解が示されているわけではないが、対談の中で繰り返し披露される「シニズム」というのが一応の返答になるのではないか、と思う。つまり、余裕と見えるもののすべてではないが、ある部分はシニズムから生まれているとの自己省察があるようだ。
鶴見「わたしは自分の狭さをおそれずに言えば、政治に関するかぎりはシニシズムだな。~戦後の初めの5年間は、シニシズムに対しては失望的なことばかり起こったんだ。というのは、もう少し頑強に抵抗するであろうと思ったファシストが全部、生まれながらの民主主義者みたいな顔をして、どんどん論壇に登場してくるわけです。~、そのうちに、こと昭和35年以降、ついにひっくり返っちゃって、次々と戦後民主主義は虚妄だったとか、いろんなことを言い出した。そのとき、シニックとしては不思議な快楽があるんです。やっぱり自分の考えたカーブのとおりに動いた。その快楽は他人には伝えがたいね。~吉本さんは不必要に、バカ野郎、バカ野郎と言っている。そこが違うんだ。わたしはそこのところで楽しむから、それが出ない。」
このシニシズムは、当然のこととして自分の身も蝕む。それは、絶望に近い。
鶴見「わたしはあの戦争で死んだかもしれないわけで、いつもあの戦争より、より多く自分の目的に合っているかどうかを考えるのです。ここには、何の場合についてでも完全に自分の目的に合致する行動のチャンスはないだろうという人間の条件についての前提があります。わたしは、何でもそうとうなにせものだ、どんな政治目標でもにせものだと思うのです。安保闘争の目標だって、かなりにせの部分を含んでいた。~、しかしこの程度のにせなら、その人たちと同体に倒れたっていいという考え方でした。ベトナム反戦でも、わたしはこの運動のなかにあるにせの部分は小さくないと思います。しかし、自分にとっての反戦感情のもともとの原型である戦争体験と絡み合わせてみると、これで死んでもいいと思うのです。」
鶴見の思想的な寛容さは、戦争で死ぬ予定だった自分の「死者の目」から生まれている、という認識が語られている。そのような超越的な視点が、ある客観性を自分に対しても、もたらしている。
一方、吉本に対しての鶴見の批判は、その体系化、硬直、純粋さに向けている。
鶴見「(戦後マルクス主義に)対抗する力としてはあれだけごり押しにやらなきゃいけないんだということはわかるわけなんだけども、あんなに硬直した体系をつくらなくていいんじゃないか。」(言語にとって美とは何かを評して)
鶴見「わたしが吉本さんに一つ批判をもっているといえば、わたしには純粋な心情というのがいやだなという価値判断が抜きがたいのですよ。」
それに対して吉本は、体系といってもいくらでも修正できるようにつくってある、ということと、そのように硬直化や純粋化していくのは観念としての自然過程で、そこからもう一度、大衆的なものを見ていくというのが知識の過程である、ということを言っている。
吉本の話で印象的なのは、戦争中に自分は加害者であった、つまり戦争を熱烈に賛美していたということだと思うが、その時においても英語教師を学生らが吊し上げをすることに対しては嫌悪感があった、あったが結局吊し上げについていってしまう、という話。それで、絶対にいかなる吊し上げに対しても肯定しないと言っている。
ある共同性があって、それが個人をやっつけるというのに対する嫌悪感というのは、吉本の思想の源泉の1つが語られていることになる。そこから自己(あるいは他者)の内面性に対する擁護と、そこから共同体が生む心性とのズレへの鋭敏さと、それに裏付けられた理論化がなされた。
一方、鶴見は反戦主義者として軍隊に入り、そこで、ボソボソと軍隊への不安を陰でいっている万年3等兵みたいな人たちの中で、戦争中をどうにか生きてきた。

鶴見はズレる中に可能性を見、吉本はズレを理論化することに可能性を見ている。

二人の対談は、他の論点も面白いが、このことのバリエーションであるともいえる。そして、結局は、戦争経験や素質のちがいとしか言えないような地点まで二人の思想の地肌を露出させている。

そして、余裕のあるはずの鶴見が、安保闘争の国会突入した中で、死んでもいい、と、一見上は純粋な態度になり、純粋な吉本氏が、自分の命と引き替えにはできない、と一見上はとまどう態度になるという逆転が面白い。しかし、それは、二人の自分と社会(共同性)に対する考えからすれば、当然のことである。

さて、いきなりだが、ぼくが読みながら考えたのは以下である。
自分の立ち位置は、鶴見の方にどっちかといえば近いような気がする。時に、態度を余裕があるものとして、それが、たとえば、男である、という社会的立場に拠っているとして批判されることもある。また、何かを批判する人のその硬直ぶりが気にかかることもある。
しかし、こう思う。
何かを批判している人、怒っている人、切実な人が、硬直するのは当然のことである。また、一面的に見えるのも当然である。怒るという心的状態が、硬直する、ということと切り離せないものだからである。硬直しない怒りというのは、あり得ない。そして、それは、そのようなある意味不快な心的状態を代償にして、何かを訴えているのであり、それを思っても、耳を傾けるのが倫理である。
そこから、なるべく多くを受け取るべきである。
と同時に、自分が怒る時には、怒ることをやめずに、しかし、なるべく多面的に自分を見れたらと思う。なぜなら、怒りは、共同の心性に吸い上げられやすく、自分を見失いやすいからである。

しかし、鶴見はこうも言っている。

わたしが万が一、人を殺すようなことがあっても、殺すのはよくないという方向に何かの力で向いていたい。それは南無ということかもしれないし、何でもいい。紋切型にすぎない、そういう型が人間としては最終のことなんだ。それは言語とか人間の表現のかたちの、一種の抜けられざる宿命なんですよ。
by isourou2 | 2012-02-29 00:06 | テキスト


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