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「忘れられた日本人」を読む(網野善彦)

忘れられた日本人、は宮本常一の名著である。以前読んだことはある。(たぶん全部読んだと思うが、、、はっきり覚えてない。)。ともあれ、宮本常一と網野善彦である。この取り合わせ。ビックスターの競演だ。このなんとも地味な岩波セミナーブックスの一冊は、一部の人にとっては、ドーム級の夢の競演だろう。ジョンレノンの歌のカバーだけで、ミックジャガーがライブしているような。ジャイアント馬場の技だけで闘うアントニオ猪木といった感じの、、。二人は対談などしたことがない。意外だが、ほとんど会話したことすらないのだ。だから、多少のエピソードを除いては、(しかし、そのエピソードは濃いものだが。日本常民文化研究所に二人は勤めていて、宮本さんを含めて所員が借り受けてそのままになっていた大量の古文書を網野さんは、返却する作業をした。網野さんは、研究所とともに神奈川大学に移ったのだが、「長」のつく仕事をすると、返却の仕事が出来なくなるとして、辞表をちらつかせて対抗したと書いている。その15年の返却の旅は、一冊の本になっている。(古文書返却の旅、中公新書、未読)。返却の作業を網野さんがすると、どこからか聞きつけた宮本さんから電話があったそうだ。その時「これで、自分は地獄から這い上がれるような気がする。」と宮本さんは言ったそうだ。この言葉。その一年後に宮本さんは死去したから、網野さんが聞いた最後の肉声だった。忘れられた日本人の中で、対馬で文書を借りるときの半日がかりの村人たちとのやりとり(それは、村で物事をどう決めるかという方法の説明でもあった。)、それを思っても、当事者にとり、文書が非常に大切なものだ、ということを宮本さんが当然骨身に感じていたということでもあるとともに、なにか、それ以上のものがある。地獄にいる、という自己認識が、宮本さんにあった、ということも示す言葉だと思うと、この人にある底知れないもの、決して充足しないもの、に手が触れたような気になる。どっか、おっかない人だな、と手をひっこめたくなる、ところが宮本さんにはあるような気がする。佐野真一の「旅する巨人」という評伝があるが(おもしろい)、巨人というにふさわしい、人間ばなれした徹底さに、どこか虚無の刃の光を感じるところがある。と、長くなってしまったから繰り返すと)多少のエピソードを除いては、宮本さんの学問について網野さんが正面から説いている。学問と学問の真剣勝負、これは、火花が散っています。学問のおもしろさというのを、しみじみ感じる内容だな、と思っていたら、最後の小見出しは「学問とは?」。「常に新鮮な疑問を持ち続け新しい分野を開拓する。誤りははっきりと認めて正しい見方に従う、学問とはそういうものだと私は考えます。」当たり前かもしれない。でも、そういう網野さんだって、この時75歳。そういう学問の若々しさに、なんか感動する。

内容は、宮本さんの言いたかった部分を網野さんの見方で取り出す、最近の研究で補強する、網野さんから見て宮本さんの意見の足りない部分、違う部分をいう、というもの。発見が多いです。

宮本さんの入門としてもいいだけではなく、網野さんの考えもよくまとまって解かる。「アジール(無縁)」「遍歴民」「日本という国号」「東日本と西日本のちがい」「百姓について」と網野さんの天下の大技が繰り広げられている。その源泉が、宮本さんにあることもよくわかる。

