おぎの本寄せにがり絹豆腐(おぎの豆腐)
わたしは食通ではない。まして、豆腐評論家でもない。しかし、生活クラブ生協登戸店で販売している、おぎの豆腐は世界一おいしい豆腐である。
かれこれ、20年前くらいになるが、登戸で居候をしていたことがある。いや、向ヶ丘遊園の生田緑地でテントを張っていた時だったか。生活クラブ生協の店を発見して連日のように通っていた。せまい店内は販売員なのか客なのか判然としないような人たちで、非常な活気があった。この生協は、いわゆるコーポから分派したらしく、食の安全を徹底追及しているらしい。会員制の店で、会員が運営にも参画していくシステムになっていて、独特の活気もそれに起因しているようだった。会員でなくとも、遠隔地に住んでいるなどの理由があれば、利用は可能であった。とにかく、おいしいもの(そして安全だろうもの)が、オーガニック系の店よりも、ずっと手頃な価格でそろっていた。そして、そこで、おぎの豆腐と出会った。豆腐というよりは上質なプリンに近い。なめらかな舌触りに、コクのある、それでいて、くどくない甘み。いままでの豆腐は何だったのか。別格であった。
もちろん、国産丸大豆、消泡材不使用。
爾来、これほどの豆腐を寡聞にして知らない。そもそも生活クラブ生協の実店舗は数少ないのだが、この豆腐は登戸店にしか置いてない。作っているのが、生田にある豆腐屋さんなのである。実は、20年ほど前のその頃、豆腐屋を発見して(小さな店だった)喜び勇んでたくさん購入した(しそ豆腐やごま豆腐もあったような)。生協で買うよりもほんの少し安かったと思う。しかし、生協の品のほうが、なぜかおいしいような気がした。
昨今、たしかにスーパーで売っている豆腐の味も長足の進歩を遂げている。むかしは安い豆腐など、水を吸ったスポンジのようであった。しかし、近年は安くても食べられるし、高めになると、驚くほどおいしい。男前豆腐が一般化したあたりから、その傾向は強まっていると思う。豆腐屋さんが軒並み店を畳むはずである。もうからないのに、仕事は朝早いしきつい(だろう)。
昨日、たまたま、登戸に行く用事があった。生協は向ヶ丘遊園駅から徒歩5分ほどのところにあるようだった。以前は長い商店街のおしまいくらいにあったのだが、再開発をしたのか風景は変わっていて、店も移動していた。以前のようなごちゃごちゃ感はなくて、すこしガランとしている。ちょっと不安がよぎったが、おぎの豆腐はしっかり存在した。大人気、とかポップが書かれてあった。直方体の大きめの容器にはちきれんばかりの豆腐がボディコンシャスに入っている。うまそうである。1丁190円(だったかな)。より特徴がいかされていた印象のある絹ごしを2丁購入した。
そして、家に戻って、早速、箸を入れた。柔らかい。う、う、う、う、う、う、う、うまい!この味だ!豆乳プリンという感じの異次元のうまさ。豆だけでどうしてこんなに上品な甘みがでるのか。前より、さらにおいしくなっている気さえする。1丁目は、塩と醤油で食べたが、2丁目は何もかけずに食べた。調味料を加えるのがもったいない。おかずというよりデザートである。
風景は変われども、おぎの豆腐は健在なり。
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by isourou2
| 2018-09-01 22:46
| オブジェクト
おぎの本寄せにがり絹豆腐(おぎの豆腐)
わたしは食通ではない。まして、豆腐評論家でもない。しかし、生活クラブ生協登戸店で販売している、おぎの豆腐は世界一おいしい豆腐である。
かれこれ、20年前くらいになるが、登戸で居候をしていたことがある。いや、向ヶ丘遊園の生田緑地でテントを張っていた時だったか。生活クラブ生協の店を発見して連日のように通っていた。せまい店内は販売員なのか客なのか判然としないような人たちで、非常な活気があった。この生協は、いわゆるコーポから分派したらしく、食の安全を徹底追及しているらしい。会員制の店で、会員が運営にも参画していくシステムになっていて、独特の活気もそれに起因しているようだった。会員でなくとも、遠隔地に住んでいるなどの理由があれば、利用は可能であった。とにかく、おいしいもの(そして安全だろうもの)が、オーガニック系の店よりも、ずっと手頃な価格でそろっていた。そして、そこで、おぎの豆腐と出会った。豆腐というよりは上質なプリンに近い。なめらかな舌触りに、コクのある、それでいて、くどくない甘み。いままでの豆腐は何だったのか。別格であった。
もちろん、国産丸大豆、消泡材不使用。
