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逝かない身体 ALS的日常を生きる(川口有美子 医学書院 2009)

逝かない身体、という言葉に何かひっかかりを感じる人もいるかもしれない。しかし、読み終えてしばらくたってみると、納得する言葉である。あるいは、同シリーズ(ケアをひらく)の「ALS不動の身体と息する機械」(立岩真也)というタイトル。
人間の尊厳といわれたりする意思や精神や心、という言葉を使わずに人間の状態を表していることへの違和感。しかし、それは、考え抜かれた戦略であることに思い至ることになる。むしろ、その違和感のよってきたるところを問う、ような本である。
死ぬ、死なない、というのは、それは、端的に身体というシステムの問題なのだ。その身体というシステムには、近代科学の成果である人工呼吸器をはじめとする様々な機械類を含んでいる。そのシステムにおいて、脳、はその一部であり、脳と強く結びつけられている意思や精神や心、という言葉の安易な使用を避ける理由も、脳が機能を失う、ことをもって、身体の死、と同一視する発想に足をすくわれないためだろう。
ALSという病気になると、体の各部が次第に動かせなくなる。それに対応して介護の方法も変わり、意思伝達の手段も変わり、機能を代替する機械も変化する。
著者の母親のALSは進行が早いタイプだったとのことで、発病してから3年で瞼を動かすことすら出来なくなった。そして、それから10年近く自宅で療養生活を続け、それは著者が介護を続けたということでもある。
この本には、介護者であった著者がその間に感じたことや考えたことが具体的な介護方法などを交えながら書かれている。患者である母親の生と死を巡る迷い、介護者であり娘である著者の生と死を巡る迷い、が率直に書かれてある。経験から掬いとれるものを慎重に取りこぼさないように書こうとする著者の視点は、とても冷静で、それだけに描かれている状況や気持ちがすごく伝わってくる。
「透明文字盤のサ行の「し」とナ行の「に」タ行の「た」は接近していて、瞳をそれほど動かさずに、指し示せる言葉である。「死にたい」はALS患者の間では頻出単語である。それは本当にこの世から一瞬にして煙のように消えていなくなってしまいたいという気持ちも含まれるが、手荒な介護者に対する最大の非難でもあった。」
「しにたい」が文字盤で示しやすい、という冷静な指摘には驚嘆したが、実際に消えてしまいたい気持ち、介護者に対する非難、と相手のメッセージを幾層にも受け止める姿勢こそが著者の物事への対し方をよく表している。そのような著者が迷わないわけがない。著者は、一時「尊厳死=安楽死」賛成とHPに書き込むことになる。そして、40歳のALS患者の息子の人工呼吸器を止めて、自殺未遂した母親への減刑嘆願をALS協会そのものが呼びかける。(ここで、脳生麻痺の我が子を殺した母親への減刑運動に反発する形で、脳性麻痺者の当事者団体である「青い芝の会」が1970年に運動を起こし、障害者運動の画期的な起点となったことを思い起こしてしまう。)しかし、嘱託殺人として無罪判決が出る過程で、著者は息子が「本当に」呼吸器を外してもらいたいと思っていたのか疑問に感じる。
「実際のところとてもたくさんのALSの人たちが死の床でさえ笑いながら、家族や友人のために生きると誓い、できるだけ長く、ぎりぎりまで生きて死んでいったのである。だから、あえて彼らのために繰り返して何度も言うが、進行したALS患者が惨めな存在で、意志疎通ができなければ生きる価値がないというのは大変な誤解である。」
著者は多くのALS患者と知り合い、学び、やがて訪問介護の事務所も作るようになる。
著者は、使える制度がなかった95年に発症した母親を、2000年の介護保険、2003年の支援費制度、2006年障害者自立支援法と問題は様々ありつつも法整備が進んでいく時期に介護をしている。制度がない時期に自宅療養ができるのは、経済的にある程度恵まれた状況があってのことだったのだろうとは思う。人工呼吸器300万は自己負担だったという。また、もし介護人の24時間派遣すれば月400万かかるという状況だったという。そのような中の在宅介護では家族もしくはボランティアがいないと(よほどの金持ち以外)成り立たない。現在では、だいぶ経済的な負担は減ってきたはずだが、そういうALS在宅介護の初期の状況が分かる本でもある。ボランティアの人を引きつける人間的な魅力が患者に要請されるというのは、ある意味不当で残酷なことだろうが、しかしそういう中で培われた人間性というのもあるだろう。この本で紹介されるALSの人たちの姿には、やはり制度がなかったころの脳性麻痺者たちのたくましく賑やかな姿がだぶる。
1つ1つ噛みしめることが出来る創見に満ちた本である。ALSの人、その介護をする人を通して、人に対する愛おしさが読後に残るように思う。