(補記)これじゃ、内容について何も触れてないなぁ。網野さんにも通じる宮本さんの方法論について、分かる範囲で考えてみる。まず、「生活の実相」とは何か?というのが宮本さんの追求だと思う。これは、民俗学ってそもそもそういうものだ、といってみればそうかもしれない。しかし、いかに徹底的にそれを行うか。谷川健一との対談には、柳田国男を批判する言葉が見られる。「いったい、柳田先生は、昔話の採集者として、土地の教育のない古老なんかに直接話をきかれたことがあるでしょうか。佐々木喜善みたいな学問のある人でなくてね。」。生活の実相を知るには、話を聞くにしても、相手の心構えがなくならないといけない。だから、テープレコーダーは使わない。(テープレコーダーを出して失敗したという話もあるから、使うときもあったようだが)。「ほんとに嘘いつわりのない話を聞こうと思ったら、間引きの話とどぶろくの話が出れば本物ですね。そこまで出れば、こちらが割引きしたり、掛け値したりして聞く必要がぜんぜんない。」(水沢謙一との対談)。以前、宮本さんの自伝である「民俗学の旅」という本の中で、印象的だったのは、まだ学者になる前から乞食の集落をよく訪ねていることであった。そして、そこに貧しさではなく、統制のとれた生き生きした社会があることに驚いて感心している、そういうエピソードが数箇所でてくる。網野さんが引用した文章でも「われわれはともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方にたってみることも必要ではないかと思う。」とある。まったくもってそうだ、と喝采したくなる。網野さんも、私が強い影響を受けたのは、こういう姿勢で生きておられる宮本さんであった、と共闘ともいえる言葉を書いている。で、相手の価値観を見るには、どうやって自分の見方の枠を取り払っていくか、ということが問われるだろう。ぼくら、テント生活者も、路上の人に対して勝手な悲痛感を持つこともある。路上には、ぼくらが知らない路上の世界があるはずだ。話を戻して、当時、どのような枠があったのか。一つは、柳田民俗学。マルクス主義。戦後民主主義。学問体系。などなど。対談(神島次郎)で「よく人々に、お前の民俗学は、といわれるけれど、私のは民俗学じゃないんだ。私はもうはじめからアウトサイダーの一人だ、こう思っているんです。いつまでいてもそうだと思うんです。」と覚悟の言葉(だと思う)を言っている。宮本さんは、マルクス主義的な発達史観には批判的だった(というか教条的だったり抽象的なものはいやだったのだろう)が、赤松啓介という柳田さんに批判的な性民俗の研究をしていたマルクス主義の民俗学者から、戦中検挙没収を恐れた文書を預かった、という意外ないい話が「旅する巨人」に載っていたと記憶している。渋沢敬一の家に居候していながらも、柳田さんの家に話に行ったりしていて、(二代派閥だったのだと思うが)、そういうところも、捉われるのを嫌う、人間を見る目のしっかりした感じを受ける。この本の中では、網野さんは、フェミズムというのを慎重な筆致で評価しつつも、一定の枠(足かせ)としてとらえている感じだ。女の世間、という章だけ、構成的にはイレギュラーに、観衆との質疑応答が納められている。ここは、おそらく現在的な微妙な問題に触れている。(被差別部落の部分もそうかな)。網野さんは、自分の歴史的な見方は女性史の専門の人からみると「まだまったくの異端だと思います。」と答えている。法的な地位からの解放運動を女性が熱心にやってこられたのは当然なこと、としたうえで「女性と男性の関係を考える上で大切な点の一つは、世界全体をみまわしてみると、繊維関係の生産流通は基本的に女性が担っているという事実です。・・こうした繊維産業における女性の役割の重要性、社会的比重に関して女性史家は今まで見落としていたのではないでしょうか。・・女性の社会的な労働としては農業の補助労働しか出てこないのです。この見方から、女性の社会的地位が低くなったのは、基本的生産の農業・工業から女性が排除されたからだということになっています。・・「妻が夫に高利で金を貸す」ような権利を女性がもっていたことは事実ですから、男も相当女性におされているわけです。」とある。
体系について宮本さんは、「僕は、体系なんて必要ないだろう、一人一人が違った行き方でやればいいと思いますね。・・一人一人の声をあつめていくところに、民俗学という学問があるのではありませんか。体系に縛られていくところから無数の見落としが生まれるのですね。」といっている。(谷川健一との対談)
by isourou2 | 2007-12-05 17:51


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