爾来、これほどの豆腐を寡聞にして知らない。そもそも生活クラブ生協の実店舗は数少ないのだが、この豆腐は登戸店にしか置いてない。作っているのが、生田にある豆腐屋さんなのである。実は、20年ほど前のその頃、豆腐屋を発見して(小さな店だった)喜び勇んでたくさん購入した(しそ豆腐やごま豆腐もあったような)。生協で買うよりもほんの少し安かったと思う。しかし、生協の品のほうが、なぜかおいしいような気がした。
昨今、たしかにスーパーで売っている豆腐の味も長足の進歩を遂げている。むかしは安い豆腐など、水を吸ったスポンジのようであった。しかし、近年は安くても食べられるし、高めになると、驚くほどおいしい。男前豆腐が一般化したあたりから、その傾向は強まっていると思う。豆腐屋さんが軒並み店を畳むはずである。もうからないのに、仕事は朝早いしきつい(だろう)。
昨日、たまたま、登戸に行く用事があった。生協は向ヶ丘遊園駅から徒歩5分ほどのところにあるようだった。以前は長い商店街のおしまいくらいにあったのだが、再開発をしたのか風景は変わっていて、店も移動していた。以前のようなごちゃごちゃ感はなくて、すこしガランとしている。ちょっと不安がよぎったが、おぎの豆腐はしっかり存在した。大人気、とかポップが書かれてあった。直方体の大きめの容器にはちきれんばかりの豆腐がボディコンシャスに入っている。うまそうである。1丁190円(だったかな)。より特徴がいかされていた印象のある絹ごしを2丁購入した。
そして、家に戻って、早速、箸を入れた。柔らかい。う、う、う、う、う、う、う、うまい!この味だ!豆乳プリンという感じの異次元のうまさ。豆だけでどうしてこんなに上品な甘みがでるのか。前より、さらにおいしくなっている気さえする。1丁目は、塩と醤油で食べたが、2丁目は何もかけずに食べた。調味料を加えるのがもったいない。おかずというよりデザートである。
風景は変われども、おぎの豆腐は健在なり。
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by isourou2
| 2018-09-01 22:46
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かぼちゃを塩で煮る(牧野伊三夫 幻冬舎2016年)
いいタイトルである。前回のエントリーの区分でいうと、渋面、であるが、魯山人というよりは、実篤、山頭火、井伏鱒二、の系統を洒脱に(悪くいえば若干、代理店的に、80年代風に)した味である。読んだことないけど、東海林さだおを頑固にした感じか。
しかし、この本を読んで、ホットサンドメーカーが欲しくなった。料理本で一番重要なのは記載された料理を作りたくなることであるのは言うまでもない。調味料や調理器具を欲しくなるのも同様である。で、ホットサンドメーカーは楽しいです。しかし、よく確認しなかったのがいけないのだが、焼き印がついていて、それが犬と猫のイラストなのだ。自分自身が渋面の年を迎えて、犬や猫のかわいい系のイラストがついたパンを食べるのはあまり食欲を増進させるものでもない。このホットサンドに焼き印を押したがる傾向は、それが単なる模様だとしても余計であると言わざる得ない。面白く感じる のは、初めの一回だけだろう。しかも、焼き印の凹凸はフランパン的に使う場合には端的にいって邪魔でしかなく、洗うときにも不便である。利便性を犠牲にしてまで犬や猫のイラストを毎食見なければならないのは、なおさらに苦痛である。制作者の顔を挟んでやりたいくらいである。でも、ホットサンドメーカー自体は非常に良く出来ている。レパートリーが増えると言うよりも、食事のジャンルが一つ増えるくらいのインパクトがある。
もう一つ、この本から触発されたのは断食である。でも、まだ、これはやっていない。
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by isourou2
| 2018-09-01 22:36
| テキスト
かぼちゃを塩で煮る(牧野伊三夫 幻冬舎2016年)
いいタイトルである。前回のエントリーの区分でいうと、渋面、であるが、魯山人というよりは、実篤、山頭火、井伏鱒二、の系統を洒脱に(悪くいえば若干、代理店的に、80年代風に)した味である。読んだことないけど、東海林さだおを頑固にした感じか。