この「ケアをひらく」シリーズは、ものすごく充実していて個人的には、もっとも注目している叢書である。ケアというものに興味がなくても、人に興味があるならきっといい出会いになると思う。
# by isourou2 | 2013-08-23 15:05 | テキスト

誰も知らなかった小さな町の「原子力戦争」(田嶋裕起 WAC 2008)

出版年に注目してほしい。2011年3月以降であったら、おそらくこの本は出版されないか、内容の大幅改変を強いられただろう。そういう意味で、今となっては貴重な部分のある3・11以前の本ということになる。
この本の著者は、高知県の過疎の町である東洋町長を務めていた人であり、原子力発電所の放射能廃棄物の最終処分場建設を反対を押し切って推進したその張本人。そして、辞職をしてからの施設の是非を問う出直し選挙で、反対派の候補者に圧倒的な差で負けた人。その人が、なぜ候補地として応募するに至ったかについて、精一杯主張をしている本です。
で、反対派に対する悪口批判と安全という宣伝を除いてみると、この本が訴えていることは実にシンプルな話です。金が欲しかった。施設にまつわって入ってくる交付金が目当て。
東洋町の財政について、いろいろと資料をあげて、危機的状態を説明しています。まずは、農林・漁業の第一次産業は斜陽であり、サーフィンなどの観光は日帰りでお金を落としてくれない、そういう中で若者が流出し、収入も減る。その上で、小泉政権の「3位一体の改革」により、国庫支出金や地方交付税が削られ公共事業が出来なくなった。平成11年度で42億超えていた予算は平成19年には20億と半減しています。子育て支援の出産祝い金も払えなくなり、職員の交通費の至急もストップ。企業誘致は立地が悪すぎて出来ず、刑務所誘致さえ遠い夢。
そういう状況の中で、最終処分場の建設をめぐる交付金はあまりにボロい、そして甘い話だったわけです。
調査の段階で、文献調査(2年)期間内20億、概要調査(4年)期間内70億が国から交付され、その半額は市町村の収入になる。その後の精密検査(15年)、建設(10年)、操業(50年)の間には、それを上回る額が入ることになる。300年は管理するということだから、その間も交付金はあるだろう。それだけではなく、関連企業の進出で町は活性化し年2200人もの雇用も創出できる。
まさに、バラ色の未来を思い描いたわけです。
もちろん、そのバラは、何か事故が起きたらとたんに灰色になってしまうものなわけですが。
これは、いつの間にか原子力発電所が55基も出来てしまった仕組みと基本的には同じではないかと思います。
しかし、それにしてもこれほどの交付金を国が出すのには、一体どのような背景があるのか。それだけ、やりたがる自治体がないのに、強引に事業を進めたいという、その背景には何があるのか。(ということは、この本からは分からないことですが、、、)
あと、この元町長は、町長時代から「いつでも計画はストップできる」ということを強調していて、反対派に対する反論ということとともに、どうも本音はそこいらへんにもありそう気がしました。概要調査や精密調査に入る段階で住民投票を行うということを記者会見でも述べています。つまり、処分場は必ずしも出来なくてもよいから、もらえるだけ交付金をもらってから辞退すればいいではないか、というのがどうも本音のように見える。
この元町長は、町議員時代は共産党の議員だし(共産党が原子力発電についてどういう見解を昔持っていたのかは分からないが)、原発建設に反対した経験もあったということです。
ただ、その点においても、やはり反対派の意見の方が筋が通っています。「当該都道府県知事又は市町村長が概要調査地区等の選定につき反対の意見を示している状況においては、(略)概要調査地区等の選定がおこなわれることはありません」というのが国や原子力機構の見解だが、中止にすると書いていない以上、知事・町長の意見が変更するのを圧力をかけつつ待つ、と言っているだけにすぎない。まして、住民投票の結果を尊重するとも言っていない。そう簡単にあきらめるわけがない、と思う方が妥当でしょう。また、処理場の安全性についても、輸送途中の安全については、著者は答えられていない。
あと、印象に残ったのは、反対派にはサーファーが多かったと書かれてあることだ。ちょっと意外。
この本は、最後に1章使って、もし処理場の交付金があったら、こんなことが出来たのに、、、といういささか未練がましい著者の夢が語られているわけだが、、、福島原発、東北の復興、などいろんなイメージが重なってきて、なんともいえない読後感が残る本である。
# by isourou2 | 2013-08-23 15:03 | テキスト

