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昭和を語るー鶴見俊輔座談(晶文社 2015年)

上田馬の助、タイガージェットシン、ブルーザーブロディ、といったプロレスの悪役たちは、リング内で大暴れ、客席になだれ込んでも大暴れ、熱しやすく手に負えない。かに見えて、誰も怪我はしないし、客の反応に冷静かつ繊細であり、反則技を繰り出しても、何らかのドラマの落ちに向かっている。
ここで言うところの羽仁五郎である。
とある舞踏家の葬式後の宴会で、早く酒をもってこい、だの、故人の弟子たちをミソクソにくさしつつ、誰彼をお前呼ばわり、という大御所めいた人に会った。まわりは敬遠しつつ適当に受け流す。今時、こんな人が生きているのかと驚きつつ話を聞いていると満更でもなさそうだ。イスタンブールに建築の仕事で今から帰ると言っていたから大御所にはちがいないのだろうが、しかし、結局、何を言いたいのか今一つ分からなかった。
ここで言うところの羽仁五郎と鶴見俊輔である。

羽仁五郎といえば、何となく吉本隆明にコケにされていたな、くらいの印象しかない。どうも、吉本にコケにされていたことで自分にとって縁遠くなっている面白い人がそれなりにいるような気がする。
一方で、鶴見俊輔といえば、座談の名手ということになっている。同じ出版社からの全10巻の座談集もあるから、もしかすると、これはそのエッセンスなのかもしれない。というか、レアトラックなのかな。あまりにバラバラな選択で座談の多様さは感得できるが、なんかまとまった印象を結びにくい(全部読んでないけど)。そして、その中でも羽仁五郎が屹立している。鶴見俊輔は羽仁五郎の戦中から戦後の歩みを明らかにする目的をもって座談に臨んでいる様子だが、羽仁はそんなこと頓着せずに自説・持論を思いつくままに繰り広げる。鶴見が本題に引き戻そうとして、羽仁がえんえんと脱線する、という振り幅の大きい繰り返しがエンドレスに続くのが何か爽快である。デコボコ道をクッションの硬い車で猛スピードで走っているうちにどうでもよくなって万歳を叫びたいのに近い何か。
だいたい、羽仁は「~だろ。~じゃないか」という調子で通していて、対談でこんな話法はあまりない。いや、大島渚とか岡本太郎とかはそんな感じだったかもしれない。そして、押しが強いだけではなく、ところどころで「ぼくは、八月一五日に友だちがぼくの入れられていた牢屋の扉をあけて、ぼくを出してくるんだと思って、一日待ってたよ」などと憎めない発言が散りばめられている。鶴見も座談の進みゆきを懸念しつつも、そんな羽仁に寄り添うように発言している。基本的に、こういう壮大におっちょこちょいな人を好きなことが伝わってくる。なので、これは一種の掛け合い漫才である。漫才では笑うことの少ない自分だが、この対談の最後にはついに笑いがこみあげた。
長くなるが引用する。
羽仁「(略)西洋のことばにあるじゃないか、「光栄ある闘いが闘われていた、そのときおまえはそこにいなかった」。これは人生の最大の意義だ。光栄ある闘いが敗れたあとに、どこからか出てきて、ああだこうだと教えてくださってもナンセンスだ。光栄ある闘いが闘われていたら、必ず出てきたらいいじゃないか。人間はいっぺんしか生きない人生なんだから、おもしろいことがあったら出てきたらいいじゃないか。八月一五日くらいおもしろい日はちょっと来ないんだ。昭和二十年八月十五日、日本の敗戦の日に日本の革命の機会があったのだ。この機会をのがしたのだから、あとは次の機会をつかむしかない」
鶴見「いやあ、だからあのときわたしは出なかったから、その後出ずっぱりにでてますけどね(笑)」
羽仁「もうこのへんでいいじゃないか」
鶴見「いやもうちょっと、初期の、、、」
羽仁「いやもう結論は言ったよ(笑)。あれからあとはまだ歴史じゃないよ。あれまでが歴史だよ」
鶴見「いや、戦後史なのにいまやっと八月十五日になったばかりで(笑)」
羽仁「八月十五日が戦後のすべてであり、戦後のすべてがそこで決定されたんだ。あとは、次の八月十五日がいつ来るかだ」

by isourou2 | 2018-03-18 23:32 | テキスト


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