しかし、この本を読んで、ホットサンドメーカーが欲しくなった。料理本で一番重要なのは記載された料理を作りたくなることであるのは言うまでもない。調味料や調理器具を欲しくなるのも同様である。で、ホットサンドメーカーは楽しいです。しかし、よく確認しなかったのがいけないのだが、焼き印がついていて、それが犬と猫のイラストなのだ。自分自身が渋面の年を迎えて、犬や猫のかわいい系のイラストがついたパンを食べるのはあまり食欲を増進させるものでもない。このホットサンドに焼き印を押したがる傾向は、それが単なる模様だとしても余計であると言わざる得ない。面白く感じる のは、初めの一回だけだろう。しかも、焼き印の凹凸はフランパン的に使う場合には端的にいって邪魔でしかなく、洗うときにも不便である。利便性を犠牲にしてまで犬や猫のイラストを毎食見なければならないのは、なおさらに苦痛である。制作者の顔を挟んでやりたいくらいである。でも、ホットサンドメーカー自体は非常に良く出来ている。レパートリーが増えると言うよりも、食事のジャンルが一つ増えるくらいのインパクトがある。
もう一つ、この本から触発されたのは断食である。でも、まだ、これはやっていない。
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by isourou2
| 2018-09-01 22:36
| テキスト
料理本の世界
いわゆる趣味・実用というジャンルの中では、英語学習本と並んで、料理本にはけっこうな関心がある。特に、文字主体の料理本が好きなのである。それは、レシピとエッセイのあわいである。単なるレシピにおいては、さすがに読後感はないが、かといって料理エッセイになってしまうと実用性にかける。その中間。常々思うのは、料理本において写真というのはどれほど必要なのか。結局、作るとき参考になるのはレシピだけだし、写真がないと完成形が想像できない方はよほどの料理一年生以外はいないはず。写真が助けになる場合(たとえば、魚のさばき方とか)もあるにはあるだろうが、非常に限定される。料理本に写真が多用されるのは、端的にいえば、手抜きであり、穴埋めにすぎない。言葉をつくして説明すべき著者の労力を写真によってあいまいに省き、それじゃ紙面が埋まらないしボリューム感が出ないので大きな写真を入れましょうよ、と編集者が考えて一丁あがり。いや、猫の写真と料理の写真は、見てイヤな気分になる人などいない。おいしそうな写真、けっこうなのだが、写真が無駄に多いのは安直なつくりだと考えているので、ストイックに写真を制限した料理本の姿勢にぼくは魅力を感じるわけです。
その系譜というのは(といっても江戸とかそういう話ではなく)、ぼくの中では、壇一雄「壇流クッキング」とか、小林かつよ(最初のころ)とか、水上勉とか。もっと、渋いところはいろいろあるのだろうが(そんなに詳しいわけではないので)、この流れとしては、とりあえず魚柄仁之助とか奥薗壽子が思い浮かぶ。
そこで、奥薗壽子の本をやすかったので、メルカリで数冊購入した。「おくぞの流簡単激早ぴちぴちお魚おかず202」「おくぞの流簡単激早たっぷり野菜おかず229」「別冊すてきな奥さん 奥薗壽子のアイデア料理決定版 ラク!うま!韓国ごはん」である。
そして、思ったことは、料理の写真が多いどころか、奥薗さんの笑顔の写真が多い!。笑顔の多発。一冊だけだとそうも思わないが、三冊重なるとさすがに笑顔の過食である。もちろん、猫の写真と料理の写真と笑顔の写真は見てイヤな気分になる人はいない、のは分かる。奥薗さんの笑顔もすてき(な奥さん)ではある。たしか、奥薗さんがズボラ料理なまくら料理として登場した時の本は、テキスト主体だったと思うが、このような写真を中心にした本を濫出してもいたのだろう。
最近の奥薗さんの本は、写真はあっても笑顔は抑制されている。ちなみに、韓国ごはんは奥薗さんのソウル食べつくし紀行つきであり、それも笑顔の乱反射であり、一種の奥薗写真集の趣きもある。
そう思うと、テキスト・写真という対立軸とともに、料理本において、笑顔・渋面、という軸の存在も感じられてきた。壇、水上は渋面だろう。笑ってほしいというニーズもあんまりないはずだ。どっちが好きか。小林かつよはたぶん笑ってもいるだろうが、ケンシロウほど破顔ではないはずだ。どっちが好きか。うーーん。やはり、どっちかというと、日常的には笑っている方がいいのかもしれないけど、料理においては求道的姿勢を尊しとしたい。求道的といえば、忘れてはいけない魯山人もいた。魯山人に、もっと笑顔くれませんか、とカメラマンも注文しがたい。ただ、でも、そんな人と一緒に食べるのは肩が凝るだろう。難しいところだが、奥薗さんも乾物などを勧める姿勢は笑っていないし、笑顔の多発は一種の戦略なのかもしれない。料理のおける真剣さは、テキストにおいて表れる。とりあえず料理本に笑顔の写真はいらないと思う。もちろん、渋面の写真もいらない。
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by isourou2
| 2018-07-04 00:08
| テキスト