だいにっほん、おんたこめいわく史(笙野頼子 講談社2006)

ネクストレベル、という言葉が少し前にはやっていた。この小説を評するに、このネクストレベル、という言葉を贈りたい。しかし、ネクストレベルという言葉は、たいてい、一体何が何に対してネクストなのか、が曖昧で、というか曖昧がゆえに発されるコピーであった。笙野頼子の作品で通読したのは、これが2冊目である。面白さを感じながらも読む方が息切れするというか、、、。しかし、この本は読める、こちらの状態というよりも、この本が作者によれば、一気に書かれたという事情が関係してそうだ。つまり、脂って(のって)いるわけだ。笙野頼子の持っている言語感覚、手法、問題意識、これらの作家の基礎体力というものは、飛び抜けていると思うのだが、この作品では、それらを自在に駆使しながら、それらを踏み越えた地点に到達している。それは、やはり書く速さが(とここで、謎の電話がかかってきて、聞き取りに苦労し、この先に書くことを失念した。)

2006年にこの本は出た。これは、村上隆や東浩紀が猪瀬直樹(都知事)に群がり、現在現出し、これから東京にオリンピックが決まった日には、増大していくだろう気色悪い文化状況を抉りだしている(ような気がする)。笙野頼子がいれば、村上春樹も高橋源一郎もその他もろもろの若手作家も必要ないのではないか(そんな気がする)。
# by isourou2 | 2013-08-09 16:01 | テキスト

遊覧日記(武田百合子 作品社1987年)

