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私のもらった文学賞(トーマス・ベルンハルト みすず書房2014)

皮肉、悪口、嘲弄、シニカルさ、悲劇、悲惨、こういった類のものは、人生にスペースをつくるものでなくてはならない。ごてごてと人生を埋めたり、ベタベタと塗り込めるものであってはならないのである。トーマス・ベルンハルトのそれは、そういう意味で完璧である。彼は自分の人生のスペースをつくるために、これらの技法を矢継ぎ早に繰り出し防衛と攻撃に努めている。これは生の技法である。そして、それは読む者の生のスペースを拡張するものであって、一言でいえば、風通しを良くするものであるので、結果として、すっきりするのである。言葉の効果だけを信じて、言葉を信じないものが、つまりはあらゆる種類の広告代理店が生の領土を内側と外側から侵犯している現在にあって、知的な肉弾戦を営んでいるのがベルンハルトである。そして、そのことそのものが、ユーモアの源泉であり、そうでしかないのが現在を生きる運命であることを彼は示している。この本は、そんな広告代理店的なものとの衝突の極点である文学賞の受賞をめぐるエッセイ集である。だいたいは現実に押しつぶされかけ、キートンのような仏頂面で立ち尽くす。面白くないわけがない。この作家を読むのは、これが初めてであるのだが、たぶん、ビートたけしよりもジョニーロットンよりも、はるかに明晰であり、はるかに面白い。生の拡張のために、あらゆるものを手あたり次第に投げつけろ、そして仏頂面をキープせよ。オーストリアに行きたくなった。

PS.自分の属する組織が何か悪をなすとき、個人として取りうる態度は、その組織を変化させるよう試みるか、その組織をやめるか、どちらかである。ベルンハルトがこの本の最後を飾った、かの国の言語文学アカデミーの退会の辞のように。しかし、その組織を変化させることが難しくなることに比例して、やめることも困難になる。その組織が巨大な時、そのシステムが生活にくいこんでいる時、その概念が自然さを装っている時。だから、私たちは私たちを支え、包む、組織との関係において、悪に手を染めずにはいられない。それが現代をいきる人間の前提であって、そこにおいて、人は比較的倫理的であったり道徳的であったりもするだろうが、その幅はたいして広くはない。そのような時、人は何をなしうるだろうか。呆然と立ち尽くすか、無駄かもしれないが、土くれだろうが空き瓶だろうがそこらに転がっているものを無闇に投げつけるしかない。つまり、ベルンハルトである。

by isourou2 | 2018-03-06 17:24 | テキスト


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