ピントの合っているエッセイ集。遊覧という言葉といい、ぼーとしていて、という言葉が数回出てきたり、全体の雰囲気は穏やかのように誤解する。しかし、ピントの合っている場所がちがうだけなのだ。表象のあれこれ、人物のあれこれ、のさらにもう一歩深いところに鮮やかに標準が合っている。カウンセリングの心得で、相手の全体を俯瞰するように見ながらでも集中力を絶やさない、みたいなことをどこかで読んだことがある。半眼の状態もボヤーとしながらその奥を手放さないという感じがある。もちろん、カウンセラーでも坊さんでもない武田さんが意識してそのようであるわけではないだろう。いたって自然体に思える。意識が開かれているから、様々な人の話し声が耳に入り(ところどころで羅列しているその言葉は現代詩のようであり)、様々な人の様子が描写される。見慣れた場所の見慣れた風景であるはずのところが、異星人(は言い過ぎだが)が見たように独特に再現される。そして、ズバっとくる。ズバっとこないままに終わる時もある。それはそれで味がある。そのピントが合っている場所は、それまで不分明だったり見過ごしていたことが、一気に新たな了解に向かう場所である。そういう場所を押さえることが、表現においては大切なはず。そして、それは難しいことだ。たいていは失敗する。そして、なにも表現しないままになってしまう。たとえば、黒沢明監督の「どですかでん」で、どもりの中年の男が、貧しい自宅に同僚を呼ぶが、妻はふてくされたように一向に同僚たちをもてなさず、妻が席を外した時に、その妻のあまりの態度に心優しい同僚たちが男のために義憤にかられ様々いう。黙って頭を垂れて聞いていた男が、急に怒りだし、いかにいままで妻と苦労を共にしてきたか一体何がわかっているんだ、というようなことを同僚にいう。あのシーン。そこには、ある了解点にピントが鮮やかに合っている。同映画の乞食と子供の会話もそうだろう。それは、人間に対する理解の深さであり、そういうことは狙っても理づめでも分からないむしろある種の態度である。
料理を作りながら、ふとこの本の一節が甦ってきた。武田さんの夫の友人のインド学者Mさんの章だ。Mさんに夫の「とんび」(服)をもらってもらい、そのお礼にお酒を武田さんと武田さんの娘さん(Hさん)がご馳走してもらうことになる。Mさんは、インド酒場に案内するが店は休み。しかし、Mさんは店に入り込み、迷惑がられながらビールを3本注文する。さらに、もう一軒。さらにもう一軒。それぞれに特徴のある店に入り酒を飲む。Mさんは店の中で放歌し、他の客は帰ってしまう。Mさんは「ボクの蓮の研究は、あと三〇〇年かかります」「コドクを恐れてはいけません。平凡な人間は友達が多いが、平凡でない道を歩く人はコドクになります」という。小便をして帰ってくると「友達は多い方がいい」という。店主が武田さんの夫(泰淳)さんのことを知っていて思い出話になる。
12時を過ぎ小便に再び行ったMさんは頭に雪をのせて戻ってくるなり「つっ立ったまま、「イワの上にタオルが干してある」と、うわ言のように独り言を呟き、それからどっかり腰かけると、「ボクはこの頃、三十五、六年前に死んだ飼犬のことをしきりに思い出します。Yさんのこともそうだ。生きている者より死んだ者の方が日々記憶に新しく生きているんです。泰淳さんもそうです。」と、涙声になった。「M先生。ここのお勘定はあたしが払いたいのです」Hが財布を握って立ち上り、一番早く調理場の方へ入ろうとした。「いえ、あたしが」と私が追いかけた。そのあとから「ボクが」とMさんが割り込んできたので、人一人の幅しかない通り口に三人の胴体がぎゅうと詰り、動けなくなってしまった。」
と長く引用してしまったが、ここが三人がある了解に達した場面であり、そしてそれを素晴らしい精度で捉えている文章である。でも、読んだ時にはあまり気づかなかった。料理をしていて突然ぼくもその了解に達し涙がこぼれそうになったのである。
# by isourou2 | 2013-06-19 18:29 | テキスト

WEEKEND(ジャン・リュック・ゴダール 1967年)

高校生の頃から、現在までそれなりにゴダールの映画は見てきた。熱心に見たわけではなく、なんとなくだから、たぶん半分くらいを見ている感じだろう。しかし、これまでそれほどピンとはこなかった。何かいつもインテリくさかったりアートくさかったり、要はあまり面白くなかった。しかし、今までゴダールを見捨てなくて(見捨てられなくて)良かった。それは、この映画を見たからだ。ウィークエンドは完璧に近い。このテンションの持続、覚醒、笑い、は奇跡的。もちろん、映画についての自己言及などの悪い癖というか無駄にポストモダン的とも現在から見えるところ、長い帝国主義批判や暴力闘争への言及は人によってはだれるかもしれないが(この映画に関してはそれほどぼくは気にならないが)、しかし、この映画でのゴダールの感覚は卓越している。おそらく、多くの人(映画に限らず)が目指したがたどり着けなかった境地に、やすやすと着地している。演奏が終わってみると誰が何をしてそうなったのか分からないけど最高だったジャズのセッションみたいな映画である。しかし、ゴダールだけはひらめきのただなかで冷静に効果を計算も出来ている、完全に映画を掌握している。すごいねぇ。こういう全能感にひたされた作品というのは、微妙なバランスで成立しているはずで、おそらく生涯でそう何度もない出来事(たいていは一回きり)だろう。たとえば、69年の「東風」にはこのテンションはなく、バランスと出口を失った残滓があるだけだ。「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」を見てもピンとこなかった人は、ウィークエンドを見てほしい。67年にこの映画で、映画が前進できる広大な領野が開拓され、そしてそのことによって、映画はほとんど終わってしまっていることが確認できるはずである。
# by isourou2 | 2013-04-18 19:52 | 映像


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